イメージお題・「椿」
01:鮮やかな、その花
冷たい空気が張りつめた中、静謐に咲く一輪の赤い色。
その鮮やかな花はある女を連想させた。
紅い唇。赤い瞳。
風をまとう鮮やかな妖の女──
(……神楽)
胸のうちでその名をつぶやいてしまい、殺生丸は微かな狼狽を覚えた。
殺生丸が見つめるその花を、そばにいるりんも眺めた。
──殺生丸さまはあの花が好きなのだろうか?
「あれは何ていう花? 邪見さま」
「あれは椿といってな。花の落ちる様がまるで人の首を落とすようで……」
「邪見」
その不吉な言葉に、銀色の髪を揺らせ、殺生丸は衝動的に鋭く邪見を睨めつけた。
小妖怪は身をすくませる。
殺生丸には、この感情は恥ずべきものに思われた。
何もかもが厭わしかった。声をかけられることすら疎ましく、乱暴に身を翻した。
あの赤い花が元凶だと思った。
02:一振りの
再び、出会ってしまった。
鮮やかな赤い椿の花に。
りんは華やかな花の存在を喜んだが、そんな無邪気な少女の様子を目の端に見ながら、殺生丸はこの花に風使いの影を見ている己の心を強く意識し、苛立ちを覚えた。
つ、と花から顔をそむけた。
──殺生丸さまはあの花が嫌いなのだろうか?
りんは小さく首を傾げる。
少女を顧みるゆとりもなく、不意に凶暴な気持ちに駆られ、殺生丸は刀に手を掛けた。
「……!」
りんが大きく眼を見張った。
振るわれた刀の一閃で、艶やかな花をつけた一振りの枝が、鮮やかな切り口を見せて斬り落とされた。
なんと呆気ない。
花が落ちていく様はひどく緩慢に見えた。
地に落とされても、なお花は気丈に誇りを保っているようだった。
──自分で落ちる前に、落としてやったのだ。
銀髪の妖怪はそう考えた。
03:冷たい風の中、凛と
心乱される。
三度、出会った。
凛と咲く赤い花の存在がひたすら忌々しかった。
まるで己の心を見透かして、行く先々に待ち伏せているようではないか。
殺生丸は制御できないこの想いを支配する女を憎んだ。その女が心のどこかに住み着いているということには気づきたくなかった。
だが、今日は一人だ。邪見もりんも、阿吽もいない。
彼は独り、椿の木に近づき、花に手を添え、艶めかしいその花びらに唇を寄せた。
── 愛している ──
愛している? 何を? 誰を?
唇に触れた花は冷たかった。
刹那、椿の枝葉を震わせる冷たい一陣の風が吹き、殺生丸ははっとした。
“風”。
もし、見られていたら?
一抹の不安がよぎり、大空を見上げる。
しかし、風使いの気配はなかった。
視線を空から地上へ戻すと、椿の花は嫣然と笑っているように見えた。
それが赤い瞳の女の顔に重なった。
04:切り落とすまでもなく
「何を見ているの? 殺生丸さま」
りんに言われて初めて気づいた。己が空を見ていることに。
「そういえば、神楽のやつを最近見かけませんな」
主人の見上げる空を、忠実な邪見も見上げて言った。
「以前は、何かというと殺生丸さまを頼ってきておったのに」
姿を見せない風使いを脳裏に浮かべ、そのほうがいいと殺生丸は思った。
羽根に乗って流れてくる鮮やかな女。
恋しいような、けれども無性に苛立つこの気持ち。
顔を見たら、理不尽な感情が命ずるままにこの手に掛けるかもしれない。
この胸の苦しさに耐えかねて。
切り落とされることを本能で悟り、彼女は姿を見せないのだろうか。
だが、無視しきれずに、彼がそちらへ視線を投げかけると、途端に彼女は手を差し伸べられることを拒否してしまうのだ。
気丈なくせにひどく脆い。
だから散らしてしまいたくなる。
空へ逃げることができないように。奈落のもとへ戻ることができないように。
(散らしてしまえ。私だけのあの花を──)
椿の赤い色が真紅の血の色と重なった。
05:潔い最期
ようやく見つけた。
女は虚ろな瞳をして、信じられないというふうに彼を見ている。
一面の花畑には、神楽の傷から流れ出た奈落の瘴気が漂っていた。
「奈落の瘴気の臭いを追ってきた」
そんな言葉しか掛けられない己が歯がゆい。
「がっかりしたかい。奈落じゃなくてよ」
「……おまえだと解っていた」
そのひと言にどんな想いを込めたのか、散りゆく女に伝わっただろうか。
瞳を伏せた神楽の、弱ってはいるが、これほど透明な顔を目にしたのは初めてだ。
殺したかった女を救いたいと思った。
しかし、天生牙では救えない。
「……いくのか」
「ああ……もういい……」
神楽の血に染まった周囲の花々を見て、殺生丸は、この女にはやはり赤い花が似つかわしいのだと感じた。
赤い椿のように、潔く生命を散らすつもりなら、それを見送るのは己の義務だ。
椿を愛した己の──
彼女は笑っていた。
いつか見た椿のように。
〔了〕
2011.4.29.