イメージお題・「蝶」
01:ひらりひらり
(全く、あの生臭法師は懲りもせず)
珊瑚は姿をくらました法師を捜して、村中を歩き廻っていた。
追いかけても追いかけても、彼女の手の中からするりとすり抜けていってしまう。
あんな掴み所のない男を追いかけて、どうなるというのだろう。
(それに、あたしは……)
仲間以上の何者でもない。
彼の行動を制限する権利など持っていない。
どうすることもできない、どうしていいのか解らない、そんな感情を胸の奥にしまいこみ、珊瑚は足をとめて大きく深呼吸をした。
すると、どこから迷い込んできたのか、黒い蝶がひらりひらりと珊瑚のほうへと飛んできた。
誰かに似ているような気がして、珊瑚は両手でぱしっと蝶を捕らえた。
彼の面影を想い、空洞を作って合わせた両の掌をそっと開く。
己の手の中に、艶めかしい黒い翅を持った美しい蝶が、その翅をゆっくりと開閉させていた。
「おまえはあんな似非法師みたいになるんじゃないよ」
諭すようにつぶやき、珊瑚は蝶を空へ放った。
一行はその村を出て、次の村へと出発した。
どこかへ行っていた法師は、何事もなかったように、そこにいる。
珊瑚は彼の少しだけ後ろを歩く。
あまり近づくと、心を見透かされそうで怖いから。
ふと気がついたら、法師がこちらを見ていたので、珊瑚は慌てて眼を逸らした。
02:花蜜を求め
「さあ、これで解散」
その村で、ひと通り情報収集を終え、情報の交換をすると、弥勒は晴れやかな顔で宣言した。
「解散って何、法師さま?」
「え? だって、みな自由時間が欲しいでしょう? かごめさまは勉強もしなくてはなりませんし」
「そうだけど、法師さまはどこ行く気?」
珊瑚の顔を見つめ、弥勒はにっこりと笑った。
「それは聞くだけ野暮というものですよ」
そりゃ女を探しに行くのだろうとは解っているが、もう夕暮れだ。
出会った女が同意すれば、二人で一夜を過ごすことは目に見えている。
困惑したように口を閉ざした珊瑚を置いて、法師は一人で行ってしまった。
「……」
引きとめる権利なんてない。
かごめが気遣わしげに、宿を頼んだ家に一緒に帰ろうと声を掛けてくれたが、珊瑚は少し散歩したいからと仲間たちと別れた。
どこかで女連れの法師と顔を合わせるのも気詰まりで、村の外れまで足を運び、ぼんやりと遠くの山々を眺めた。
そうしていると、不意に求めていた声が背後から掛けられた。
「気が変わりました。今日はおまえに話し相手になってもらいましょう」
「法師さま……!」
と同時に臀部に感じた手の感触。
「きゃあっ!」
気がついたら反射的に引っぱたいていた。
「痛いです、珊瑚……」
「じゃあ、触るな!」
頬が熱い。鼓動が早鐘を打っている。
こんなことをされたのに何故だろう、──嬉しい。
「ここから、夕陽が見えるな。一緒に見ましょう、珊瑚」
「……うん」
その日は言葉少なに、ただ二人で陽が落ちていくのを眺めていた。
03:色鮮やかな翅(はね)
気がついたら、視線が弥勒を追っている。
銀色の髪に緋色の衣という目立つ犬夜叉と一緒にいても、墨染めをまとう弥勒のほうが、何故か際立って鮮やかに、珊瑚の視界に映り込む。
(慕わしい)
そんな想いは意識した途端に打ち消してしまうが、逸らしても逸らしても、すぐもとに戻ってしまう視線の行方に、仲間たちに気づかれやしないかと気が気でない。
野宿が続いたそんなある日、竹筒を持って川へ水を汲みに来た珊瑚は、背後に彼の気配を感じて振り返った。
「追加です」
弥勒は片手に竹筒、もう片方の手にかごめのペットボトルを持って穏やかに微笑んでみせた。
たまに法師と二人になることがあっても、七宝がいたり雲母がいたりで、本当の二人きりになるのは稀だ。
意識すると、急に鼓動が速くなった。
(でも、水を汲むのなんてすぐに終わるし)
何かあろうはずもない。
珊瑚は汲み終わった竹筒を地面に置いて、法師が持ってきたペットボトルに手を伸ばした。
指先がペットボトルに触れる前に彼の体温に触れ、驚いて法師のほうへ顔を向けた。
視線が絡む。
催眠術にかかったように、法師の瞳に魅せられて、からめとられたように身動きが取れない。
頬を撫でられ、彼がゆっくりと身を乗り出した。
(っ!)
身をすくませ、ぎゅっと眼をつぶり、珊瑚は息をつめた。
──
無意識に待ち受けた感触は一向に訪れず、はっとして眼を開けると、見たこともない表情で弥勒がこちらを見ていた。
「すまない。……戻りましょうか」
心臓が壊れそうだ。
鮮やかなこの男に呑み込まれる。
04:舞うように
奈落が放ったと見られる妖怪の群れに襲われた。
犬夜叉は鉄砕牙を抜き、かごめは弓を構え、七宝は狐妖術で応戦する。
珊瑚は飛来骨を操り、次々と妖怪たちをなぎ倒しながら、戦況を確認しようと素早く辺りを見廻した。
そんなとき、ふと探してしまったのがいけなかった。──法師の姿を。
流れるように錫杖を使い、妖怪を倒していく動作が舞うように美しくて、珊瑚は目を奪われた。
「危ない、珊瑚!」
破魔札が投じられ、珊瑚がはっとしたとき、彼女を狙っていた妖怪が消滅した。
法師に見惚れて不覚を取ろうとしたなんて。
頬が熱くなるのを感じた珊瑚は、我武者羅に飛来骨を投げることに集中した。
だが、やはり、弥勒の存在を意識するあまり、集中力が損なわれていたようだ。
妖怪は全て始末したが、珊瑚は腕に怪我を負ってしまった。
宿に落ち着いたあと、犬夜叉とかごめが七宝を連れて入り用なものを買いに出かけたので、珊瑚は縁に面した部屋で、弥勒に怪我の手当てをしてもらった。
いつもはすぐに姿を消してしまうくせに、こんなときは必ず、弥勒は珊瑚のそばにいる。
かごめの薬箱を借りた弥勒は、手際よく珊瑚の腕に包帯を巻いていった。
流れるように優雅な彼の仕草を眺めていると、いつかの黒い蝶のことが思い出された。
あの蝶は彼女の両の手の中に簡単に捕らえることができた。
でも、法師さまは。
(あたしなんか、手も届かない人だ)
05:風に吹かれながら
それなのに、突然、嘘のようだった。
「私の子を産んでくれんか」
確かに、彼はそう言った。
夢中でうなずいて、珊瑚はそのあと自分がどうしたのかよく覚えていない。
気がつくと、水辺で弥勒と二人きりで座っていた。
「……」
まだ夢を見ているようで、膝の上でそっと手の甲をつねってみた。
それを見て、弥勒は愛しげに微笑みを浮かべた。
「何してるんですか」
「え……あの、なんか白昼夢を見ているみたいで」
珊瑚は赫くなってうつむいた。
まだ本当とは思えない。
「もう一度」
甘くささやかれ、珊瑚ははっと顔を上げた。
「なに?」
「もう一度言ってくれ。私の子を産むと」
「法師さまが浮気しなければ、ね」
恥ずかしくて、照れ隠しを言うのが精一杯で、誤魔化すように彼に身を寄せかけて、そして、珊瑚は躊躇った。
「いいんですよ」
穏やかに弥勒がささやく。
「私たちはもう、夫婦になる約束をした仲なのですから」
「でも、傷が……」
「私がそうしたいんです」
珊瑚は彼の傷を気遣いながら、そっと彼との距離をつめ、彼に寄り添い、彼の肩に頭をもたせかけた。
“法師さまの、特別なおなご”
いつも、彼を追いかけていた。
すぐに祝言をあげられるわけではないけれど、想いが届いた喜びに珊瑚は浸る。
もう少しだけこうしていたい。
二人を祝福するように、水辺にやさしい風が吹いていた。
〔了〕
2011.6.5.