醒めない夢に酔う
夜中、ふと、眼が覚めた。
「……」
夫の弥勒と並んで夜具の中に横たわる珊瑚は、あやふやに瞬きをして、眼を細めた。
閨の中には仄白い光がさしていた。
月の光だ。
障子越しだが、明るい。
わだかまる月影から逃れるように寝返りを打ち、彼女は夫が寝ているほうへと身体を向けた。
そして、気づいた。
(……?)
目の前に眠る弥勒の閉じられた眼、その伏せられた睫毛に、朧に濡れて光るものがある。
(涙……?)
涙を不吉に思い、にわかに不安に駆られた珊瑚は、そっと手を伸ばして、彼の睫毛の雫を払い、その頬を撫でた。
「ん……うん? 珊瑚──?」
弥勒がくぐもった声を洩らす。
「あ、ごめん。起こすつもりはなかったんだけど」
「どうしました? 怖い夢でも見たのか?」
「法師さまこそ……夢、見てた?」
「ゆめ?」
弥勒は掠れた声で答え、軽く眉をひそめた。
どんな夢を見ていたのだろう。
「夢……見ていた気もするが、覚えていないな。どうして?」
「だって、法師さま──」
泣いていた?
珊瑚はその言葉を言いよどんだ。
「寝言でも言っていたか?」
「そうじゃないけど」
そっと伸ばされた珊瑚の指先が、弥勒の目尻をなぞった。
「涙……」
「涙?」
月明かりがさす薄闇で弥勒が目を凝らすと、こちらをじっと見つめている珊瑚の強い視線が判った。
「睫毛が濡れてた。だから……」
弥勒はふっと微笑み、伸ばされた妻の手を掴んだ。
「ただの欠伸かもしれないでしょう?」
「うん、でも」
まだ不安げな珊瑚は、少し迷い、遠慮がちな黒い瞳で弥勒の顔をじっと見つめた。
「……そっちへ行ってもいい?」
「おいで」
捕らえた妻の指を甘く噛み、低く短く彼が答える。
夜具の中をそろそろと法師のほうへ躰を寄せて、珊瑚は彼の胸に顔をうずめた。
「眠かった?」
「おまえの誘いを拒めるわけがない。……それに、そのほうがよく眠れる」
弥勒の躰がやさしく珊瑚に伸しかかり、彼の唇が、甘く妻の唇をふさいだ。
「──ん、怖い夢、見てないよね」
「悪夢はもうほとんど見なくなった。それに、怖い夢を見たのなら、おまえに話して慰めてもらいますよ」
珊瑚は小さく安堵したような吐息を洩らし、風穴のない彼の右手を取って、その掌に口づけた。
「むしろ、珊瑚と過ごす夜が、夢なのではないかと思う」
「夢じゃ、ないよ」
彼の唇が、珊瑚の唇から頬をなぞり、白い首筋へと移動した。そこを強く吸い、舌を這わせる。
「おまえは甘い……甘すぎて、夜ごと醒めない夢を見ているようだ」
「法、師さま──」
吐息のようにつぶやき、珊瑚は甘えるように法師の背を抱きしめた。
弥勒の手が珊瑚の肌小袖の衿元から侵入し、鎖骨を撫で、やわらかなふくらみを求める。
長い口づけを何度も交わした。
甘美な衝動に酔いたいと思うのは、涙を不吉だと感じないくらい、これが確かな現実であることを体感したいからなのかもしれない。
〔了〕
2023.3.6.