我が神を殺す
01:優しさなんかじゃなくて
やさしげな姿をしていても、所詮、けだものなのだと思った。
妖怪とはそういうものだ。
彼女自身、人の姿をしていても、その本性は妖だ。
深夜の森、影のように折り重なり、互いの唇を求め合い、呼吸すら許さずに、殺生丸と神楽は貪り合うような口づけにふけっていた。
殺生丸の唇から逃れ、苦しげに空気を求めて神楽が喘いだ。
が、すぐにまた唇を塞がれ、息苦しさに眉をひそめる。
性急に絡む舌がひどく熱くて、それ自体が生き物のようだ。
「……んうっ」
やさしさなんかいらない。
そんなもの、最初から求めてはいない。
やさしくされたら、戻れなくなる。
「……あたしは、群れには入れねえんだよ」
殺生丸の唇が喉元に移動したのを感じ、自由になった唇で、神楽はうわ言のようにつぶやいた。
「群れ?」
「一匹狼を気取っていても、あんたは群れる種族だ。あたしは、はなから独りなんだよ」
「どういう意味か、解らんな」
神楽の耳元の飾りに口づけた殺生丸は、そのまま耳に丹念に舌を這わせ始めた。
「あたしは奈落が率いる群れからも、はぐれちまった」
熱っぽい愛撫に身をよじり、吐息のように神楽がつぶやく。
彼とともにいることを願っても、所詮、彼の群れに加わることなどできはしないのだ。
だから、自らに、彼とは生き方が違うと言い聞かせてみる。
やさしくしてほしいわけじゃない。
何も考えずに、快楽に溺れていたいだけだ。
02:歪む世界
この女が群れだと言った、統率のとれた世界が、平衡を失い、狂おしい衝動に支配された歪んだ世界へと変わる。
この女ひとりのために。
暗闇の中で、殺生丸は、交わりの果てに泥のように眠る神楽の姿を一瞥した。
長い生の中では、女を抱くことも、犯したことも、当然ある。
しかし、ここまで昂る相手は初めてだった。
惹きつけられるのは、彼女が常に挑戦的であるからか。
それとも、彼女が敵であるからなのか。
どちらにせよ、この女の蜜を知ったときから、ある種の崩壊が始まったのだと、殺生丸は漠然と感じていた。
邪見とりんを率いるのが彼の群れ、彼の世界なら、それとは別の、神楽との歪んだ世界をも、いつしか彼は求めるようになっていた。
疲れ果て、眠る女の顔をじっと見つめた。
行為の後にこんなふうに女のそばに留まることも、過去にはなかったことだ。
03:諸刃の恋
恋しいというより、焦がれている。
枯渇した井戸の底から、無理に水のひとしずくを探し出そうとするように。
逢瀬を重ね、いだき合い、本能が求むるままに快楽を貪っても、渇きはどんどん我が身を蝕む。
求めても求めても満たされない。
むしろ苦しさは募り、想いは次第に凶暴になっていく。
この渇きは相手のせいだ。
だが、相手がいなければ、この渇きは癒せない。
せめて、肌を合わせる間だけでも渇きが癒えるのであれば、相手は己にとって存在する価値がある。
それは、肉体を貪れば満ち足りる種類の渇きであっただろうか。
正体不明のその感情に名があることに気がつけば、互いに少しは楽になるかもしれない。
恋、という名が。
だが、気づけば、何かが壊れる。
それを互いに知る二人は、盲目的に求め合い、牽制しあいながら苦しむことを甘受した。
04:感覚麻痺の口付け
岩陰に追いつめ、視線も意識も、その吐息さえも、からめとる。
それが山中の洞窟でも、人里近い道端の御堂の陰であっても、神楽を追いつめ、顔を寄せれば、彼女は逃げもせず、抵抗もせず、なされるままに殺生丸へ向けた顔を上向けて、瞼を閉じる。
差し出された赤い唇は、諦めたように引き結ばれている。
顔を近づけ、色めいた女の唇を舌先で舐め、果実を味わうように弄び、唇を合わせる。
そんなときは、いつも無性に苛立った。
(これは、嫉妬……か?)
奈落のために生まれ、奈落のために働くという、女の出自が気に入らない。
殺生丸はさらに深く唇を重ね、吐息を交わらせた。
追いつめ、力ずくで奪っても、神楽が逃げることはない。
観念したように、いつも彼女は彼に従う。
これも一種の呪縛ではないかと殺生丸は感じた。
他人のことに興味はないが、仮に彼が、彼女が奈落から解放されるための手助けをしたとして、それは本当に彼女を自由にすることになるのだろうかと。
殺生丸が彼女を解放すれば、次は殺生丸が彼女の枷となる。
真に自由を得たいなら、誰の力も借りずに奈落から逃れ、そのあと、己の意思でこちらへ来い。そんなふうに望む自分がいる。
(私の群れは、おまえを拒絶することはない)
だが、それを言葉にして彼女に伝えることは、おそらくないだろう。
だから、刹那の口づけに想いを込める。
「んっ……」
悩ましげな神楽の呻きすら、耳に心地好かった。
彼女の呼気を奪い続け、それで彼女が窒息するというのなら、ともに呼吸をやめればいい。
それもまた、一興だ。
05:薄氷一枚の向こう
初めて肌を求め合ったのはいつのことだっただろう。
湖に張った薄氷を踏み抜くような、そんな危うさの中で、衝動的に抱き合ったことを漠然と記憶している。
膜のように薄い境界を踏み抜いてしまわないよう、探り合いながら触れ合う指先、それは今も同じ。
今にも壊れそうで、それ以上は近づけない、そんな危うさに気づかない振りをしている。
壊してもいいと思っているのに、いざとなると怖気づいてしまうのは何故なのか。
冷たい肌。
冷たい指先。
神楽の。
殺生丸の。
それらが次第に熱を帯びていく様に、麻薬のように囚われている。
灼熱に身を焦がし、薄氷の最後の一欠片までを砕いたとき、ともに凍てついた水底へ堕ちていくのだろうという予感があった。
けれど、その緊迫の中で抱き合うことを、二人は好んだ。
予感するそのときが、いつ訪れるのか、それは判らない。
06:崩壊前の静穏
神楽の気配が近づいてきた。
岩屋の陰に腰を下ろしていた殺生丸は、だが、彼女の小袖の色彩を目の隅に捉えても、顔を上げようとしなかった。
彼が執着する女は、望むと望まざるとに拘らず、奈落に縛り付けられている女だった。
存在も。生命さえも。
(……)
嫉妬じみた苛立ちを覚え、殺生丸はわずかに眉をひそめ、不快の念を表した。
ちらと視線を投げると、彼女はこちらへ斜めに背を向けて、しなを作るように顔を伏せている。
犬夜叉に因縁を持つ半妖・奈落に係わりの深い女。
ゆえに、己に近づいてきた女。
出し抜けに立ち上がった殺生丸は、背後から彼女の腕を掴み、乱暴に引き寄せた。
はっとして振り返った神楽が抗う暇もなく、殺生丸は岩壁に彼女の躰を押し付けて、小袖の衿元を力任せに押し広げた。そして、こぼれ出た乳房を鷲掴みにし、白い首筋に噛みついた。
「つっ……」
小さく呻いた神楽がぼやく。
「なに怒ってんだよ」
しかし、屹と下から彼女を睨んだ殺生丸の眼差しを見て、思わず怯んだ。
白い肌に吸いついた殺生丸の唇は、神楽の首筋から胸元へと移動し、たわわなふくらみを味わうと、その先端を嬲り始めた。
「っ!」
彼女は身をしならせた。
静かであればあるほど危険な男だ。
黙りこくる彼が何を考えているのか、推し測ることは不可能だった。
(少なくとも、艶事とは無縁のことだろうな)
そして、いきなり求めてくる。
そういうときは、いつも暴力的な愛撫に一方的に押し流される。
(それでもいい)
唇と舌で執拗に乳房を嬲る殺生丸の頭を神楽は両腕に掻き抱いた。
細い指先で、銀糸のような髪を梳く。
この髪だけは、何があっても静穏な印象を崩さない。
(まさに、美しい皮をかぶったけだものだな)
何が彼の冷静さを崩壊させるのか、それは彼女にはあずかり知らぬことだった。
07:激痛の対価
痣ができるほど掴まれる。
腕や手首、乳房などを。
そして柔肌に牙を立てられる。それは、彼が昂っているという証し。
己自身の乱れた声や仕草や表情を見せないのが、この男の矜持なのだろうか。
「痛えんだよ」
荒々しく肌をまさぐられながら、神楽は呻いた。
「女相手に、少しは加減しな」
「馬鹿なことを。やわな人間でもあるまいに」
「ちょっ、てめえ、牙を立てんな……つっ!」
揺さぶられ、神楽は喘ぎながら大きくのけぞる。
「あ……あ!」
達した瞬間、彼女の意識が遠のいた。
殺生丸のその日の機嫌次第では、傷だらけ、痣だらけのまぐわいとなる。
だが、痛みと快感は紙一重だ。
そんなときは、いっそう、神楽も昂った。
失神から目覚めたあと、彼女は己の躰を見下ろして、ため息をつく。
血の滲む胸元は、殺生丸に抱かれたという確たる証しのようなものかもしれない。
08:真赤
神楽の肌を感じ、眼を閉じると、瞼の裏に赤い残像が残る。
赤い唇。
挑発的な眼差しと艶めいた姿態。
その激しさ、荒々しさ。
血の色を思わせる女。
夜の森の中で、向かい合って座り、抱き合い、殺生丸と神楽は激しく息を乱していた。
あでやかな赤い唇が、殺生丸の目の前で、悩ましげに掠れた喘ぎを洩らしている。
殺生丸は動きをとめず、片手で器用に神楽の髪を解き、帯を解き、彼女の肩から小袖を落とした。
夜のような黒髪が乱れ、豊かな胸乳が露になる。
「あ……」
彼の上に乗る神楽が、色めいたため息を洩らした。
着衣のまま求め合うのが常だったが、今宵の殺生丸は、行為の途中で、神楽がまとう全てを取り払った。
「全てをさらけ出せ」
殺生丸のささやきを聞き、憑かれたように神楽は彼の首に両腕を廻して、さらに深く彼を求めた。
艶めかしい彼女の肢体をいだく殺生丸は、彼女の躰を揺さぶりながら、その真紅の唇に噛みつくように唇を重ねた。
09:止血拒否の行進
一種異様な関係だと神楽は思っていた。
忍び逢い、喰らいつくすような情事を重ねては、昼間、出会っても、互いに何食わぬ顔で対峙する。
「──何を恐れている」
ふと、闇の中、物思いにふけっていた神楽は、耳元でささやく彼の声で我に返った。
「奈落か、犬夜叉か。今は忘れろ」
微かな自嘲を込めて、神楽は鼻で笑った。
「そう簡単には忘れられねえよ」
「男に抱かれているときに、他の男の面影など思い浮かべるな」
「あいつらとはそんな色っぽい関係じゃねえって知ってるだろ?」
「ならば、忘れさせてやろう。上になれ」
殺生丸はもどかしげに神楽の腕を掴んで引き寄せた。
いざなわれるままに彼へ倒れ込んだ神楽は、小袖の裾を乱し、袴を紐解いて仰臥した彼の上に跨った。
引き返すことができないから、相手に溺れることを恐れつつも、突き進むしかない。
指を絡めて彼の手を握り、もう片方の手は彼の胸の上に置いた。
彼女はゆっくり腰を揺らめかせる。
「あ……!」
このままずっと、奈落から解放されずに死ぬくらいなら、いっそ殺生丸に殺されたい。
疲れ果て、動けなくなるまで刹那の快楽を味わいつくせば、そのあとにはいったい何が残るのだろう?
10:狂々、くるり
利用しようとして近づいたつもりが、いつの間にか囚われ、深みにはまってしまった。
「次はいつ会える?」
別れ際に、思わず殺生丸に尋ねかけた神楽は、かっと頬に熱を覚えて口をつぐみ、とっさに顔を斜めにうつむかせた。
(情けねえ)
我ながら馬鹿なことを訊いてしまった。
恋仲同士が逢い引きしているわけでもあるまいに、“次”などというものがあるわけはない。
だが、
「そうだな」
殺生丸は考えるように間を置き、青い空を仰いだ。
「風をよこせば、その風を追って来よう。おまえの妖気をまとう風はすぐ解る」
強い風が吹き渡り、殺生丸の長い髪をそよがせた。
風に煽られた小さな木の葉が、くるくると踊るように宙を駆けていった。
(もう、とうにあたしは狂っちまったのかもな)
神楽は胸のうちで独りごちた。
くるくる、くるりと宙を舞う木の葉が風に逆らえないように、目の前のこの男の存在に翻弄されている。
この男の冷淡ともいえるたたずまいが憎らしかった。
「どうした。まだ足りないのか?」
ぼんやりと彼を見つめていると、淡々と指摘され、かっとなった神楽は髪に挿した羽根を操り、空中へと舞い上がった。
「これ以上、あんたにつき合ってると、殺されちまうよ」
地上の殺生丸はふっと笑ったようだった。
自らの内の神聖なものを破壊したい衝動に駆られる。
それは妖怪のさがなのだろうか。
遠ざかる神楽の姿をしばらく見つめていた殺生丸は、やがて踵を返した。
風が吹き渡る。
二人が去ったそのあとは、ただ、静寂のみが浸していた。
〔了〕
2014.8.9.
お題は「恋したくなるお題(配布)」様からお借りしました。(閉鎖されたようです)