イメージお題・「猫」

01:ひっそりと距離を置く

 犬夜叉たちの一行は、次の村へ続く平坦な道を歩いていた。
 先頭には犬夜叉とかごめ、仔狐妖怪の七宝は犬夜叉の肩に掴まっている。
 そして、錫杖を鳴らして進む法師の隣には、最後に仲間になった退治屋の娘・珊瑚が──
(ん?)
 珊瑚は法師の隣にいなかった。
 弥勒は何気なく視線を斜め後ろにやった。
 娘は法師の少し後ろを歩いている。
 不意に目線を上げた珊瑚の眼と法師の眼が合い、つと、彼女は彼から視線を逸らせた。
(……)
 いつもこうだ。
 弥勒の隣を少しだけ遅れて歩き、眼が合うと、すぐに逸らせる。
 男を立てる性格なのか、自分を信用していないのか。警戒……これだろうな。
 弥勒は小さくため息をついた。
 容姿は好みだ。無垢で純情そうなのもいい。落とせる自信はある。
 彼女が行きずりの娘なら、確実に手を出している。
 しかし、彼女は仲間だ。
 仲間でいるために、ある程度の距離が必要だった。
 そう、ちょうど、珊瑚が彼との間に取っているくらいの、短い距離。
 歩きながら、さりげなく弥勒は斜め後ろの娘の様子を窺った。
 彼女に少し、興味を持った。
 奈落に因縁を持つ仲間としてではなく、一人の女として。

02:なんてつれない

「きゃあっ!」
 尻を触ったら問答無用で引っぱたかれた。
「痛いです、珊瑚……」
「じゃあ、触るな!」
 当然といえば当然の反応だが、他の娘たちとはどこか違う初心な仕草に悪戯心がそそられる。
 世慣れていない感じがたまらなくて、男心を刺激された。
(なんて可愛い反応をするんだ)
 誰にでもこうなのか?
 その日は行きずりの女を探すのをやめ、珊瑚と静かな時間を共有したいと思った。
 目の前にはおあつらえ向きに美しい風景。遠くに見える山々と、落日の時刻。
「ここから、夕陽が見えるな。一緒に見ましょう、珊瑚」
「……うん」
 小さな声で躊躇いがちに答える様も可憐だ。
 少し娘を惑わせてやろうと、傍らに立つ珊瑚の小さな手に自分の手を伸ばした。
 指を絡めようとすると、すいっとかわされた。
 横目で見ると、彼女は夕陽に目をやったまま、その手で胸元を押さえている。
 それでは肩を、と手を伸ばしかけると、すっと娘の身体が消えた。
 今度は腰を下ろしたのだ。
(手は出すなってことか?)
 珊瑚の隣に自らも腰を下ろした弥勒は、この初心な娘に自分のほうが翻弄されているように感じて、小さく苦笑を浮かべた。
 いつから、彼女のことが気になり出したのだろう。
 この娘は危険だと弥勒の本能が告げた。
 本気で心を奪われるまで、そう時間はかからないだろう。

03:視線が絡み合った途端

 よく珊瑚の視線を感じるようになった。
 自惚れではなく、確かに彼女は彼を見ている。
 それなのに……と弥勒はそっとため息を洩らした。
 見つめ返すと頬を染め、必ずといっていいほど珊瑚は眼を逸らしてしまうのだ。
 わずかな時間でいい。
 見つめ合いたいと思うのはわがままだろうか。
(愛おしい)
 そんな想いを自覚して、どうしようもなく身を焦がしている。
 野宿が続いたそんなある日、川へ水を汲みに行く珊瑚を見かけ、自らもそこにあった竹筒とかごめの空のペットボトルを持って、彼女のあとを追った。
 竹筒にまだ少し残っていた水は、誰もいないところで捨てた。
 たまに珊瑚と二人になる機会があっても、七宝がいたり雲母がいたりと、本当に二人きりになれることは稀なのだ。
「追加です」
 川辺で珊瑚に追いついた弥勒は、両手に持った竹筒とペットボトルを掲げてみせ、安心させるように微笑んでみせた。
 珊瑚は何も言わず、いつものように頬を紅潮させてうつむいた。
 水を汲む彼女の隣で、弥勒もまた、竹筒に水を満たす。
(だが、汲んでしまえばそれで終わりだ)
 何も起ころうはずがない。
 珊瑚が汲み終わった竹筒を地面に置いて、ペットボトルを手に取ろうとするのを見て、彼は衝動的に手を伸ばしていた。
 珊瑚の手を掴む。
 驚いた珊瑚がこちらを向いた。
 視線が絡む。
 娘の黒珠の瞳に蠱惑されたように、弥勒は身を乗り出した。
 ──
 口づけは寸前でやめた。
 身を強張らせて固く眼を閉じている、娘の怯えた様子に胸が痛んだ。
 恐る恐る珊瑚が眼を開けるのをたまらない気持ちで見ていた。
「すまない。……戻りましょうか」
 心臓が壊れそうだ。
 もうあとには引き返せないことを弥勒は知った。

04:ひなたぼっこ

 奈落が放ったと見られる妖怪の群れに襲われた。
 それほど苦戦したわけではないが、珊瑚が腕に怪我をした。
「見せてみなさい」
「かすり傷だから。平気」
 早めに宿を取り、かごめは犬夜叉と七宝を連れて、入り用な品を買いに出ていった。
 出ていくとき、少女は法師に向かって意味ありげに目配せをしたので、「珊瑚ちゃんをよろしく」ということなのだろう。
 大義名分もできたことだし、かごめから預かった薬箱の薬で珊瑚の怪我の手当てをして、ゆっくりと包帯を巻いた。
 ことさらゆっくり巻くのは、こうしていれば堂々と彼女の腕に触れていられるから、などという本音を洩らしては、たちまち平手を食らうだろう。
 ふと、珊瑚の様子に違和感を感じて、弥勒は手をとめた。
 今にも泣きそうな表情をしている。
 包帯を巻き終えた弥勒は、薬箱の蓋を閉じた。
 宿屋の部屋の濡れ縁では雲母がひなたぼっこをしていた。
 ちらとそちらを見遣ってから、弥勒は指先で珊瑚の額髪を払った。──頬はまだ濡れていない。
 いっそ珊瑚も仔猫なら、何の躊躇いもなくこの手に抱きしめることができたのに。
「法師さま?」
「手当てはすみました。縁側へ移動しませんか。ちょうど陽だまりになっていて、雲母が気持ちよさそうですよ」
「……うん」
 いつもすぐに姿を消してしまうくせに、こんなときだけ珊瑚のそばにいるのは虫がよすぎるだろうか。
 しかし、何か口実がないと近づけないくらい、臆病になっているのだ。
 それに珊瑚は。
(おれなんかが触れて、穢していい女じゃない)

05:気付けばすぐ其処に

 それなのに、突然、告げてしまった。
「私の子を産んでくれんか」
 言わないつもりでいた言葉、ひた隠しにしていた想い。
 珊瑚が無茶をして、危険な目になど遭うから──
「はい」
 娘はそう答えてくれた。
 輝くほどの表情で。
 秘めていた想いを伝え、それを珊瑚がひたむきに受けとめたあと、そのまま余韻に浸るように、二人は水辺に座っていた。
 辺りは静かだ。
 犬夜叉やかごめたちは、気を利かせてくれたのだろう。
「もう一度」
 欲してやまなかった娘がすぐそこにいる。
「なに?」
「もう一度言ってくれ。私の子を産むと」
「法師さまが浮気しなければ、ね」
 この娘が相手だと、不思議なくらい自己を制御できなくなる。
 愛しいという感情のままに、珊瑚を思いきり抱きしめたかった。
 ふと隣を見遣ると、珊瑚が法師の肩に寄り添おうとして、躊躇っているようだ。その様子が愛らしく、微笑を誘われた。
「いいんですよ」
 穏やかに弥勒は言った。
「私たちはもう、夫婦になる約束をした仲なのですから」
「でも、傷が……」
「私がそうしたいんです」
 珊瑚は彼の傷を気遣いながら、そっと彼との距離をつめ、彼に寄り添い、彼の肩に頭をもたせかけた。

“私の、特別なおなご”

 ずっと、彼女を見つめていた。
 すぐに祝言をあげられるわけではないが、想いが通じた喜びに弥勒は浸る。
 もう少しだけこうしていてもいいだろうか。
 二人を祝福するように、水辺にやさしい風が吹いていた。

〔了〕

2011.6.5.

お題は「追憶の苑」様からお借りしました。(閉鎖されたようです)