六花

 静かな冬の午後、弥勒は部屋にこもって書き物をしていた。
(冷えてきたな)
 子供たちは何をしているのだろう。
 そう思ったとき、ぱたぱたと軽い足音が三つ、彼のいる部屋の前まで近付いてきて、とまった。
「父上ー?」
 そっと戸が開かれ、遠慮がちな声で呼ばれる。
 仕事中だということは解っているらしい。
「どうしました? 弥弥、珠珠。それに翡翠まで」
 筆を置いて、弥勒がやわらかな調子で尋ねると、三人はそうっと部屋に入ってきた。
「あのね、父上のこれ、貸してほしいの」
 そう言って弥弥が引っ張ったのは袈裟だ。
「袈裟をどうするんです?」
「あのね、雪、降ってきたの」
 重大な秘密を打ち明けるように珠珠が言うと、
「雪、いっぱい」
 と、翡翠も嬉しそうに声を上げた。
「ほう。初雪ですか」
 弥勒は立ち上がって窓を開けた。
 白い小さな花びらのような雪が、次から次へと、空からふわふわと舞い降りてくる。
「道理で冷えると思いました」
「弥弥、珠珠、翡翠。ここにいるの?」
 子供たちの名を呼び、三人分の衣を手にした珊瑚が、ひょいと顔を出した。
「父上の邪魔をしちゃ駄目だよ」
「でも、母上。父上のが要るんだもん」
「みんな、あっちで話そう。ごめんね、弥勒さま」
 珊瑚はすぐに子供たちを連れていこうとしたが、弥勒が彼女を呼びとめた。
「構いませんよ。ちょうどひと休みしようと思っていたところです。それより、袈裟を何に使うんです?」
「おまえたち、父上の袈裟を借りに来たの?」
 こくんとうなずいた双子を見て、珊瑚はくすりと笑った。
「袈裟だと大きすぎるよ。はい、これでいい?」
 珊瑚が三人に渡したのは弥勒の緇衣と同じ色の布だった。
「それから、風邪ひかないようにこれを着て」
 持ってきた小さな綿入れを、三人にそれぞれ着せてやる。
「はい、準備完了。行っていいよ」
「わーい!」
 三人は歓声をあげて、外へ出ていった。
「何事です?」
「雪の花をつかまえるんだって」
 楽しげに答える珊瑚を見て、弥勒は眉を上げた。

 子供たちは、庭を走り廻っている。
 ふわり、ふわり、舞う雪をつかまえようと、手に持った黒い布で小さな白い花をすくうようにして受け止める。
 そんな子供たちの様子を濡れ縁に座って眺めていた弥勒のもとに、少し疲れたらしい双子の一人、弥弥がやってきた。
「ふう」
「雪の花をつかまえられましたか?」
「ううん。だめ」
 弥弥は雪がのった黒い布を父親に見せて言った。
「ちゃんと雪がつかまってるじゃないですか」
「だめ。父上みたいなお花じゃないもん」
「私みたい?」
 弥勒は、濡れ縁によじ登ろうとする弥弥に手を貸して、彼女をそこへ座らせてやった。
「前に、父上が弥弥と珠珠に見せてくれた雪のお花を、翡翠にも見せてあげるの」
 緇衣に偶然ついた雪の結晶を、幼い弥弥と珠珠に見せたことがある。
 弥弥の話を聞いて、弥勒は子供たちがつかまえようとしているのはただの雪ではなく、雪の結晶なのだと理解した。
 あのとき、翡翠は赤ん坊だった。これは弥弥と珠珠の前からの計画なのだろう。
「そうですか。雪の花は簡単にはつかまらないかもしれませんが……弥弥も珠珠もやさしい、いい子だな」
「だって、お姉さんだもん」
 弥勒の大きな手で頭を撫でられ、弥弥は嬉しそうに顔をほころばせた。
「楽しそうだね」
 不意に、後ろから声がかけられ、五人分の茶碗を載せた盆を持った珊瑚がやってきた。
「冷えただろう? 葛湯、作ってきたんだ」
 珊瑚は縁に膝をつき、盆を置いた。
「はい、弥弥」
「母上、ありがとう」
「熱いから気をつけて」
 弥弥は冷たくなった手で茶碗を受け取った。
 じんわりと指先から温まっていく。
「はい、弥勒さま」
「私は雪見酒がいいですな」
 受け取った葛湯の湯気をふっと吹いて弥勒が催促するように言ったので、珊瑚は苦笑した。
「昼間から呑む気なの?」
「では、夜になったら一緒に呑みましょう」
 逢い引きを誘うように手を伸ばして彼女の額髪をなぶる彼の指を、少し恥ずかしげに珊瑚ははたいた。そして、子供たちの名前を呼ぶ。
「珠珠、翡翠! あったかいもの飲んで、少し休憩しなさい」
「はあい!」
 絶え間なく降り続ける雪をかぶって、二人は濡れ縁のところまで帰ってきた。
「雪の花、つかまえられた?」
「だめー」
 雪を受けた黒い布に目を落とし、珠珠が答える。
「翡翠も駄目だったの?」
「うん」
 残念そうに、翡翠は上目遣いに母親を見て、手にした布を見た。
「まあ、三人とも、頑張るだけでは雪の花は見つけられません。運も味方につけなければな」
「運?」
 翡翠が首を傾ける。
「そう、幸運だ。滅多にないことを起こす力です」
「ふうん」
 ふう、とひと息つき、珠珠は手にした布を縁に置いて、翡翠に近づいた。
 小さな弟の髪や肩についた雪を払ってやろうとしたのだが、ふと見ると彼の肩に、白くて小さな──
「父上! 父上、雪のお花、見つけた! 母上、弥弥、見て!」
 弥弥は身軽に濡れ縁から降り、弥勒と珊瑚は身を乗り出して、翡翠の背中を覗き込んだ。
「あ……」
「ほう」
 肩の辺りに、とても小さな、美しい六角形の結晶がくっついている。
 弥弥と珠珠が歓声を上げた。
「見つけた、つかまえた!」
 二人の姉が大喜びする中、当の翡翠はもどかしげに身をよじり、その場をよろよろと後ろへ後ろへと回転していた。
「見えないー」
 弥勒と珊瑚は顔を見合わせ、声を立てて笑った。
 すぐに弥勒が翡翠を濡れ縁に上げ、珊瑚が彼の着ている綿入れを、結晶が壊れないよう細心の注意を払って脱がせてやった。
「ごらん。これが雪の花だよ」
「雪の花……」
 珊瑚が示す結晶を、翡翠は大きく眼を見張ってじっと見つめた。
「すごいぞ、翡翠。自分で雪の花をつかまえたんだ」
 弥勒の言葉に翡翠は誇らしげに頬を紅潮させる。
 そして、ふわっと笑顔になった。
 翡翠を真ん中に、子供たちはしばらく熱心に雪の結晶を見つめていたが、それに触れようとした翡翠の手の中で、花はあっさり溶けてしまった。
「消えた」
「雪は消えるんだよ、翡翠」
「また、つかまえよう?」
 残念そうな弟を二人の姉がなだめる。
 それから、弥勒と珊瑚と三人の子供たちは、濡れ縁に並んで座り、熱い葛湯を飲みながら、はらはらと降る雪を眺めた。
 翡翠がつかまえた雪の花は消えてしまったけれど、明日はおそらく一面が銀世界になっているだろう。
 静かに降り続ける天華を不思議な気持ちで見つめていると、突然、誰かがくしゃみをした。

 白くて冷たい神秘のかけらは宇津田姫からの贈り物。
 空から舞い散るつの花が、彼らの家をやさしく包み込んでいた。

〔了〕

2011.1.28.