子供がいてもラブラブな夫婦に10題

03:風邪を引いた妻

 夕刻、弥勒が帰宅すると、台所で珊瑚が咳をしていた。
「おかえり、弥勒さま」
「ただいま帰りました。……風邪ですか?」
「そうみたい。咳はそんなにひどくないんだけど、ちょっと、頭痛と寒気が」
 けだるげに額を押さえる妻に近づき、弥勒は彼女の額に手を当ててみる。
「熱があるな。横になっていたほうがいい」
「でも、夕餉の支度があと少しで終わるから」
「あとは私が。おまえは少し休みなさい」
 珊瑚の手から包丁を取り上げ、弥勒は奥の寝間に夜具を延べて、彼女を寝かせた。
 彼が台所に戻ると、ちょうど、村の子供たちと遊んでいた弥弥と珠珠と翡翠が帰ってきたところだった。
「母上は?」
 この時刻、台所に母の姿がないことに子供たちは不思議そうな顔つきになる。
「母上は風邪で寝ているので、静かにな。父上はこれから薬草を煎じます。おまえたちの夕餉もすぐにできますよ」
「母上、お風邪?」
 子供たちは心配そうに顔を見合わせた。
「何かできることある?」
「では、弥弥は盥に水を汲んで、珠珠はきれいな手拭いを取ってきて、二人で手拭いを絞って母上の額にのせてあげてください」
「はあい!」
 双子がそれぞれの役目のために駆けていったそのあとに、残った翡翠が、次の指示を待つように父の顔をじっと見上げていた。
「翡翠は、そうだな、母上に粥だったら食べやすいか訊いてきてください」
「うん!」
 弥勒は微笑ましげに、幼い息子の後ろ姿を見送った。

 夕餉の準備を終えた弥勒は、子供たちに食事をとらせ、寝ている珊瑚のもとへ粥と煎じ薬を運んできた。
「珊瑚、具合はどうです?」
 そっと寝間を覗くと、額に絞った手拭いをのせた珊瑚が、弱々しい瞳を法師へ向けた。
「横になったら、一気に気が緩んじゃって」
「粥ですが、食べられますか?」
「食欲があまり。だるくて……」
 起き上がるのもつらそうだ。
 弥勒は彼女の額から手拭いを取り、そこに掌を当て、心配げに眉をひそめた。
「少し食べて、薬を飲んで、それからゆっくり眠るといい。身体を起こしますよ」
「って、えっ、弥勒さま?」
 粥や煎じ薬を載せた膳を枕元に据え、弥勒は彼女の上体をそっと背後から抱き起こして、自らの身体を彼女の背もたれにして支えた。
「食べさせてあげましょう」
「あ、あの……」
 珊瑚の頬が赫いのは熱のせいばかりではないだろう。
「あまりくっつくと、風邪をうつしてしまう」
「子供たちにうつしたら大変だが、私のことなら気にしなくていい。早めに薬を飲んでしっかり休むことです」
 箸では食べさせにくいだろうと、あらかじめ手頃な大きさの薬さじを用意していた。
 弥勒はその匙で珊瑚の口に粥を運んだ。
「熱いですよ」
「やだ、待って」
 恥ずかしそうに、それでも珊瑚は、されるままに口を開けて、彼の胸にもたれて粥を食べさせてもらう。
 いつになく甘える珊瑚を、弥勒は愛しげに見つめていた。
「弥勒さま、やさしい」
「この貸しは大きいですよ」
 彼の腕の中で幸せな気持ちに浸りながら、珊瑚はゆっくり食事を終えた。
「……ご馳走さま」
 食べ終わった珊瑚が夢見るように背後の弥勒の胸に頭をもたせかけようとしたとき、彼女はぎくりと固まった。
「どうした、珊瑚?」
 弥勒が珊瑚の視線をたどると、いつの間にか引き戸の隙間に三つの眼が縦に並び、寝間の中を覗いている。
 目が合うと、引き戸の向こうの三つの気配はきゃっと声を洩らして、ぱたぱたと逃げていった。
「……」
 おもむろに、珊瑚はもたれていた弥勒の胸から身を起こした。
「まいったな。子供は好奇心の塊ですから」
 弥勒は照れくさげに言って、椀と匙を膳に戻した。
 珊瑚は熱が上がったように真っ赤な顔をして、まだ固まっている。
「……あたしたち、あの子たちにどう見えたと思う?」
「母上が父上に抱かれて粥を食べさせてもらっていた……ように見えたでしょうな」
「困る! あの子たち、村の人たちに何でもしゃべっちゃうんだから!」
 弥勒は困ったように苦笑した。
「でも、もう見られてしまったわけですし」
「ちゃんと説明してよ?」
「説明?」
「母上は具合が悪くて、独りで身体を起こせなかったんだって」
「はいはい。だから、父上が母上を抱いて、支えてあげて、粥を食べさせてあげていたと言えばいいんですな」
 弥勒はむしろ楽しそうですらある。
 眩暈を覚えたように、額を押さえてうつむく珊瑚は、法師が差し出す煎じ薬の椀を受け取り、それを勢いよく飲み干した。
「……もう寝る」
 夜具に横たわり、衾をかぶる。
 拗ねた様子も可愛くて、弥勒は笑みを洩らした。
 もう少し彼女をなだめていたかったが、これから夕餉の後片付けをして、子供たちを寝かしつけなければならない。
「おやすみ、珊瑚」
 衾をかぶった珊瑚がこもる声でおやすみと応えたようだ。
 膳を持って立ち上がった弥勒は、静かに寝間をあとにした。
 今日の珊瑚への貸しは何で返してもらおうかと、楽しげに考えながら──

〔了〕

2014.11.3.