君の横顔

 例えるなら猫みたいだ。

 少し目尻の上がった黒い瞳。
 警戒心が強いところ。
 深い瞳はいろいろな表情を宿し、おれを映すとき、ほんのりとやさしい色を帯びる。

 その瞳がちらとこちらを向いた。

──何? あたしの顔に何かついてる?」
 化粧箱などを扱う小間物屋の店内で、出してもらったいくつかの商品を手に取りながら、隣にいる法師に珊瑚が言った。珊瑚は奥に続く板の間に腰かけ、傍らの弥勒は錫杖を持って見世の土間に立っている。
 商品は簪だ。
 珊瑚に簪を贈るため、弥勒は彼女を連れて大きな町を訪れていた。
「美しいなと思いまして」
「ほんと、どれも綺麗だよね」
 簪を選ぶ珊瑚の横顔をじっと見つめていた弥勒は、照れもせず神妙な顔つきで言った。
「いえ、おまえがです」
「はっはっは、中てられてしまいますな」
 そばにいた店の主人が微笑ましげに笑ったので、珊瑚はたちまち頬を染めた。
「……どうせスケベなこと考えてたんだろ」
「とんでもありません」
 弥勒は微笑んだ。

 かごめが実家に戻っている間の束の間の休息。
 少し前、突発の仕事を受けた法師は、今、懐が暖かい。
 この機会に珊瑚に簪を買ってやりたくて、二人で町まで出てきたのだ。
 そこには、珊瑚や琥珀、翡翠などを使った玉簪や、花の形を模したもの、銀細工などの簪がきらきらしく並べられている。
「琥珀は、珊瑚には少し大人っぽいのではありませんか?」
「そうかな、……そうだね」
 珊瑚が手に持つ鏡を覗き込み、弥勒は簪をひとつずつ手にとって珊瑚の髪に合わせ、顔映りを確かめる。店内に別の客が入ってきたので、店主は二人に「ごゆっくり」と声をかけ、新しい客の対応に向かった。
 珊瑚はずいぶん迷っている。
「ねえ、法師さま。法師さまが選んでくれない?」
「私が?」
「そのほうが嬉しいかも」
 やや恥ずかしげに、少し眼を伏せて珊瑚は言う。
「どれも綺麗で選べないし、それに、法師さまが選んでくれたことに意味があるから」
 そんな彼女の横顔が白い花びらのように可憐で美しい。
 弥勒はふっとやさしい眼差しをした。
「私に選ばせると、どうしても珊瑚の簪になってしまいますよ。どの品もそれぞれ美しいが、珊瑚らしいのは、やはり、この色だな」
 弥勒が手に取ったのは濃い桃色の珊瑚珠の玉簪だ。
「あたしらしい?」
「ああ」
 彼は板の間に並べられた品々の、淡い桃色の珊瑚の玉簪を示し、
「こちらの色より意志がしっかりした印象で」
 次に、濃い紅色の珊瑚の玉簪を指差した。
「こちらの色よりやさしい雰囲気だ。この色がおまえらしくて好ましい」
 その簪を受け取った珊瑚の表情がやわらかく綻んだ。
 珊瑚色の唇が弧を描く。
「これにする。法師さまが選んでくれた品。大切にするよ」
 愛しい娘を見つめ、弥勒もうなずいた。
「如何ですか」
 戻ってきた主人に、弥勒は娘が手にした珊瑚珠の玉簪を指差した。
「これをいただきます」
「ああ、いいですな。お嬢さんによく似合う」
 店の主人はその簪を珊瑚から受け取り、木の箱を取り出して丁寧に納めた。
 支払いをする弥勒を待つ珊瑚は、錫杖を預かり、彼の横顔をじっと見つめる。
 端整な顔──
 ふと気づくと、店内で櫛を選んでいた町娘二人が、ちらちらと弥勒を見遣り、ひそひそ話している。こんなところに法衣姿の客がいるのが珍しいのか、それとも──
 視線に気づいた弥勒がそちらへ目をやって、ふっと微笑むと、二人はきゃっと言って彼に背を向けた。
 珊瑚は何となくもやもやする。

 黙って立っていると好青年に見えるから厄介だ。
 あの見てくれと話術でどれだけの女を落としてきたんだか。

「ありがとうございました」
 店主に見送られて店を出た弥勒と珊瑚は、町の往来を並んで歩き出す。錫杖の六輪が清かな音を鳴らした。
「また他の女を意識してただろ」
 簪の箱を大事そうに抱えた珊瑚が法師に憎まれ口をたたくと、彼は軽く眼を見張って鷹揚に首を横に振った。
「してませんよ。珊瑚のほうが美しいなあと思っただけで」
「また適当なこと言って。女のほうばかり見てたくせに」
「珊瑚は私を見ていたのだな」
「もうっ……」
 あくまでも弥勒は余裕綽々で、結局、珊瑚のほうが折れてしまう。
「荷は私が持ちましょう。貸してください」
「ありがとう」
 簪の箱を持ってもらい、珊瑚は彼の横顔をちらと見上げた。
「法師さま、嬉しそうだね」
「勿論、嬉しいですよ。私からの贈り物をおまえが持っていてくれるんですから」
 珊瑚の頬にさっと朱が差した。

 ──まるで恋仲みたい。
 いや、たぶん、恋仲……って思ってもいいんだろうけど。

「珊瑚は? 嬉しくないのか?」
「う、嬉しい! 嬉しいに決まってる!」
 微かに頬を染め、眼を伏せる珊瑚の横顔を愛でるように微笑み、弥勒は玉簪の箱を懐に入れた。
「では、帰る前に茶屋にでも寄りましょう。そこで簪を髪に挿してあげます」
「うん」
 さりげなく、弥勒は隣を歩く珊瑚の手を取った。そして、指を絡める。
「こういう一日もいいですな。また、一緒に町に来ましょう」
「……うん。あたしも楽しい。また法師さまと一緒に来たい」
 視線を合わせず、珊瑚はそっと絡めた指に力を入れた。
「警戒心の強い仔猫が心を許してくれたような」
「え? なんて?」
「何でもありません。ちょっと嬉しいなと思っただけです」
 彼を仰ぎ見た娘に魅惑的に微笑んでみせた弥勒は、彼女の手を強く握り返す。彼のぬくもりを感じ、珊瑚は赫くなってうつむいた。
 最愛の人の喜ぶ顔がすぐ隣にある。
 それは互いの胸をあたたかく満たした。
 空が澄み渡って見えるのも、往来を渡る風がやさしく感じるのも、横で愛しい人が微笑んでいるからだ。今日という日は二人にとって、大切な思い出の一日となるだろう。

〔了〕

2024.3.5.