微エロな5題・「痛」

05:傷跡を撫で、舐める

 雨は突然降ってきた。
 楓の村近くの山へ、二人きりで茸狩りに訪れていた弥勒と珊瑚は、次第に激しさを増す雨の中、急ぎ足で斜面を歩く。
「確か、狩猟用の山小屋があったはず。ひとまず、そこで雨宿りしましょう」
「うん」
「珊瑚、足許に気をつけて」
「法師さまも」
 集めた茸を入れた籠をかかえ、雨を避け、法師と退治屋の娘は山小屋への道を急いだ。
「……ふう」
 ようやく小屋へ到着したときには、二人ともびしょ濡れだった。
「まいったな」
「今日は雨が降るなんて思ってなかったね」
「移ろいやすきは秋の空、か」
 空を見遣る弥勒の背後で、珊瑚は手に持っていた茸の籠を小屋の中の板の間に置いた。
 そして、褶を外し、ぱたぱたと振って雨を払った。
「このままでは風邪をひくな」
 ため息のような彼の声に珊瑚が振り向くと、彼は袈裟を解き、濡れた髪の元結いも解いて、水滴を払うように頭を振った。
「幸い、濡れているのは表着だけのようだ。珊瑚は?」
「……あ、あたしも」
 不意に見てしまった弥勒の仕草がひどく色めいて見えて、珊瑚はどぎまぎとうつむいた。
「脱ごう」
「は?」
「濡れたものをまとっていると風邪をひくぞ。どうせ、しばらくは動けまい。体温を奪われないうちに小袖を脱いで、乾かそう」
 珊瑚は反射的に胸元を押さえ、慌てたように周囲を見廻した。
「大丈夫、誰もいません」
「……」
「何か?」
 彼女は上目遣いに法師を睨んだ。
「法師さまがいる」
「見慣れているから、平気ですよ」
「みっ、見慣れて、って……!」
 娘の顔がかああっと熱を持つ。
「なおさら嫌っ!」
 背を向けてしまった珊瑚の肩を、法師がそっと後ろから抱く。
「困ったものですな。二人きりの夜はいつも脱いでくれるのに」
「っ!」
 怒った珊瑚に手を思いきりつねられ、これ以上、娘の機嫌を損ねてはまずいと思った弥勒は、ため息をつき、お手上げ、というふうに両手を上げた。
「解りました。見ませんよ。私は背を向けていますから、濡れた小袖を早く脱ぎなさい」
 すぐに弥勒は珊瑚の背後から身を引いて、自分の帯を解き、緇衣を脱ぎ出した。
 その衣擦れの音を聞きながら、なおも動かずにいる珊瑚の気配に、弥勒は苦笑交じりに声をかける。
「秋の雨は冷たい。本当に風邪をひきますよ?」
「じゃ、じゃあ、表着だけ……」
 ぎくしゃくと帯に手をかけ、ようやく珊瑚は濡れた小袖を脱ぎ始めた。

 濡れた法衣や小袖を小屋の中に干し、肌小袖姿になった弥勒と珊瑚は、板の間に座り、背中合わせに降りしきる雨の音を聞いていた。
「やみそうにないな」
「そ、そうだね」
「やんだとしても、山道が濡れているから、村に帰りつくのはかなり遅くなりそうですな」
「そう、だね」
「まあ、雲母が気を利かせて迎えに来てくれることを期待しましょうか」
「う、うん。そうだね」
 硬くなって低い声で応じる珊瑚の戸惑いが、見なくとも手に取るようで、弥勒は苦笑をこぼす。
「珊瑚。そう意識されると、却って私も落ち着かないのだが」
「だ、だって」
 ともに髪を解き、肌小袖姿である。
 少し距離を取って、互いに背を向けてはいるものの、森閑とした薄暗い小屋の中に二人きりでいる雰囲気は、閨での記憶を思い起こさせる。
 珊瑚が頬の熱さを持て余していると、ふと、弥勒が立ち上がる気配がした。
「では」
 彼は珊瑚のすぐ後ろに腰を下ろし、すっと背後から娘の肩に両腕を廻して、翅のように抱きしめてきた。
「せっかく期待してもらっているのですから」
「えっ?」
「温め合いましょうか」
 悪戯っぽく耳元にささやかれる。
「あっ、あたし、期待なんか……!」
 思わず振り返って抗議しかける珊瑚だったが、髪を下ろした弥勒の顔を見て、頬を朱に染め、再び固まってしまった。
「なんか、ずるいよ、法師さま」
「どうして。いつもと雰囲気が違うから? それを言うなら、珊瑚こそ、髪を解いただけでこんなにも艶めかしく、私の心を乱しているとは、おまえは考えたこともないでしょう」
 言いながら、弥勒は珊瑚の耳朶を食み、背後から廻した手で珊瑚の肌小袖の衿をくつろげた。
 まだ湿っている長い髪は、束ねて左の肩から前に流し、そして、白い首筋に口づける。
「ん──
「おまえの肌は熱いな」
 唇はそのまま、うなじに移動した。
「おまえの熱が欲しい」
「あっ……」
 そこを強く吸われ、舌で嬲るようにされ、珊瑚の背筋を甘い戦慄が駆け抜けた。
 とうに、抵抗する気は失せている。
 娘の肌に唇を這わせる弥勒は、彼女の肩から肌小袖を滑らせた。
 その動きがふと止まる。
 肩から衣を下ろされ、うつむいて自分を抱くようにして胸元を隠していた珊瑚は、そっと耳で法師の様子を窺った。
 と、彼の指先が珊瑚の背中をなぞった。
「……法師さま?」
「近くにいても、護れない傷があるんだな」
 法師の手は背中の傷跡をなぞっていた。
「これは、法師さまに出逢う前の傷だから」
「だが……その場に私がいれば、代わってやれたかもしれないのに」
 弥勒の唇がその傷に触れる。
「うら若いおなごには痛々しすぎる。退治屋のおまえにこんな言い方をしては、気を悪くするか?」
 弥勒の左の掌が、珊瑚の背中の傷をゆっくりと撫でた。
 くすぐったいような、甘いような──
 鼓動が響き、珊瑚は、胸元を覆う肌小袖をぎゅっと握りしめた。
「いいんだ。この傷跡があるから、琥珀がまだ生きていると実感できる。それとも、女にこんな傷があるのは見苦しい?」
「いや。ただ、珊瑚に傷があることがつらい。己の無力を見せつけられるようで」
「法師さまも言ったじゃないか。あたしは退治屋だから。だけど、法師さまを不快にさせていたら……」
「胸が苦しくなるだけです。……苦しいほど、珊瑚が愛おしい」
 退治屋とはいえ、女だから。
 傷をつけたのが血を分けた弟でなかったなら。
 弥勒の胸も、これほど痛みはしなかっただろう。
「これから先、また、おまえに傷が増えるようなことがあったら……そのときは、私が必ず護ってみせる。これ以上、何ものにも珊瑚を傷つけさせはしない」
「あっ……!」
 濡れた感触が珊瑚の背をなぞった。
 躰の芯が甘くうずき、珊瑚は思わず声を洩らしていた。
 珊瑚の傷を癒すように、また、その傷と同化しようとするかのように、弥勒は執拗に傷跡を舐めた。
「法師さま……」
 小屋の外ではまだ雨の音が聞こえる。
 大気は冷えてきたが、熱を持った珊瑚の躰を弥勒は抱き寄せ、自分のほうへ向かせ、その唇に己の唇を重ねた。
 長い──長い、口づけ。
 弥勒の手が珊瑚の背の傷を撫で、彼女をその場に静かに押し倒した。
 躰が重なり、熱が重なる。
 やがて、その熱はひとつに溶け合った。

〔了〕

2016.10.22.

お題は「TOY」様からお借りしました。