花鬘

 一面に蓮華草の花畑が広がる。
 その花畑の中に座り込む法師は、さっきから真剣に黙々と花を編んでいる愛しい娘の姿を横目で窺った。
 自分のことなど目もくれずに花を編む、そんな娘の様子に、彼女に気づかれないよう、そっとため息をこぼす。
 想いを告白して、将来を誓い合ってから、初めて二人きりなったというのに。
 肩を抱くなり手を握るなりして甘い言葉をささやくはずだったのが、どうしてこうなった?
「あたしのほうが長い」
 珊瑚が編んだ花を持ち上げ、法師の手の中にある編みかけの花と比べて言った。
「法師さま、ちっとも楽しそうじゃないね」
「そんなことはありませんよ。珊瑚は楽しいですか?」
 うん、と珊瑚は小さくうなずいた。
「こんな……さ」
 視線を手許に落とし、編んだ花で輪を作りながら、珊瑚は低い声で答えた。
「綺麗な場所で、哀しいことを考えずに無心に時間を過ごせるなんて、本当に久しぶりだ。誘ってくれてありがとう、法師さま」
 法師はふと珊瑚を見遣る。
 おもむろに立ち上がった珊瑚は彼のそばに膝をつき、彼の頭に花の冠を載せた。
 じっと自分を見つめる弥勒と目が合うと、彼女は少し恥ずかしそうな表情を見せた。
「でも、これを頭に載せて、みんなのところへ帰るわけにはいかないね」
 弥勒はふっと笑って、珊瑚の手を取った。
 彼女の細い手首に、自分が編んでいた花を巻きつけ、輪にする。
「これくらいなら、邪魔になりません」
「可愛い」
 ほんの微かではあったが、珊瑚が笑ってくれたので、ついさっきまでいだいていた不満もどこかへ行ってしまった。
「花がしおれるまで、つけていてください」
「……うん」


「そんなこともあったなあ」
 花を編む弥勒は懐かしげに言った。
 一面に蓮華草の花畑が広がる中、彼は鷹揚に編んだ花の長さを確認した。
「覚えてないの?」
「いや、覚えている。だけど、おまえが覚えているとは思わなかった」
「琥珀以外の、それも年上の男の人と、妖怪退治以外で二人きりで過ごすなんてほとんど初めてだったから、あのとき、かなり緊張したんだよ?」
 緊張して法師の顔が見られなくて、黙々と花を編んでいた。
「そうか」
 花を輪にする法師の口許が綻んだ。
 今、花を編む弥勒と珊瑚の周りには三人の幼子がいる。
 双子の娘の弥弥やや珠珠すず、そして、その弟の翡翠。弥勒・珊瑚夫婦の宝物たちだ。
「はい、ひとつできましたよ。一番は誰ですか?」
 出来上がった蓮華草の冠を振りながら子供たちに問うと、花を摘んでいた一人が立ち上がって父のもとまで駆けてきた。
「一番は弥弥。載せて、父上」
 弥弥の小さな頭に弥勒は恭しく花の冠を捧げる。
「蓮華の姫君の出来上がりですな」
 蓮華草を頭に飾って、嬉しそうな弥弥が、その姿を母に見せに来た。
「可愛い?」
「ああ、可愛いよ。お姫様みたいだ」
 母親の言葉に満足して、弥弥は珠珠と並んで座り込み、自らも花を編み出した。
「珠珠、母上が編んでるのがもうすぐできるからね」
「父上のができるまで待ってる」
 珠珠は父親っ子だったが、えっと珊瑚は瞳を瞬かせた。
「なんで母上のじゃ嫌なの?」
 花を編んでいる小さな手許に視線を注いだまま、珠珠は答える。
「母上と弥弥と珠珠は、らいばるだから」
「らいばる? ……何それ」
「かごめちゃんが言ってた。弥弥と珠珠と母上は父上を巡る“恋のらいばる”だね、って」
 怪訝そうな珊瑚に向かって大真面目に説明する珠珠。弥勒は笑いを噛み殺している。もちろん、かごめは冗談のつもりで言ったのだ。
「その言葉なら知ってます。恋敵って意味ですよ」
「恋敵? あたしと弥弥と珠珠が?」
 珊瑚の瞳が驚きに軽く見張られた。
「いやだ、かごめちゃんたら。いくらなんでも娘を相手に」
「でも、かごめちゃんが言ってたもん。ねー、弥弥」
「ねー。弥弥と珠珠は母上の“強力ならいばる”なんだよ?」
 まばたきを繰り返す珊瑚は、どう言い返しても子供を相手に大人げないと法師に指摘されそうで、言葉をつまらせた。弥勒はくすくす笑っている。
 気を取り直して、珊瑚はすぐそばで一心に花をいじっている翡翠に声をかけてみる。
「翡翠はそれ、母上に編んでくれてるんだよね」
「ううん。ハチの」
「……」
 この場合、誰に焼きもちを妬くべきだろうか。
 途方に暮れた様子の妻に、法師がそっと近寄った。
「珊瑚」
 ふわりと頭に載せられたものがある。
「おまえの分は、いつだって私が編みますよ」
 頭に手をやって夫を振り返ると、いつの間に編み上げたのか、蓮華草の冠があった。春風のように微笑する弥勒は、妻に甘くささやきかける。
「そのほかのことでも何なりと」
 くすぐったそうに珊瑚は笑った。
「……じゃあ、あたしのも受け取ってくれる?」
 編んでいた花の長さを調節して、珊瑚は弥勒の手首に巻きつけた。
「あのときと逆だな」
 数年前、彼に結んでもらった蓮華草の腕輪を思い出し、珊瑚は幸せそうに微笑んだ。
 花はしおれてしまっても、大切な思い出は心の中にしまってある。
「あ、お花の腕輪。珠珠にもして」
「弥弥も欲しい」
 双子に左右から抱きつかれ、珊瑚はやや得意げににっこりした。
「母上とは“らいばる”なんでしょ? これは父上だけにあげるの」
「ケチー!」
「娘に張り合ってどうするんですか」
 苦笑する弥勒は、だが、まんざらでもなさそうだ。
「いいもん。父上に作ってもらうもん」
「では、自分で作ってみましょうか、弥弥、珠珠。教えてあげます。編んだ分を出して。父上は母上に睨まれたくありませんから」
「何よ。また自分だけ点数稼いで」
「おまえが一番ってことです」
 意味ありげに笑った夫を見て、仄かに頬を染めた珊瑚はふいっと彼から顔をそらせた。
「ほら、おまえたち。今ですよ」
「母上、お花の冠、よく似合う」
「母上、きれい、お姫様みたい」
 弥勒の合図で弥弥と珠珠がそろって声を上げたので、驚いて振り向いた珊瑚は、毒気を抜かれて困ったように微笑を洩らした。
 その可愛らしいお追従に。
「もう。二人とも、変なところばかり弥勒さまに似るんだから」
「変なところってなんですか。ねえ、弥弥。ねえ、珠珠」
「うん。変じゃない。父上大好き」
「母上も大好きだよ」
「翡翠は? やっぱりハチが一番なんでしょうな」
 まだ上手く花を編むことができない翡翠は、一人黙々と蓮華草をいじっていたが、両親と姉たちの笑い声にびっくりしてきょとんと顔を上げた。

 霞むような春の彩りは、佐保姫からの贈り物。
 仄かな紫の美しい色彩が彼らをやさしく包んでいた。

〔了〕

2010.12.21.