妻問ひの行方

 年が明け、穏やかな一日が過ぎた。
 穏やかな、とはいっても、この時代と暦が違う世界に属するかごめには今は「大変な」時期らしく、一行が楓の村に戻って間もなく彼女は実家に帰っていった。
 よって、犬夜叉とかごめは、今、戦国時代にはいない。
 残りの面々は楓の村でつかの間の休息を取り、七宝や雲母が寝たあと、年が明けて初めての夜、弥勒と珊瑚は二人きりで酒を酌み交わしていた。
「さーんご」
 囲炉裏の前に二人きり。
 珊瑚に酒をついでもらいながら弥勒は言う。
「みな、寝静まって私たち二人だけですし、ひ・め・は・じ・め、なんて、どうです?」
 別に下心があるわけではない。
 珊瑚が困って恥じらうところが見たいだけだ。
 けれど、期待に反し、珊瑚は別に困るでもなく恥じらうでもなく、きょとんとした顔を見せた。
「今から? 二人だけで?」
 瓶子を持った手をとめて、珊瑚は首を傾げる。
「明日じゃ駄目? もう夜だし真っ暗だし、何の用意もしてないし」
「えっ? あの、明日だったらいいんですか? っていうか、おまえはむしろ夜より昼のほうがいいんですか? いや、それより何を用意する気です」
 珊瑚よりも話を振った弥勒のほうがたじろいだようになる。
「だって、一人じゃできないでしょ?」
「一人じゃないでしょう。私が相手では不服ですか?」
「法師さま相手にどうしろっていうのさ」
「……」
 眩暈を覚え、弥勒は手にした盃の酒を一気にあおった。
「珊瑚。それ、普通に傷つくのですが」
「なんでさ?」
 珊瑚は不思議そうに空になった盃に瓶子の酒を注ぐ。
 そして、機嫌よく弥勒に微笑みかけた。
「明日、楽しみだね、法師さま。どこ行ってやる?」
「いや、別にどこへも行かなくても……」
「ふーん。じゃ、形だけ?」
 弥勒は咳き込んだ。
「さ、珊瑚は形だけではなく、本格的にやりたいと?」
 なんだかだんだん投げやりな気持ちになってくるのは何故だろう。
(いっそ、酔わせて襲ってやろうか)
 もちろん、脅かす程度だが。
 弥勒は珊瑚の盃にどんどん酒をつぐ。
 法師が酌をしてくれるのが嬉しいのか、珊瑚は拒みもせず、素直に杯を重ねている。
「法師さまが、そんな、ひめ始めとかこだわる人だとは思わなかった。意外だねー」
 あー、泣きたい。
 その話を持ち出したのは自分だが、何かが違う。
 珊瑚の口から照れも恥じらいもなく、そんな単語が出てくるのは断じて間違っている。
「じゃあ、明日は雲母とひめ始めだね」
 弥勒は盃を取り落としそうになった。
「なんで私ではなく雲母なんですか! って、雲母をどーする気です」
「え? そりゃ正式じゃないけど、普通に。あたしはずっと雲母でやってるもの」
 法師は再び眩暈に襲われた。
 何かが激しく違っている。
 蒼ざめる弥勒の隣で珊瑚はくいっと盃を干した。
「なんか、楽しくなってきた」
「私はあまり楽しくないです……」
 手酌で盃をあけ、弥勒は半ばやけくそのように珊瑚に尋ねる。
「で、珊瑚は雲母で何をするつもりなんですか」
「乗るんじゃないか。法師さまが遠出したくないならその辺一周して……」
 嫌な予感がした。弥勒は恐る恐る口を開く。
「珊瑚……もしかしなくてもそうなんでしょうけど、珊瑚は飛馬ひめ始めのことを言ってます? 年が明けてはじめて馬に乗る意味のほう」
「違うの?」
 ずーんと頭が重くなった。
 いや、珊瑚は悪くない。
 珊瑚の知らない言葉を使った自分が悪いのだ。
 何とも言えない脱力感を覚え、沈黙する弥勒を、気遣うように珊瑚は見遣った。
「馬は持ってないから本当の意味じゃ違うけど、でも、一応馬も乗れるんだよ?」
「そりゃあ、珊瑚なら馬くらい乗れるでしょうが」
 と、ことん、と肩に彼女が頭をもたれさせてきたので、その不意打ちに、弥勒の心臓が大きく跳ねた。
「珊瑚?」
 囲炉裏の炎のせいだけでなく、ほんのりと色づいた頬は息を呑むほど美しいが、それはつまり……
「酔ったのか、珊瑚?」
「そうかも」
 斜め下から潤んだ瞳で見上げてくる娘の艶な様子にくらくらする。
 彼女が法師に進んで身を寄せてくるとはかなり酔っているのだろう。
 弥勒は珊瑚の盃を取り上げた。
「もうやめておけ」
「はい」
 素直に盃を手から離した珊瑚は、だが、ますます弥勒に身をすり寄せてきた。
「ほーしさま」
「珊瑚、おまえ、もう休みなさい」
「大好き」
 法師の耳元に小声でささやくと、珊瑚はそのまま彼の耳にちゅっと接吻した。
「おやすみなさい」
 そして、その場に身を横たえ、当たり前のように法師の膝を枕にした。
 珊瑚の言動に言葉もない弥勒だが、
――悪くない)
 つい口許が緩んでしまう。
 恥ずかしがる珊瑚はいわずもがな、甘える珊瑚も捨てがたい。
「よいしょっと」
 弥勒は盃を置き、寝床へ運ぶため、珊瑚の身体を抱き起こした。
「あんまり気を許してると、襲っちゃいますよ……?」
 返ってくるのは寝息のみ。
 続きは明日にでもゆっくりと。
 珊瑚が覚えていればの話だが。

〔了〕

2010.1.5.