妄想の国の法師さま

「……全部、夢だったんだ。それにしても、おかしな夢だったなあ」
 くすりと口許を緩める珊瑚に、彼女が見たという夢に興味をそそられた。
 彼女と同じものを、どんな小さなことであれ、共有したいと思う。
「夢? どんな夢です?」
「七宝がね、兎の格好をして出てきたの。それで、時間を気にしながら井戸の中に飛び込んで──
 くす、と小さく思い出し笑いを洩らす珊瑚の様子があどけなく、愛らしく、彼女にそんな表情をさせるものが自分ではなく七宝であることに、弥勒は軽い嫉妬を覚えた。
「私は? 私はおまえの夢に出てこなかったのか?」
「え──あの、出てきたことは出てきたんだけど……」
 彼女の夢の中に自分もいたと聞いて満足したが、何故か、珊瑚はそれについて具体的には触れようとしない。
 そんな態度を取られると妙に気になる。
 珊瑚がきまり悪げに眼をそらして変化した雲母の背に突っ伏すものだから、ますます好奇心を抑えられなくなるではないか。
「教えなさい、珊瑚」
 横たわる猫又の背中に伏す愛しい娘に抱きつくと、重いのか、迷惑そうな眼で雲母が法師をちらりと一瞥した。
「重いよ、法師さま。法師さまがそんなことするから、あんな夢見ちゃったんだよ……」
 申しわけなさそうに小さな声でつぶやく珊瑚の言葉を弥勒が聞き逃すはずがない。
「あんな夢? 重い夢ですか?」
「あの……その、夢に出てきた法師さまが、すごく重かったの」
 その正体をまさか子泣き爺だと思ったなどと想い人に対して言えるはずもなく、珊瑚は恥ずかしそうに雲母の被毛に顔を埋めたままだ。
「私が重かった?」
「うん。あたしの上に乗って、ぐいぐい押してくるから、重くて仕方なかった」
「えっ、そっ、それは――おまえにしては、ずいぶん大胆な夢を見たものですな」
 何を勘違いしたのか、少し面食らったように、法師は慌てて珊瑚から少し身を引いた。
「い……痛かった、か……?」
「痛くはなかった。でも、すごい圧迫感で、息がつまりそうだった」
 法師はごくりと唾を呑みこんだ。
「そ、それはまた、生々しい……」
「法師さま、すごく大きくて、あたしの後ろから容赦なく押してくるんだもの」
「うっ、後ろから……大きいのが……」
 さらに慌ててもう少し珊瑚から身を離した弥勒は、心もち赫くなったように見受けられる顔を隠すように片手で口許を覆った。
「……その、すまなかったな」
「法師さまのせいじゃないよ。あたしが勝手に見た夢なんだし。……あの、あたしのほうこそ、こんな夢を見てごめんね」
 雲母の背から顔を上げ、潤んだ瞳でちらと振り返る珊瑚が妙にまぶしく色っぽく見えて、弥勒はくらくらと眩暈を覚えた。
「いや……その、おまえにそんなことを言わせて、私が悪かった」
 どこかぎこちない弥勒に、珊瑚も頬を染めて首を横に振る。
「しかし、珊瑚。まさかとは思うが、実際にそういう経験はない……よな?」
「ない。里にいた頃、話に聞いただけ」
「あ、ああ、そうか。……よかった」
 妖怪退治を生業にする者として、どのような妖怪の知識でも頭に入れておくのは当然だ。
 実際にその妖怪に遭遇するかどうかは、また別のことである。
 そう言おうとして雲母の背から身を起こし、まだいくぶん恥ずかしげな様子ではあったが、珊瑚は弥勒に向きなおった。
「ああっ、珊瑚!」
 そんな彼女を弥勒は真正面からきゅううっと抱きしめる。
「奈落を倒し、本当にそういう状況になったときには、できうる限りおまえが苦しくないように、痛くないようにしてあげますからねっ」
「あ……? ありがとう?」
 奈落を倒したら、子泣き爺が現れるのか?
(そんな馬鹿な)
 珊瑚は小さく首を傾けた。
「ああっ、でもっ! 今すぐは駄目か? いや、駄目だ。そのような関係になるのは闘いが終わってからと決めたのだしっ」
「……?」
 弥勒の葛藤も知らず、彼にぎゅうっと抱きしめられた珊瑚はきょとんとまばたきをしている。

 めくるめく妄想は脳内にあり。
 全てこの世はこともなし。

 愛しくてたまらない娘を強く強く抱きしめて、一人、彼女を幸せにすることを固く胸に誓う法師であった。

〔了〕

2009.1.22.