天空のさやぎ

 見えないだろうか。──見えないだろうな。
 白い羽根に乗って蒼穹を行く神楽は、漠然とした予感に地上へ視線を走らせた。
 奈落の指示した方角ではないが、少しくらいまわり道をしたところで構うもんかと乱暴に考える。

 空を翔けるのは好きだ。
 風に乗っている間は、囚われ人も同然の我が身をほんの少しだけ忘れることができる。

 気まぐれに地上を探したところで、あの男に本当に会えると思っているわけでもない。
 賭けに似た、そういう曖昧な感覚を楽しんでいるだけだ。
 それがどのような種類の感情なのか、把握しようとして、やめた。
(馬鹿馬鹿しい。何やってんだ、あたし)
 その姿を目にしたところで、何がどう変わるわけではない。
 ふう、と息をついて、引き返そうと旋回したとき、見覚えのある長い髪を視界の端に捉えた。
 刹那、心臓がどくりと音を立てた。
 ──心臓なんてないはずなのに、そんな気がした。
(まずい。見つかっちまう)
 さっきとは逆の思考が働き、とっさに神楽は風を操り、空高く急上昇した。

 上空で風が吹いた。
 空を仰ぎ、そこに一筋の妖気を、風使いの形跡を認め、殺生丸はわずかに目を細めた。
 天空から舞い降りてきた風が、残り香のように妖気をまとい、彼の髪や衣をそよがせる。
 不快ではなかった。
 唇が緩むのを自覚したとき、足許で少女の細い声が言った。
「あ、殺生丸さま、笑ったよ」
「馬鹿者。殺生丸さまは容易く笑顔を見せるお方ではない」
「だって、笑ったよ、邪見さま」
 従者と少女のやり取りを耳に心地好く受けた。
「行くぞ」
 歩き出す殺生丸に合わせて、二人も会話にけりをつけて歩き出す。


 さわさわと音がした。
 刹那、風のさやぎが心に波紋を落とした。

〔了〕

2010.12.2.