ある王国の夜話
夜の帳に包まれた支那の王宮の一室で、豪奢な天蓋付きの寝台に、方士・弥勒は寝衣姿で横たわっていました。
ここは支那の姫君・珊瑚の部屋です。
旅から帰って、二人は無断で国外へ出たことに対して、国王から厳しいお叱りを受けましたが、罰らしい罰も受けず、無事、結婚を許してもらうことができました。
弥勒と珊瑚の強い想いは、珊瑚の父である国王にも伝わったようです。
王はすぐに姫と方士の婚礼の準備に取りかかることを決め、明日からは何日もかけて結婚を祝う宴が開かれることになりました。
珊瑚の希望で婚姻契約書を先に作成したので、今夜から弥勒は、珊瑚の寝室で休むことを許されました。
控えの間で優美な寝衣に着替え、うっすらと寝化粧を施した珊瑚が、侍女を下がらせ、弥勒のいる寝台のそばまでやってきました。
手にしたランプの灯が、薄闇の中に彼女の姿を幻想的に浮かび上がらせ、姫の清楚な美しさに妖艶な色を加えています。
旅の途中、幾度も方士と肌を合わせた珊瑚姫でしたが、王宮の自分の部屋に弥勒がいるというのは何となく不思議な感じがして、緊張感を覚えます。
「……弥勒さま」
「こちらへ。とても綺麗ですよ、珊瑚」
枕元の卓子にランプを置き、珊瑚は寝台の上に上がりました。
伸ばされた弥勒の腕に誘われるまま、横たわる彼の上に覆いかぶさり、そっと唇に口づけます。
ゆっくり顔を離そうとした珊瑚は、しかし、すぐに後頭部を押さえられ、口づけは深いものへと変わりました。
「困った」
吐息のように弥勒がささやきます。
「ものすごくおまえを欲しい気持ちと、ものすごく眠い気持ちが、今、せめぎあってる」
くす、と珊瑚は微笑を洩らしました。
「あたしはどこにも行かないよ。結婚したからって、別に何もしないで眠ったっていいじゃないか。弥勒さま、疲れてるんだろう?」
考えてみれば、珊瑚と離れ離れになっていた七日間、弥勒はほとんど飛行と魔女退治に時間を費やしていたのです。
相当の体力を消耗しているでしょう。
珊瑚の指先が遠慮がちに彼の前髪をもてあそびました。
「ゆっくり眠って? あたしは少し、弥勒さまの寝顔を見てる」
「緊張して眠れません」
髪をなぶる珊瑚の手を捉えた弥勒は、その指をやわらかく噛み、ふと思い出したように、
「私が魔女と闘っている間、ずっとおまえは宴だったんだな」
と、つぶやきました。
言われてみればその通りなのですが、宴を楽しんでいたわけではありません。
珊瑚は少しむっとして彼の手の中から己の手を引き、広い寝台に無造作に身を投げました。
「宴っていっても、弥勒さまの結婚の宴なんだよ? 楽しめるわけないじゃないか」
「すまん。おまえは精神的に闘っていたんだな。明日からはおまえの結婚の宴ですよ」
「あたしと弥勒さまのね」
ランプの灯が室内に影を生み、その中に息をひそめるように、二人は寄り添い、瞼を閉じました。
「館を買おう」
ふと、弥勒が言います。
「街中でも郊外でも、おまえの好きなところに。二人だけで……ああ、姫君を迎えるのだから、召使いは必要だな」
「父上は王宮の一隅を使えばいいって言ってたけど。弥勒さまは宮殿を出たいの?」
「宮殿にいると、社交が煩わしいんです」
弥勒はもともと王宮の中に部屋を持っていますが、旅に出ていることが多く、また、国許にいるときはたいてい、師である夢心の家に泊まっていました。
「なんだったら、夢心さまのところに同居してもいいよ?」
珊瑚の言葉に、弥勒は面白そうな色を浮かべます。
「あそこは狭いし、こう言ってはなんですが汚いので。別に居を構えたほうがいい」
「そう。じゃあ、弥勒さまに任せる」
珊瑚は仰向けていた身体を弥勒のほうへ向け、
「ねえ」
「なんです?」
「抱いて」
珊瑚にしてはあまりに直接的な言葉に、弥勒は意外そうな顔をしましたが、彼女の肩から腕、背中から腰の線を掌でなぞりました。
「珊瑚が望むなら拒みませんが」
「……違うよ。そうじゃなくて、抱きしめてほしいの」
「ああ、はい」
弥勒は姫の身体を抱き寄せます。
方士の胸に顔を埋める姫。
力を込めると、珊瑚のやわらかい肢体を腕の中に生々しく感じます。
薄い寝衣を通して伝わる華奢な肩や腰、豊かな胸。仄かに香る薔薇水の香り。
「やっぱり、珊瑚……」
「ありがと。次は、弥勒さまの寝顔が見たい」
「……焦らす気ですか?」
悪戯っぽく笑う珊瑚を寝台に押しつけ、方士はその首筋に唇を這わせました。
「やっ、眠るって言ったくせに」
「しょうがないでしょう。おまえが誘うから」
「誘ってない……んっ」
言葉は全て、彼の唇に呑み込まれていきます。
長い口づけが終わり、珊瑚がため息を洩らすと、弥勒は彼女の寝衣をそっと脱がせました。
寝衣の下には何もまとっていません。
ランプの光に照らされた、二人だけの長い夜の始まりです。
Fin.
2010.7.24.