微エロな5題・「密」

05:正面から抱きついて囁く(結婚後)

 独りで旅をしていた頃の夜は長かった。
 だが、珊瑚との夜は驚くほど短い。
 薄暗い寝間へ弥勒が入っていくと、夜具の支度をしていた珊瑚が振り向き、ややはにかんだように立ち上がった。
「あの……今日は?」
「もちろん、珊瑚が嫌でなければ」
 弥勒の返答に、珊瑚はそっと眼を伏せ、彼に近づき、法衣に手を掛けた。
「珊瑚──
 火影に揺れる彼女の淡い羞恥が美しい。
 弥勒は妻に手を伸ばし、考えるより先に唇を合わせていた。
「んっ」
「……珊瑚、すぐ欲しい」
「待って。今、衣をたたむから」
 するすると彼から法衣を解きさり、彼女はそれを愛おしそうに一度抱きしめてから、座ってたたみ始める。
 いつもの光景だ。
 愛しげに衣をたたむ珊瑚の姿は甲斐甲斐しいが、ときには焦らされている気持ちにもなる。
「珊瑚」
「んー?」
「早く」
「もうちょっと待ってね」
 けれど、珊瑚の動作はゆっくりで、だんだん焦れてきた弥勒は、白小袖姿で珊瑚の後ろに座り込み、褶の結び目に手を掛けた。
 褶を解き、帯を解き、背後から白い首筋に口づける。
 夫の衣をたたむ珊瑚の手が止まった。
「ちょっ、やめて、法師さま。くすぐったい」
「珊瑚の手が遅いからいけないんです」
「あたしは丁寧にたたんでるの」
「適当でいいですよ」
「駄目。しわになる。法師さまの身だしなみがきちんとしていないと、つ……妻の、あたしが笑われるんだよ?」
「では、こちらは自分でたたみますか」
 わずかでも早く、少しでも長く、珊瑚に触れたい弥勒は、まだたたまれていない袈裟を手に取ろうとした。が、
「駄目っ。全部、あたしがやりたいの」
 彼の手から袈裟をひったくった珊瑚が大事そうにそれを抱きしめる。
 眉を上げた弥勒は、微かに赤らんだ妻の顔を覗き込んだ。
「つまりそれは、私の衣だから──ということですか?」
「そ……そうに決まってるだろ」
 弥勒の頬がくすりと緩む。
 夫婦になって以来、彼の妻であることに一生懸命な珊瑚が、健気でいじらしかった。
「可愛いな、おまえは」
「……っ」
 後ろから思いきり抱きつくと、弥勒は珊瑚の手から己の衣類を取り上げた。
「一晩くらい、その辺に放っておいても平気ですよ。それより早く」
「法師さまったら」
 彼は彼女の衣を脱がそうと、帯を解いた小袖の衿に手を掛ける。
「や……灯り、消してから」
「いいじゃないですか」
 珊瑚の肩から小袖を落とし、肌小袖の帯を弄ぶように解いていく。
 そして、再び彼女の首筋に唇と舌を這わせた。
「私にここまで余裕を失わせるとはな。これほど愛しいと思ったおなごは、おまえが初めてだ」
「法師さま……」
 唇を合わせようと、彼女の顎に手を掛け、こちらを向かせる。
 潤んだ瞳で、うっとりと見上げてくるだろうと期待した妻の視線は、だが、予想に反して険しかった。
──あれ?)
 弥勒の動きがぎくりと止まる。
 珊瑚はじぃっと法師を睨む。
「愛しいと思った人は、他にもたくさんいるんだ」
「……」
「他に何人、愛しいと思ったの?」
 とんだ藪蛇だった。
「いちいち覚えてませんよ。小春や志麻どのには会っているでしょう? あれを全部愛しいと表現するなら、きりがありません」
「きりがないって自分で言う? じゃあ、法師さまの初恋っていつ? どんな人が相手だったの?」
「何度も言ってるでしょう、初恋は珊瑚だって」
「法師さまの女癖の悪さで、あたしが初恋なんて信じられない」
 甘い夜のはずが、だんだんこじれてきた睦言に、弥勒は次第に焦れてきた。
 珊瑚の嫉妬は嫌いではない──むしろ、可愛いと思うが、今は一刻も早く抱き合いたいのだ。
「では、何を以て初恋とするんですか。恋だと意識したのは珊瑚が初めてなんですから、珊瑚が初恋でいいでしょう」
「口でなら何とでも言える。法師さまにとって“愛しい”ってのはどんな……」
「ってか、うるせーぞ、おまえ!」
 突然、素の調子ですごまれ、その声音の激しさに珊瑚はびくっとなった。
 弥勒は強引に彼女の腕を掴んでこちらを向かせ、正面から珊瑚の顔を覗き込む。
「薄っぺらな恋愛じゃなく、本気で愛したのはおまえだけだって言ってんだよ!」
「……」
 その鮮烈な瞳の光が美しい。
 いつの間にか、珊瑚は法師に正面から抱きすくめられていた。
──それとも何か?」
 抱かれたまま、すっと顔を近づけられる。
 眼と眼の距離がぐっと近くなり、互いの瞳しか見えなくなる。
「日に何度も愛していると、おれに言わせたいのか?」
 唇が触れそうな位置でささやかれ、珊瑚は固まってしまった。
 法師の吐息が熱く──甘い。
「……」
「……珊瑚?」
 いつまでも動かない珊瑚の様子に、弥勒はにわかに慌て出した。
「わ、悪い。おまえにあんな口調でものを言うつもりは……」
 珊瑚は微動だにしない。
 ただ、ぼうっと弥勒の顔を見つめている。
「さ……珊瑚? 怒って、ない……ですよね?」
 彼女の両肩を掴んで、顔を覗き込んでいた弥勒は、恐る恐る手を放す。
 未だ反応のない珊瑚の顔の前で掌を振ると、彼女ははっと我に返って、まばたきをした。
「法、師さま……」
「すまん。びっくりしたか?」
「や……やだ」
 珊瑚は上気した顔を隠すように両手で頬を包み、目の前の弥勒の胸に顔をうずめた。
「なんか、ときめいちゃった」
 その頬も躰も熱い。
 彼女を抱きとめた弥勒は、衝動のままに、華奢な肢体を力を込めて抱きしめた。
 そのまま後ろの夜具へと仰向けに倒れ、二人は珊瑚を上に躰を重ねた形になる。
「やっぱり、おまえは可愛い。襲ってもいいですよ。おまえになら、何をされても構いません」
「あ、あたしからは何もできないって、解ってるくせに」
「口づけくらいなら、できるでしょう?」
 にやりとした弥勒の視線を受け、一瞬、挑発的な色を浮かべた珊瑚は、身を起こし、弥勒の顔の両側に手をついた。
「さあ、どうぞ」
 悪戯っぽく弥勒が促すと、珊瑚はそっと顔を寄せ、探るように唇を重ね合わせ、遠慮がちについばんだ。
 そして、軽く開いた彼の唇の間に、小さな舌先を忍びこませる。
 すかさずそれを弥勒の舌がとらえた。
「んん……んっ」
 熱を帯びた吐息を絡め、熱い口づけに耽りながら、両手で珊瑚の背中を撫していた弥勒は出し抜けに躰を反転させた。
 すでに帯を解かれた肌小袖がはだけ、珊瑚の肌が露わになる。
 小さく灯された明かりが作り出す陰影が、白い肢体の曲線を美しく浮かび上がらせていた。
 そのふくらみの頂点を弥勒は口に含む。
「おまえが焦らしたんだから、覚悟しろよ?」
「焦らして、ないっ……」
 弥勒は、珊瑚のまとうものを全て取り去り、自らも肌小袖を脱ぎ捨てて、全身で珊瑚を抱きしめた。
 いつもは衣に隠れている彼の白皙の肌が熱を持って熱い。
「次は珊瑚の初恋の話を聞かせてもらうからな」
「あたしの初恋は法師さまだよ」
「だから、その辺のところをじっくりと」
 法師の唇や手指が珊瑚の肌を性急に這い、珊瑚の呼吸を甘く乱していった。
 揺れる灯火。
 愛しい人が紡ぎ出す快楽に、今宵も彼女は身を委ねる。

〔了〕

2017.5.5.

お題は「TOY」様からお借りしました。