微エロな5題・「密」

02:髪を結う

「あ」
 戻ってきた飛来骨を受けとめ、顔を上げた珊瑚は思わず声を洩らした。
 視線の先に、こちらへ背を向けた法師の後ろ姿があったのだ。
「なんです、珊瑚?」
「あっ、法師さま、そのまま前を向いてて」
 振り返ろうとした弥勒を制し、珊瑚は弥勒のさらに向こうにいる犬夜叉とかごめに声をかけた。
「犬夜叉、かごめちゃん。あたし、ちょっと向こうの川へ行ってくる」
「どうかしたの?」
 弓を持つかごめが振り向いて応じた。
 一行は、今、雑魚妖怪の群れを片付け終わったところだ。
「えっと……飛来骨を洗ってくる。妖怪の返り血が付いたから」
 仲間たちよりもずっと珊瑚の近くにいた弥勒がやや意外そうな顔をした。
 大抵の妖怪の肉片や返り血は、飛来骨はその勢いで弾き飛ばしてしまうからだ。
「すぐ戻るから」
 そう言って、珊瑚は遠慮がちに弥勒を見た。
「私も行きましょう」
 一緒に来てほしいのだとすぐに察し、彼は彼女についていく。
 弥勒と珊瑚は、二人だけで石や岩が目立つ広い河原を訪れた。
「どうしたんです? 私に内緒話ですか?」
 河原の大きな岩に飛来骨を立てかける珊瑚を見て、弥勒が問うと、珊瑚は目顔で彼の首の後ろを示した。
「髪。少し、緩んでる」
「髪?」
 髪を結んだ辺りに手をやると、何かに引っ掛かったように、少し、毛筋が乱れていた。
「結い直さなければな。しかし、ここまで来た理由は、他に何かあるんでしょう?」
「……」
 弥勒に問われ、珊瑚は恥ずかしそうに、彼から視線を逸らせた。
「あたしが結ってあげたら、駄目?」
「珊瑚が、私の髪を?」
 彼を見ずに、珊瑚はうなずく。
 いつもきちんと結わえられた弥勒の髪がわずかに乱れているのを見たとき、彼のこの特別な姿を、自分以外の誰にも見せたくないと思った。
 彼だけにそっと伝えて、自分に髪を結わせてほしかったのだ。
 珊瑚の小さな独占欲に気づいた弥勒は、口許を綻ばせ、ちょうど床几のような形をした手近な岩に腰を下ろし、錫杖を傍らに置いた。
「では」
 と、法師はいとも無造作に己の髪から元結いをほどく。
「結んでください、珊瑚」
 初めて目にする髪を解いた弥勒の姿に鼓動が跳ねて、珊瑚は頬に熱さを覚えたが、自分から言い出したことでもあり、無言で彼の背後に廻った。

 自分より低い位置にある法師の髪に触れる。
 恥ずかしくて、緊張したが、こんなふうに彼が心を許してくれたのが嬉しかった。
 けれど、手櫛で髪を整える珊瑚の動きが、ふと、とまった。
 平たい岩に座る弥勒は、前を向いたまま、背後にいる娘の様子に耳をそばだてる。
「どうしました? 何を考えている?」
 なめらかな弥勒の声に躊躇いつつ、珊瑚は出し抜けに訊いた。
「法師さまは、誰かと恋仲になるのって、初めてじゃないんだろう?」
「いいえ、初めてですよ? 将来を約束したおなごは珊瑚だけです」
「そうじゃなくて。つまり、顔見知りとか、からかうだけの相手じゃなくて、もっと深い……」
 後ろにいる珊瑚の表情が簡単に想像できてしまい、弥勒は苦笑した。
「前にも言いましたが、おまえと夫婦になる約束をしてからは、誰ともそういう関係にはなっていません」
「でも、あたしと出逢う前は、他の女の人に、こういうこと……してもらってたの?」
「こういうこととは?」
「髪を結ってもらったりとか」
 珊瑚が何を気にしているのかを理解し、弥勒は愛しそうに微笑した。
「珊瑚が初めてですよ」
 彼は珊瑚に背を向けたまま、心地好く響く声で穏やかに言葉を続けた。
「私は、あまり構われるのが好きではなかった。身の回りの世話を任せるほどの仲になったおなごもいません。ですから、このようなことをしてもらうのも、本当の意味で恋仲になったのも、おまえが初めてです」
 珊瑚の胸が甘く高鳴る。
 弥勒の言葉が途方もなく嬉しかった。
 彼女は彼の髪を綺麗に束ね、元結いでまとめ、丁寧に結わえた。
 そして、彼の正面へ移動して、髪の具合を確認した。
「ありがとう、法師さま。結わせてくれて」
「私こそ、ありがとう」
 座ったまま、弥勒が両手を広げたので、珊瑚は彼の前へと近寄った。
 法師はそのまま彼女の華奢な肢体を両腕に抱きしめ、目の前にある豊かな胸に顔を埋めた。
「ちょ、ちょっと」
 珊瑚は慌てたが、腰を抱く法師の力は強くなるばかりだ。
 しかも、あろうことか、鼻先でふくらみの先端を探すような動きをしている。
 退治屋の装束の下はさらしで胸を押さえているが、それが弥勒にはもどかしいようだ。
「ちょっと、嫌……!」
「衣越しよりも、じかに口づけたい」
 なおも唇でふくらみをついばむようにまさぐられ、珊瑚は逃れようと真っ赤になって身じろいでいる。
 腰を抱く手の片方が徐々に下へと降りていく。
「法師さま!」
 たまりかねた彼女は、彼を引き離そうと、結ったばかりの彼の髪を思いきり引っ張った。
「痛てっ! 何するんですか、珊瑚」
「法師さまが悪いんだろ?」
 せっかく結ったのに、勢い余って元結いは外れ、彼の髪はまた解かれてしまった。
 娘の機嫌を取るように、法師は甘く懇願する。
「もう一度、結い直してくれますよね?」
「今みたいなこと、もうしないって約束する?」
「結ってくれないのなら、このまま皆のところへ戻りますよ? そうなれば、珊瑚がどうして私と川へ来たかったのか、皆に判ってしまいます。それでも、いいんですか?」
「法師さま!」
 岩に腰掛けたまま、法師は涼しい顔で、下から珊瑚を見た。
「口止め料をください」
「何が欲しいの」
「おまえ自身に決まっているでしょう? ですが、場所が場所ですし、とりあえず、口づけを」
 珊瑚はたちまち腰を抱き寄せられ、不覚にも躰が熱くなるのを感じた。
 拒むことなど考えられず、思わず彼女は、髪が解かれたままの弥勒の頭を、強く胸に抱きしめていた。

〔了〕

2014.2.22.

お題は「TOY」様からお借りしました。