穢れなきカルマ

 女であることより、巫女であるという意識がまさっているのだろう。
 そんな生き方しか出来ないのかもしれない。
 一度死して、蘇っても、桔梗は生粋の巫女だった。
 だが、犬夜叉は、淡々と難事に当たる彼女の心の奥底に、激しいものが秘められていることを知っている。
 冷たく彼に背を向ける仕草が、どうにもならない運命への、精一杯の行き場のない悲嘆の表れであることも。

 辿りついた村で、偶然、桔梗の消息を耳にした。
 つい一刻ほど前、旅の巫女に傷の手当てをしてもらい、薬をもらったという人物がいた。
 今すぐ追いかければ、彼の足なら追いつくだろう。
 だが、そうしなかったのは、かごめや仲間たちへの気兼ねだけが理由だろうか。
(おれたちは、桔梗よりも奈落を追わなければならねえんだ)
 それでも、心は失われた彼女の心を追いかける。

 犬夜叉にとって、半妖であることがそうであったように、桔梗には巫女であることが孤独だったのだろう。特に、彼女のように特別な霊力を持っていては。
 その孤独から抜け出して、二人で寄り添って生きようとした。
 それだけなのに──
 女は死に、男は封印され、五十年の年月が過ぎた。
 居ても立っても居られなかった。
 夜、仲間たちが寝静まってから、気づけば、犬夜叉の身体は桔梗の気配を追っていた。

 どれくらい進んだだろう。
 やがて、明るい月の光の下、朧に巫女装束の白い色が浮かび上がるのが目に入った。
「桔梗……!」
 足を止め、わずかに振り向いた巫女は、すぐにそのまま歩き出そうとする。
「待て!」
 犬夜叉を避けて、行こうとする桔梗の背に犬夜叉は叫んだ。
「死んでいる分、おまえは悔しいだろうが、生きている分、おれだって哀しいんだ!」
 同じ立場に立てないこと。
「……」
 足をとめた桔梗が言葉をつまらせた。
「……あの月が」
 しばらくして、低い声で伝える。
「あの月が、あちらの山の辺りまで移動したら、私は行く」
「桔梗」
「それまでここにいる。おまえもここにいたいなら、好きにすればいい」
「……」
 一本道。
 ひっそりとたたずむ桔梗の背後に近づき、犬夜叉は躊躇いがちに手を伸ばした。
 彼女の肩に触れ、それでも彼女が拒絶しないことを確かめてから、無言で後ろから抱きしめる。
 哀しいのは、悔しいのは、自分だけじゃない。
 どうにもできないことだからこそ、二人で耐えたいと思うのだ。
 いっそ、この手に強引に閉じ込めてしまいたいが、桔梗のいる場所に行くということが、どのような意味を持つのか犬夜叉には解らなかった。
「行くな」
 儚げにたたずむ女の冷たい身体を抱きしめる腕に、犬夜叉はぎゅっと力を込めた。
「おれから離れて行こうとするな。こんな逢い方を、いつまで繰り返せばいいんだ」
「……それを、私に言わせるのか?」
 桔梗の胸をふっと遠い過去がかすめた。

 犬夜叉に矢を放った五十年前のあの日、あのとき。二人を繋いでいた全ての糸が切れ、その呆気なさに愕然とした。
 裏切られても、愛していた。
 己の生命がつき、それで──終わりだったはず。

「何故、私たちは蘇ってしまったのだろうな」
 自嘲気味に桔梗がつぶやく。
「おまえは封印され、私は死んだ。半妖のおまえの封印が解かれたとしても、何故、私は今ここにいる」
「それでもいい! それでもおれは、おまえに逢いたかった……!」
 己を抱く犬夜叉の腕に触れ、桔梗はぽつりと言った。
「犬夜叉。私たちは全てが変わってしまった。今、おまえとともには、いられない」

 月が傾く。
 あれだけ強く抱きしめていた犬夜叉の腕から、桔梗は簡単にすりぬけていった。
 立ちすくむ犬夜叉のもとから桔梗が歩を進めるごとに、二人の距離が遠ざかっていく。
 時間が凍りついたようだ。
 桔梗が去った方角を、犬夜叉はただじっと見つめていた。
 移ろいでいったのは、時間の流れか、人の心か。
 追いかけることができないのは、美しく冷たい彼女の拒絶を恐れているからだ。
 なじられ、責められるより、冷淡に背を向けられることがつらい。
 虚勢を張るしかない、彼女の哀しい定めがつらい。
 憎まれてもいい。
 だが、拒絶されることが怖い。

〔了〕

2018.3.1.