微エロな5題・「痛」

04:手首を縛った跡

 崖沿いの険しい道だった。
 雲母のいない二人だけの道行きだったが、目的地への近道のため、弥勒と珊瑚は、あえてその道を通っていた。
 道幅が狭く、片側は、ほぼ直角に切り立った険しい崖になっていて、弥勒が先に歩き、珊瑚が彼の後ろに続いた。
「珊瑚、そこ、気をつけて」
「うん。ありがと、法師さま」
 娘を気遣い、弥勒はたびたび彼女を振り向き、声をかける。
 と、
「うわっ……!」
「法師さま!」
 法師のほうが、砂利に足を取られ、あっという間に崖を滑り落ちてしまった。
 慌てて珊瑚がその場に膝をついて崖下を覗くと、弥勒は崖の斜面に枝を伸ばした木の上にうまく引っかかっていた。
「びっくりさせないでよ、法師さま。大丈夫?」
「……私もびっくりした」
 小袖姿の珊瑚は、すぐに飛来骨を下ろして自分の荷をほどき、縄を取り出した。
「法師さま。今、縄を下ろすから」
「ああ」
 珊瑚は適当な長さを取って縄を己の手首に巻き付け、分銅のついた縄の先を崖の下の弥勒に投げる。彼がそれを受け取ったのを確認してから、彼女は細い崖沿いの道をできるだけ後ろへ下がり、彼の体重を支えた。
 受け取った縄を自分の左手首に巻き付けた弥勒は、それをしっかりと握り、足場を蹴って反動をつけ、軽々と崖を登った。
「ふう」
 崖の上の道まで登り切った弥勒は、手首の縄を解いて、やれやれといったふうに吐息を洩らす。
「惚れたおなごに助けてもらうとは、格好がつかんな」
「あたしのこと、気にかけてくれてのことだから。……嬉しいよ」
 縄を巻いて荷に戻した珊瑚は、法師の手首に赤く残された縄の跡に気づき、眉を曇らせた。
「赤くなってる」
「ああ、どうってことありません。すぐ消えるだろう」
 だが、ふと気づき、弥勒は珊瑚の手を取った。
 彼女の両手の手甲を外すと、やはり縄を巻き付けていた跡が、右の手首に赤く残っている。
「悪かったな」
「平気。あたしは手甲をしてたから、法師さまほどはっきり跡がついているわけじゃないし」
 それでも、弥勒は白い肌に薄く残る赤い縄の跡に痛々しさを感じ、愛おしげにそっと唇を当てた。
 手首の外側に。
 内側に。
 そして、なぞるように軽く舌を這わせる。
「法師さま!」
 腕から背筋に甘い戦慄が走り、珊瑚はびくりとなった。
 驚いた娘の頬が赫い。
「舐めるという行為は、癒すということでもあるんですよ」
「そりゃ、動物は傷を舐めて治すけど、法師さまがすると、なんか別の意味に見えるというか……」
「他意はないのに。……珊瑚は、どんな意味だと思ったんです?」
 そらとぼけた声音を聞いて、珊瑚はちらと法師を睨み、頬を染めてうつむいた。
 二人の手首には、おそろいの赤い縄の跡。
「ねえ、法師さま。前に、かごめちゃんが言ってたんだけど、結ばれることが決まっている男女は、運命の赤い糸っていう目に見えない糸で繋がっているんだって」
「運命の赤い糸ですか」
「まるで、その跡みたいだね。これ」
 と、珊瑚は恥ずかしそうに言った。
「あたしたちのは、糸じゃなく縄で、しかも赤いのは手首に残ったその縄の跡だけど」
「大陸の月老の話のようだな」
「何、それ?」
「大陸には、結ばれる男女の足首に、縁結びの神が赤い縄を結ぶという逸話があるんですよ」
「そうなんだ」
 珊瑚は少し嬉しげに弥勒の手を取り、縄の跡がついたその手首に、自分からもそっと口づけた。
 こんな無粋な縄の跡でも、彼との繋がりであることを愛おしく思う。
「そう思うと、跡が消えるのが淋しい気がするね」
「縄とはいかんが、珊瑚が望むなら、赤い跡が消えないよう、毎日、新しくつけ直してあげますよ」
「どうやって?」
「こんなふうに」
 弥勒は、珊瑚のもう片方の手を取って、その白い手首に唇を押し当て、強く吸った。

〔了〕

2015.12.26.

お題は「TOY」様からお借りしました。