微エロな5題・「動」

02:強く壁に押しつけて

 森閑とした森の中である。
 弥勒と珊瑚は、この森に奈落に繋がる危険はないか、二人で森の中の妖気を探っていた。
 奈落に関係する変異は特に起こっていないようだ。
 そのとき、ふと、弥勒が通りかかった洞穴の前で足を止めた。
「法師さま?」
「何かいます。弱いが、妖気のようなものを感じる」
 飛来骨を持ち、退治屋の装束に身を固めた珊瑚もまた、立ち止まって、口を開けた洞穴を見遣る。
「中の様子を見てきます。珊瑚はここで待っていてください」
「あたしも行くよ」
 珊瑚は肩に乗せていた小さな猫又を地面へ降ろした。
「何かあったときのために、雲母はここで待機していて」
「みう」
 雲母を入り口に残し、弥勒と珊瑚は薄暗い洞穴の中へと足を進めた。

 洞穴の内部は思ったより奥深い。
 六尺ほどの高さと幅の薄暗い中をしばらく進むと、珊瑚は微かに漂うある匂いに気づいた。
(これは……)
 刹那、洞穴の奥から移動してくる何かの気配を敏感に感じ取り、はっとなる。
「法師さま──!」
 とっさに珊瑚は、全身でぶつかるようにして、法師の身体を洞穴の隅へと押しやった。
「!」
 突然、しなやかな肢体に抱きつかれ、強く岩壁に押しつけられ、驚いた弥勒の鼓動が大きく跳ねる。
「珊──
「しっ、黙って」
 片手で口を押さえられる。
「眼を閉じて、できるだけ息を止めて」
「……」
 低い声でささやいた珊瑚は、法衣の胸に自らの顔を押しつけた。
 娘の左手で口と鼻をふさがれ、抱きつかれて胸に顔をうずめられ、いきなりのことに、それだけで弥勒は呼吸が止まりそうな気がした。
 だが、すぐに珊瑚の行動の意味は判明した。
 無数の羽音が風の音のように洞穴の奥から渦巻き、突如、凄まじい勢いで洞穴の外へと流れ出たのだ。
 蝶のような蛾のような、妖気をまとった虫の大群だった。
 珊瑚は飛来骨をうまく自分たち二人の楯になるように、右手で己の背後に固定している。
 あっという間に虫たちは洞穴から外へと飛び出し、辺りはすぐに静けさを取り戻した。
「この洞穴は、あいつらの棲み処だったんだね」
 洞穴の出口のほうを見遣り、珊瑚がつぶやいた。
「だったら大丈夫だよ、法師さま。他の妖怪はいない」
「あれは?」
「蛾の妖怪の一種で、毒の鱗粉をまき散らす。一匹や二匹なら大した毒じゃないけど、何万もの群れになると、大きな獣や妖怪をも殺すほどの猛毒になる。微かだけど、その毒の匂いを感じたんだ」
「珊瑚」
 彼女が法師から身を放そうとすると、腰の後ろを押さえられた。
 はずみで飛来骨が彼女の手から滑り落ち、鈍い音を立てた。
「しばらく、このまま」
「え?」
 片手で強く腰を固定され、珊瑚は弥勒の顔を見上げた。
「自分の体勢をよくごらんなさい」
「……」
 洞穴の岩壁に弥勒を押しつけ、彼に抱きついてその動きを封じ、さっきまで彼の口を押さえ、彼の胸に顔をうずめていた。
 たちまち珊瑚は真っ赤になった。
 弥勒は右手に持っていた錫杖を岩壁にもたせかけ、両手で珊瑚の腰を抱いた。
「珊瑚から強引に抱きつかれるなど、貴重な体験だからな。もう少しこの体勢を味わっていたい」
 珊瑚の全身がかっと熱を持つ。
「ばっ、馬鹿! 抱きついたわけじゃ……」
「新鮮ですな、こういうの」
 娘の腰に廻された法師の手に力が込められ、彼女の心臓が早鐘を打つ。
 珊瑚は観念したように、法師の胸に顔をうずめ、遠慮がちに問いかけた。
「こんなことされたの、初めて?」
「珊瑚には初めてです」
「……昔の女には、されたことあるんだ」
「昔のことは忘れました」
 ほんの少し悔しいような気持ちに駆られ、珊瑚は両手を弥勒の首に廻した。
 そして、彼の身体をぐいと引き寄せ、伸び上がって、彼の首筋に思い切り唇を押しつけた。
「……!」
 弥勒が息を呑む。
 珊瑚はぎゅっと眼を閉じた。
 自らの唇が熱い。
 気のせいか、触れている法師の肌も熱い。
「こういうことは? されたことある?」
 常の初心な彼女らしからぬ艶めいた瞳でささやかれ、弥勒は眩暈を覚えた。が、それを珊瑚に悟られるのは癪だ。
「忘れた」
 甘くささやき返し、法師は珊瑚の腰から下へと手を這わせ始めた。
「ちょっと……!」
 慌てた珊瑚が彼の手を引っぱたく。
「調子に乗るな!」
 ようやくいつもの調子に戻ると、彼女は飛来骨を拾い上げた。
「行こう、法師さま。雲母が心配する」
「続きは?」
 弥勒はなおも名残惜しそうに珊瑚のおとがいへと手を伸ばし、頬の線を指先でなぞる。
「珊瑚、続きは?」
 薄暗い中、じっと見つめられ、彼女は戸惑ったように視線を彷徨わせた。
「今度……二人きりになれた夜に」
「約束ですよ」
 錫杖を持った弥勒は、歩き出した珊瑚を追って、約束の印にと彼女の腕を引き、その唇を素早く奪った。
 束の間の洞穴の探索は、思いがけない逢瀬の時間をもたらしてくれた。

〔了〕

2015.1.20.

お題は「TOY」様からお借りしました。