イメージお題・「猫」
01:ひっそりと距離を置く
美人だと思った。
霊力の高いすぐれた巫女だと聞いた。
だが、重要なのは彼女が四魂の玉を守る人物であるということだ。
四魂の玉を奪う。犬夜叉の関心はそれ一点に集中していた。
何度も失敗しているが、今度こそと思い、犬夜叉は玉が安置された場所──桔梗が仕える社に近づいた。
社の前には、小さな椀で仔猫に家畜の乳を飲ませている桔梗がいた。
仔猫の相手をしている桔梗は、いつもの毅然とした鼻持ちならない女ではなく、少女のようにあどけないただの娘に見えた。
と、巫女はふと視線を巡らせ、こちらを見ている半妖の少年の姿を捉えた。
「……っ」
柄にもなく犬夜叉の鼓動が跳ねる。
「犬夜叉ではないか」
「お、おう」
「また、四魂の玉を狙ってきたのか? だが、あいにく手許に弓がない。弓矢を取ってくるから、待っていてくれないか」
「なっ……!」
まるで子供扱いされたようで無性に癇に障った。
「ふざけんな! 武器がねえからって手加減なんかしてやらねえからな」
「そうか。丸腰の女に爪を振るうか」
巫女は驚きも怯えも憤慨もせず、淡々と言葉を返した。
犬夜叉はむすっと桔梗をひと睨みすると、ぶっきら棒に身を翻す。
武器の有無に拘らず、この女は苦手だ。
02:なんてつれない
樹上で休んでいると、その木の下で気配が動いた。
そっと片目を開けて様子を窺うと、予想通りの巫女姿がこちらを見上げていた。
「犬夜叉」
構うものか。応じる義理などない。
「犬夜叉、眠っているのか?」
少し待ち、返事がないので、桔梗はそのまま踵を返そうとした。
途端に、淋しいような名残惜しいような、後悔にも似た気持ちに捕らわれて、犬夜叉は思わず声を出していた。
「眠ってねえ。何か用か?」
「降りてこないか?」
いかにも面倒臭げな様子を見せ、犬夜叉は樹上から地面へ飛び降りる。
桔梗は愛用の弓矢を肩に掛け、木の椀を手に持っていた。
「昨日、猫の仔にやっていた牛の乳だ。おまえも飲まぬか?」
「……はあ?」
「私も試しに飲んでみたが、思ったより美味しかった」
唖然とする犬夜叉に、桔梗は、昨日仔猫を相手にしていたような表情で牛の乳を入れた椀を手渡そうとする。
「いらねえよ、そんなもん」
「あの仔猫はとても美味しそうに飲んでいたがな」
「おれは猫じゃねえ!」
「そうだな、犬だったな」
桔梗は小さく微笑した。
からかわれていると感じ、犬夜叉はますます不機嫌になる。
「おれは寝る! 邪魔すんな」
再び木の上へと姿を消した半妖を見上げ、桔梗は小さくため息をこぼした。
──何がいけなかったのだろう。
03:視線が絡み合った途端
どういうわけか、四魂の玉への関心が以前より薄れてきたような気がする。
それでも、犬夜叉の足は社へと向いた。
「犬夜叉」
彼の妖気に気づいた桔梗がこちらへやってくると、不覚にもどぎまぎしてしまう。
「この間はすまなかった」
「ああ?」
いきなり謝られたが、覚えがなくて首をひねると、桔梗はすまなそうな顔をした。
「おまえは牛の乳が嫌いなのだな」
「……」
大真面目に言葉を紡ぐ桔梗のどこかずれた解釈に、力が抜けそうになる。
気を取り直して犬夜叉は言った。
「あの仔猫はどうした?」
「ああ、親猫とはぐれたらしいので、引き取り手を探している。それまで、妹の楓が世話をするそうだ」
居場所のない仔猫が、人間でも妖怪でもない誰かに似ている気がした。
「誰も引き取らなかったら?」
「そのときは私と楓で面倒をみる。手が掛かるのは仔猫の間だけだからな」
「こ、今度……」
「?」
「今度、牛の乳をまた振る舞ってくれ。そのときは飲んでやるからよ」
言葉を発した刹那、頬が熱く、心臓の音が大きくなったような気がした。
ふと視線を感じて瞳を上げると、こちらをじっと見つめる桔梗と目が合った。
犬夜叉の視線をまっすぐ捉え、不意に桔梗が木漏れ日のような笑顔を見せたので、半妖の少年はそのまま固まってしまった。
04:ひなたぼっこ
二人で過ごす時間が少しずつ増えた。
この物静かな美しい巫女は、かけがえのない時間をくれる。
その日の午後も、村の近くの野で、犬夜叉と桔梗は二人きりの静かな刻を過ごしていた。
「寝転がってみろよ」
「え?」
戸惑う桔梗に犬夜叉はにやりと人の悪い笑みを向けた。
「気持ちいいぜ。おまえは、こんな行儀の悪いことなんか、したことありませんって面だよな」
「私にだって、野原に寝転ぶくらいできる」
張り合うように、桔梗は犬夜叉の隣の草の上に仰向けに寝転んだ。
この半妖と一緒にいると、立場とか責任とか、そういったものから解放されるように感じた。まるで陽だまりの中にいるような、そんな気持ちにさせられる。
二人は心地好い風に吹かれ、空を漂う白い雲を眺めた。
「想像したことはないか」
年相応の顔で桔梗は言う。
「私はただの村の娘で、おまえは半妖ではなく人間で」
「おれが人間……?」
「そうだ。私は想像してみることがある。同じ種族で、何にも縛られず、そうしたら、私たちはきっと──」
犬夜叉は鼓動が速くなるのを感じた。
自分たちが同じ想いを抱いているのだとしたら。
彼は思いきって手を伸ばし、並んで寝転ぶ桔梗の手を握った。
桔梗は少しだけ身を強張らせたが、拒絶することはなく、それだけでも犬夜叉は信じられないほどの昂揚感を覚えた。
この先に待ち受ける運命など露とも知らずに。
犬夜叉は眼を閉じた。
05:気付けばすぐ其処に
眼を開けると五十年後の空が見えた。
野に寝転んで空を見上げる犬夜叉は、己の隣に座る白と紅の色彩を目の端に捉え、不思議なものだと思った。
五十年が経った今、桔梗と同じ巫女装束をまとった娘・かごめがそこにいる。
三年の別離を経て再会した彼女は、桔梗の年齢に達したという。
「なに考えてるか、当ててみようか」
犬夜叉の視線に気づいたかごめが、悪戯っぽく言った。
「桔梗のこと?」
「……」
「いいわよ、別に。しょうがないことだし」
桔梗の生まれ変わりの彼女が桔梗を思わせる巫女の衣裳を着ていては、たとえ忘れようと思っても、犬夜叉が桔梗を忘れられるはずがない。
それはかごめにもよく解っていた。
「本当にこれでよかったのか?」
犬夜叉は巫女となったかごめに問う。
未婚のまま神に仕え、村を守り、奉仕活動を行うその立場を彼女は納得しているだろうか。
「うん。あたし、あんたとも桔梗とも対等の立場でいたいのよ」
四魂の玉に犬夜叉との間を無理やり引き裂かれ、会いたいと強く願った。
桔梗の壮絶な体験とは比ぶべくもないが、この三年間、かごめはそれを追体験したとはいえないだろうか。
巫女からただの女になりたかった桔梗。
ただの少女から巫女になったかごめ。
生まれ変わりといっても、精神は別人だ。
しかし、そのかごめが桔梗の“心”を受け継ごうとしているのを見て、いつでもどんな形でも、桔梗は己の心の中に在るのだと犬夜叉は知った。
この場所に戻ってきた。
桔梗とともに。
〔了〕
2011.5.19.