永遠の彼方

 死魂虫を追いかけて、森の奥へと迷い込んだ。
 深海のような蒼い靄が立ち込めるそこは、木立に囲まれ、背丈ほどもある藪が茂り、一種異様な雰囲気を醸し出している。
(桔梗……)
 試されているのかもしれない。
 けれど、彼女の気配を感じ取ると、居ても立ってもいられなくなるのだ。
 犬夜叉は消えた死魂虫の姿を捜して耳をそばだてた。
 仄暗い森の中、不意に、藪の向こうに紅い袴の色が見えた。巫女装束だ。
「桔梗?」
 高く茂る藪を隔てて、女の影が歩みをとめる。
 空気が緊張を伝えてきた。
 この藪をかき分ければじかに顔を見ることができる。だが、犬夜叉はあえて邪魔な草木を隔てたまま、彼女に声をかけた。
「おれを呼んだのか?」
 死魂虫を使って。
「……おまえが勝手に来ただけだ」
 ぬくもりが、愛情が欲しいはずなのに、何故、孤高を保とうとする。
 生前、村を統率していた頃とは違って、虚勢を張る必要などもうないはずなのに。
「犬夜叉」
「なんだ」
「西の空に気をつけろ。邪気の塊が移動している」
「解った」
 今日もまた、本当に言いたいことは何ひとつ伝えられずに終わるのか。
 犬夜叉は、死魂虫を追いながらずっと握りしめていた花に視線を落とした。
「……おまえに」
 藪をかき分け、進み、現れた白と紅の衣裳に向かって差し出す。──桔梗の花を。
「……」
 顔は見ない。
 朧月のような彼女の白い顔を見てしまったら、現実に戻ることができなくなってしまう。
「おれは何も変わらねえ。今もおまえを想っている」
 その事実が無になることを恐れる彼は、何度でも繰り返す。
「こんな墓土の身体でも?」
 全てが変わってしまったことを知る彼女は、何度でも問い返す。
 白い手がそっと桔梗の花を受け取った。
 二人は別々の方向へと歩き出す。
 強く握りしめられた青紫の花に、儚げな雫がこぼれ落ちた。

〔了〕

2011.4.6.