妙なる宝珠

 夕餉の支度のため、桶に水を汲んで井戸から台所へと運んでいた珊瑚は、いやに静かな子供たちの様子に気がついた。
 弥勒と夫婦になって、すぐに授かった双子の娘・弥弥と珠珠、そしてその二年後に生まれた翡翠は、遊び盛りでいつもじっとしておらず、始終そこらを駆け廻っているのに。
 そんな三人が何をしているのか気になって、珊瑚はそっと縁側を覗いた。
 弥弥と珠珠と翡翠は、並んで濡れ縁に腰かけていた。
 とても行儀よく。
「おとなしいね、三人とも。遊び疲れちゃった?」
 珊瑚が声を掛けると、人待ち顔の子供たちは、母のほうを向いてにっこりした。
「父上、もうすぐ帰ってくるね」
「お土産、買ってくるって約束したの」
「お土産ー」
「ああ、そういうわけ」
 珊瑚も微笑む。
 市へ買い物に出かけている父を待ちわびているのだ。
 今日は近くに定期市が立つ日だ。
 以前、一度、子供たちに市を見せてやろうと家族で定期市に行ったことがあるが、さすがに三人も幼子がいては買い物もままならず、人込みの中を迷子にだけはさせないようにと神経をすり減らし、弥勒と珊瑚は疲れ果てて帰ってきた。
 それに懲りた弥勒は、この日、荷物持ちに雲母を琥珀から借りて、一人で必要なものを買い出しに行っていた。
「お土産、何がいい?」
 子供たちの横に腰を下ろし、珊瑚は尋ねた。
「美味しいもの」
 珠珠が答える。
「綺麗なもの」
 弥弥が答える。
「翡翠は?」
「んーと……」
 考えているうちに風に乗って錫杖の音が流れてきた。
「父上!」
「おかえりなさい、父上!」
 ぱっと顔を輝かせて叫ぶ子供たちの声を聞きつけた弥勒は、雲母を連れて、直接、縁のほうへ廻ってきた。
「弥勒さま」
「ただいま帰りました」
 大きな荷を雲母の背に乗せて、弥勒は妻と子供たちに向かって笑顔を見せた。
「固まって何の相談ですか」
「おかえりなさ……って、弥勒さま、荷物、全部雲母に持たせて……!」
 慌てて雲母の背からずっしりとした荷を下ろす珊瑚を、弥勒は涼しい顔で眺めた。
「だって、雲母は力持ちでしょう? 飛来骨だって軽々と担いじゃうんですから」
「そうだけど」
 変化を解いた雲母は、大きく伸びをし、濡れ縁に飛び乗って子供たちの輪の中に入った。三人分の小さな手から頭や背中を撫でてもらい、労いを受ける。
 弥勒は荷の一部を開けて、たくさんの枇杷を子供たちに見せた。
「お土産ですよ。明日、いただきましょう」
「うわーい!」
 美味しそうな果実に子供たちは歓声をあげる。
「珠珠が当たり」
 雲母の尻尾を撫でながら弥弥が隣の珠珠にささやいた。
「それから、お守りにちょうどよい石がありましたので、みなの分を買ってきました」
「石?」
「そう。宝玉ですよ。美しい宝の石です」
 子供たちを見廻して弥勒がにっこり微笑むと、
「すごい、弥弥も当たり」
 こそっと珠珠が弥弥の耳にささやいた。
 これだけは身につけて持ってきたらしく、弥勒は懐から小さく折った紙を三つ、取り出した。
「明日、それぞれに念を込めて、これを入れる袋も作ってあげますから、肌身離さず持っていなさい。これはおまえたちの守り石です」
 弥勒は縁に座っている子供たちの前に身をかがめ、たたまれた紙をひとつずつ開けた。
 桃色の宝玉と、白い宝玉と、緑の宝玉。
 いずれも完全な球体ではなく、少々いびつな形をしていたが、そこは値の関係で仕方がない。
 それでも立派な宝玉だった。
「あ……」
 珊瑚の唇から微笑ましげな吐息がこぼれた。
「珊瑚と真珠と翡翠。こんなの売ってたんだ」
「母上と翡翠?」
 弥弥が首を傾げた。
 弥勒はひとつずつ宝玉を指差しながら、説明する。
「この桃色のが珊瑚、白いのが真珠、緑色のが翡翠という名の宝玉です。一人ひとつずつ取りなさい」
「どれが誰の?」
「翡翠は同じ名前の翡翠を持つといい」
「弥弥と珠珠も、同じ名前の宝玉がある?」
「全く同じ名前ではないが……」
 と前置きをして、弥勒は子供たちに解りやすいようにと言葉を選んだ。
「母上の名前の珊瑚は海の珠の名前で、珠珠の名前にも海の珠という意味があります。それから、珠珠、と“珠”の字を二つ重ねているのは同じ日に生まれた弥弥と母上の名前を分け合うためだ。だから、二人には海の珠が相応しいと父上は思いますよ」
「海の珠? 弥弥も珠珠も?」
「この珊瑚と真珠はどちらも海の珠ですから、弥弥と珠珠で、好きなほうを選びなさい」
「弥弥の名前も珠珠と分け合ってるの?」
 ふと尋ねた弥弥に、弥勒はやさしくうなずいた。
「そうですよ。弥弥の名前は、父上の名前を二人で分けているんです」
「翡翠は?」
 と小さな翡翠が声をあげた。
「翡翠は誰の名前?」
「翡翠の名前は翡翠だけのものですよ。でも、母上や琥珀の叔父上の名前とはおそろいです。大きくなれば解りますよ」
 双子は真剣な表情で縁に置かれた小さな宝珠を睨んでいる。
「雰囲気からすると、弥弥が真珠で珠珠が珊瑚かな」
 何気なく洩らした父親の言葉を耳にして、珠珠が桃色の珠に手を伸ばした。
「弥弥が真珠で珠珠が珊瑚? 桃色、可愛い」
 だが、珠珠が取ろうとした珊瑚を見つめて、弥弥が小さくつぶやいた。
「弥弥も母上の名前の珊瑚がいい……」
「……」
 珠珠は困ったように、珊瑚と真珠を手に取って見比べた。
 二人を見守っていた珊瑚が助け舟を出す。
「じゃあ、珠珠が真珠を持つ? 珠珠の“珠”は真珠の“珠”でもあるし」
「そうなの?」
「そうだよ」
 珊瑚が微笑むと、双子は顔を見合わせてにっこりした。
「珠珠、真珠にする。弥弥は母上の珊瑚ね」
「うん」
 珠珠から桃色の宝珠を手渡され、弥弥は嬉しそうにそれに視線を落とした。
 子供たちの反応に満足げな弥勒が珊瑚の隣に腰を下ろすと、子供たちの様子を見ていた珊瑚がふと、羨ましそうにつぶやいた。
「いいなあ。あたしも欲しい」
「珊瑚には弥弥と珠珠が生まれる前に珊瑚の簪を買ってあげたでしょう? もっといいやつを」
「そうだけど」
「それに、家計に余計な負担はかけられません」
「……解ってるよ」
「だからこれは、今日の分の金子をやりくりして買ってきました」
「えっ?」
 弥勒は振り返った妻の手に小さな包みを握らせた。
「開けてごらんなさい」
 そっと開けると、中に包まれていたのは紫水晶の欠片だった。
「誰を連想します?」
「弥勒さま──弥勒さまの袈裟の色」
「父上の色だ」
「父上ー」
 母の背後から紫水晶を覗き込んだ子供たちも、声をそろえて言った。
「綺麗」
 珊瑚は掌に乗せた紫水晶を見つめて愛おしそうにつぶやいた。──が、
「でも、これ、弥勒さまが持ってたほうが似合うんじゃないかな」
「え゛」
 喜ぶかと思いきや、あっさりと返されて、弥勒は拍子抜けしたような声を洩らした。
「あたしはもう珊瑚の簪をもらったし、それで充分。これは弥勒さまの守り石にしなよ」
 にこやかに宝玉を返そうとする母と期待外れのように母を見つめる父を見て、弥弥と珠珠がくすくすと笑い合った。
 珠珠は母親の背後から耳に口をくっつけるようにして小声で言った。
「父上はそれ、母上に持っててほしいんだよ」
「え?」
 弥弥も一緒に身を乗り出して、もう片方の珊瑚の耳にささやいた。
「きっとそう。父上、母上にあげたいって顔してるもん」
 弥勒の血を引く双子は、ときに珊瑚よりも早く弥勒の思考を読む。
 珊瑚は頬を赤らめた。
「……ありがとう。じゃあ、これは、母上の宝物ね」
 彼は自分を思わせる品を珊瑚に持っていてほしいのだ。
 夫の意図を理解してくすぐったげに笑うと、弥勒は珍しく照れたような表情を見せた。
「父上のは?」
「父上のですか? 父上は珊瑚珠が好きですが、母上の紫水晶をときどき貸してもらいますよ」
「珊瑚、弥弥が取っちゃった?」
 申しわけなさそうに弥弥が言い、弥勒は娘を安心させるように微笑んだ。
「それはおまえのための宝珠です。それに、父上と母上はもっとすごい宝を持っているんですよ?」
 子供たちは不思議そうに顔を見合わせた。
「ね? 珊瑚」
 問うように笑いかけると、珊瑚もすぐにその意味を理解したようだ。
 にっこり微笑んでうなずいた。
 それは今ここにいる三人の、そして、これから生まれてくるだろう子供たちに他ならない。

 弥弥と珠珠と翡翠は、それぞれの宝玉を比べて、雲母を相手にそれがどういうものなのか一生懸命説明している。
 弥勒と珊瑚はそんな子供たちの様子を横目に見ながら、二人で買ってきた荷の片付けをした。
「弥勒さま、あの宝玉、かなり買い叩いたんじゃないの?」
「はは……さすが、珊瑚は誤魔化せんな」
「まともに買ったら、朝、弥勒さまが持って出た金子の額で、四つも買えるとは思えないもの。でも、弥勒さまの守り石もないと、ちょっと淋しいね」
「いいえ」
 弥勒は珊瑚のこめかみに素早く唇を落とした。
「私の珊瑚はここに」
 軽く眼を見張って彼の瞳を見返す妻に、弥勒は悪戯っぽく微笑んでみせた。
「私の“珊瑚”はおまえだけですから。だから、守り石はいりません」
「馬鹿」
 幸せそうに、恥ずかしそうに、うつむいた珊瑚の顔が綻んだ。

〔了〕

2011.6.21.