子供がいてもラブラブな夫婦に10題
06:一番大事なモノ
いつもは棚の上にしまってある珊瑚の木の小箱が、文机の上に出しっ放しになっていた。
たまたま、それに気づいた珠珠が、双子の弥弥を呼んだ。
その小箱には母の大切なものが収められていることを二人は知っている。
母の持ち物に、双子は興味津々だ。
「開けてもいいかな」
「ちょっとだけならいいんじゃない?」
双子にとって、母・珊瑚は、やさしくて、厳しくて、いろんなことを教えてくれて、美味しいものを作ってくれる憧れの大人の女性だ。
木の箱を開けると、ふわりといい香りがした。
「何だろう?」
「あ、これだ。匂い袋」
珠珠が桜模様の小さな巾着を手に取った。
蓋をされた木の箱の中に、匂い袋の香りが品よくこもっている。
(大人の香り)
弥弥と珠珠は憧れるように深呼吸をして、その香りを吸い込んだ。
質素な長方形の木の小箱に綺麗に収められた手鏡、櫛、元結いや匂い袋。母の持ち物を次々に手に取って、双子は見入る。
「これは何?」
「これ、珊瑚じゃない? 弥弥のと一緒。これは頭に飾るやつだよ」
弥弥は自分の首にかけた小さな巾着袋から小さな桃色の珊瑚を取り出して、それよりは濃い色の、母の珊瑚珠の玉簪と見比べた。
弥弥の“珊瑚”は、父・弥勒が念を込めたお守りで、同様に、珠珠は真珠を、弟の翡翠は自分の名前と同じ翡翠を守り石として身につけている。
「珠珠のと同じ真珠はないね」
「ないね。でも、これ見て」
次に二人の興味は貝紅に移った。
「これ、唇に塗るんだよね」
「でも、母上は塗ってないよ」
二人とも、その貝紅の紅を自分の唇に塗ってみたい誘惑に駆られたが、手や唇を紅くしていては、小箱をいじったことがあからさまにバレてしまう。ここはじっと我慢した。
村の子供たちの母親の中で、二人は自分たちの母上が一番美しいと思っていたが、珊瑚が簪や紅で着飾っているところを見たことがなかった。
正月に晴れ着を着ることはある。
だが、その上に紅を引いて玉簪を挿せば、さぞ美しいことだろう。
「あ、まだ何かあるよ」
端切れの下に隠れていたものを珠珠が取り出し、瞳を輝かせた。
「可愛い! 弥弥、これ何だと思う?」
弥弥も珠珠の手許を覗き込む。
「可愛い! お花? でも、小さいね。何に使うんだろ?」
それは、布で作られた、輪のついた小さな梅の花であった。
つい夢中になって、文机の前に座り込んでいた双子は、珊瑚が帰宅した気配に気がつかなかった。
翡翠が居間で寝入っていたので、身体に掛けるものを取りに来た珊瑚は、弥勒の文机の前で顔を寄せ合う双子の娘の姿を見つけ、瞳を瞬かせた。
「弥弥、珠珠、ここで何やってるの? 父上のものを勝手に触ると叱られるよ」
「あっ、母上」
弥弥と珠珠は慌てて振り向き、文机の上に散らかした品を気まずそうに背後に隠そうとした。
だが、床に落ちた小さな布の花に気づいた珊瑚は、それを手に取り、大きく眼を見開いた。
「これ、母上のじゃないか。どこからこれを持ち出してきたの」
「だって、机の上に箱が置いてあったから」
「ごめんなさい……」
けれど、珊瑚は二人を叱ることなく、どこか懐かしげに、恥じらうようにほんのりと微笑を浮かべて、それを見つめた。
「ねえ、母上。それ、なあに?」
珊瑚はそこに膝をついて、双子の娘の小さな手を取った。
「こうやって、指にはめるの。おしゃれする小物だよ。でも、弥弥の指にも珠珠の指にも、少し大きいね」
一人ずつ、順番に娘たちの指にはめてやる。
「これ、どうしたの?」
「父上にもらったんだよ。指輪っていってね。かごめちゃんの故郷にある装身具。父上が母上に作ってくれたんだ」
珊瑚への想いを形にするため、弥勒が手ずから縫ってくれた梅の花。
白い花びらが雪のように舞い散る下、互いの手を取り、散ることのない想いを誓い合ったあのときのことを思うと、今も珊瑚は仄甘い想いに満たされる。
「おまえたちが生まれるずっと前のことだよ。これをつけて家事はできないけど、でも、とても大事なものだから、大切にしまってるんだ」
「母上の一番大事な宝物?」
「そうだね。母上の宝物のひとつ。でも、一番大切なものは他にあるよ」
双子は同時にぴんとくるものがあって、ちらと目配せしあった。
この小箱に収められた品は、ほとんどが父上から贈られた品物なのではないか。
「解った! 母上が一番大事なのは、父上だ」
当然のように指摘され、珊瑚はやや照れ臭そうに苦笑を浮かべた。
「違わないけど、ちょっと違う。母上が一番大事なものは、父上が一番大事だと思うものと同じだよ」
「うーん?」
二人は一緒に愛らしく首を傾ける。
「今夜、父上に聞いてごらん。それから、母上の梅の指輪を見つけたって言えば、父上はきっと弥弥と珠珠にもお花の指輪を作ってくれるよ」
「ほんと?」
にっこりと珊瑚はうなずいた。
「欲しいんでしょ? 弥弥と珠珠の頼みなら、父上が聞いてくれないはずないじゃないか」
「父上も母上も大好きー!」
弥弥と珠珠は歓声を上げて、母の珊瑚に抱きついた。
夕餉のあと、弥勒と珊瑚、弥弥と珠珠と翡翠は、囲炉裏を囲み、静かな時間を過ごしていた。
双子の姉たちが父の弥勒にくっついているので、翡翠は母を独り占めし、縫い物をする珊瑚の横に陣取り、積み木で遊んでいる。この積み木は、かごめの発案で犬夜叉と七宝で作ってくれたものだ。
「ねえ。父上の一番大事なものって何?」
父親の両側に座る双子の一人、珠珠が問うた。
反対側にいる弥弥も訊く。
「母上?」
弥勒は、愛娘たちのために、端切れで新たな花の指輪を縫っていた。
「そうだな。弥弥と珠珠が生まれるまでは、母上が一番でした。でも、今は比べられないくらい大切なものが他にもあります」
「それ、なあに?」
「おまえたちですよ。弥弥と珠珠と翡翠。父上と母上にとって、一番大事なのは家族です」
言いながら、弥勒が視線を上げると、囲炉裏の向こうにいる珊瑚も彼を見てふわりと微笑んだ。
弥弥と珠珠は照れ臭そうに左右から弥勒にもたれかかる。
「父上も母上も一番がいくつもあるの?」
「変なの、いくつもあったら一番じゃないよ」
「では、弥弥と珠珠の一番大事なものは何ですか?」
「ええと……」
双子は考える。
守り石も大事。
父上も母上も翡翠もみんな大事。
父が作った布の花の指輪も、きっと宝物になる。
「決められないでしょう? それでいい。大事なもの、大好きなものを、これからもたくさん見つけなさい」
大事なものがたくさんある幸せ。
そんな幸せを、弥勒は犬夜叉たちと出会い、珊瑚と出逢って、初めて知った。
愛しいおなごと夫婦になり、愛しい我が子に囲まれる生活。
「全ては珊瑚が私と夫婦になって、私の子を産んでくれたおかげだな」
「弥勒さまったら」
器用に針を使う父の手許を飽きずに見つめ、花の指輪が二つできあがるのをじっと待つ弥弥と珠珠。
ときおり母に話しかけ、熱心に積み木で遊ぶ翡翠。
弥勒と珊瑚は、そんな子供たちの様子に満足げに視線を交わし、微笑みあう。
幸せな時間。
この団欒のひと時が、弥勒と珊瑚の一番の宝物だった。
〔了〕
2014.12.17.