君、爛漫

01:他愛もない会話

 朝から気持ちのいい青空が広がっている。
「おはよう、珊瑚」
「おはよう、法師さま」
 そんな当たり前の言葉がとても愛おしい。
 弥勒と夫婦になり、挨拶ひとつとっても、家事ひとつとっても、珊瑚には全てが新鮮に感じられる毎日だ。
 今日のような晴天だと、洗濯や掃除が思いきりできると、珊瑚の頭はまめまめしく動くのだが、その日の朝餉の席で、弥勒が言った。
「今日は町へでも行きましょうか」
「町へ?」
「そろそろ小袖ができている頃です。たまには二人で息抜きしましょう」
「あたしも一緒に?」
 弥勒の笑顔に引き込まれるように、珊瑚もにっこりした。
「雲母がいなくては、帰る頃には夜になってるな。どうです、珊瑚? 町で一泊して、羽を伸ばしませんか?」
「嬉しい」
 しばらく弥勒に妖怪退治の依頼が続いていたので、弥勒と一緒にゆっくりできるというのは、珊瑚にとっても久しぶりであった。
 朝餉を終えた二人は一緒に後片付けをして、隣家と楓に留守にする旨を伝え、戸締りをして、家を出た。

 二人で並んで道を行く。
 天気がよく、風も気持ちいい。
「法師さまと二人で旅してるみたい」
 珊瑚が嬉しげに言うと、錫杖を鳴らし、弥勒も妻を顧みて破顔した。飛来骨は携えていないが、荷は持っている。
「夫婦になってから一緒に遠出するのは、初めてだな」
「そうだよ。なんか新鮮だね」
 町までの道は遠いが、二人の足取りは軽かった。
「ねえ。あの雲、七宝の尻尾みたい」
「はは、本当だな」
「……あ、流れていく」
「今度は雲母の尻尾のようだな」
 そんな他愛ない会話がいちいち幸せで、互いの笑顔に満たされる。

02:花が開くように

 町に到着した二人は、染物屋に入った。
 店の主人が笑顔で迎える。
「おお、法師さま。できておりますよ」
 注文していた品は珊瑚の花嫁衣装だ。
 人妻になってからも着られるように、白綾の小袖を染め直しに出していたのだ。
「そちらが法師さまご自慢の……?」
 主人が珊瑚に眼を向けると、彼女ははっとして会釈した。
「つっ、妻です」
 少し上擦った声になってしまったが、珊瑚が発したその言葉に弥勒は嬉しそうだ。
 店の奥の間に入った弥勒と珊瑚の前に、店の主人が染め上がった小袖を広げた。
「わあ……!」
 感嘆の吐息が洩れた。
 濃淡の黄色の地に白い梅が咲き乱れている。
 そんな小袖の柄を見つめる珊瑚の表情がやわらかく綻んだ。──まるで、花が開くように。
「素敵……」
 梅の花の模様も、小袖の色も、二人で決めた。
 嬉しそうな妻の華やいだ様子を見て、弥勒も満足げに眼を細めていた。
 愛する妻の透明な笑顔がまぶしかった。

03:ほっと一息

 弥勒の提案で、二人は先に宿を取った。
 町の喧騒から逃れ、通された部屋に二人きりになる。
 茶と漬け物を出され、それを口にし、ほっとしたように二人は息をついた。
「疲れましたか?」
「ううん、平気。気分が高揚してるからかな」
「では、町を散策しに行きましょうか」
 弥勒の勧めで、珊瑚は受け取ったばかりの梅の小袖に着替えることにした。
 黄蘗色の仄かな濃淡を背景に繊細な白い梅が咲き乱れている意匠の小袖は、華やかながらも上品で、珊瑚の清楚さによく似合った。
 帯は苔色だ。
 着替え、すっかり雰囲気を変えた珊瑚の背後に弥勒が廻り、彼女の髪の元結いを解いた。
「法師さま?」
「これを持ってきたんですよ」
 法師が取り出したのは、紅珊瑚の玉簪だ。
「あ……」
 珊瑚が驚きの交じった笑みを浮かべる。
 それは、まだ祝言をあげる前、二人で町に来た際に彼が買った、彼女への贈り物であった。
「折角なので、着飾ってください」
 弥勒は珊瑚の髪を梳くと、背に流れる髪の両サイドをすくい上げ、器用に後頭部に小さな髷を作って、そこに簪を挿した。
「うん、美しい」
「……」
 妻をいろんな角度から眺める夫の眼差しに、彼女はややはにかんだ様子で微笑んだ。
 幸せな新妻の姿だった。

04:指先だけを絡めて

 宿を出て、町を散策する弥勒と珊瑚は、あちこちの店を覗きながら、のんびりと歩いていた。
 すれ違った親子連れの、子供の声が耳に入る。
「あの姉さま、綺麗」
 さりげなく弥勒が背後を見遣ると、その親子連れは珊瑚のほうを見ていた。他の通行人の中にも、美しく装った珊瑚を振り返る者が数多くいた。
 自慢の妻を褒められ、彼は誇らしげな気分になる。
「珊瑚」
「ん?」
「手を繋ぎませんか?」
「えっ」
 瞬時に彼女の頬が染まる。
「恥ずかしいよ。こんな町中で」
「おまえは私のものだと、自慢したいんです」
 やわらかに笑む弥勒の顔に珊瑚は弱い。
 彼女は法師に手を取られ、戸惑ったが、拒みはしなかった。
「でも、法師さま。やっぱり、恥ずかしい」
 人目を気にする珊瑚に、弥勒は屈託なく笑った。
 そういう珊瑚が愛しいが、己の気持ちにも素直でありたいと思った。
「では、指先だけ」
 悪戯っぽくささやくと、頬を染めながらも、珊瑚はおとなしくうなずいた。
 広い空が青い。
 こうして二人でただ歩いているだけで、楽しくて、愛しくて、それは何ものにも代えがたい時間のように思われた。

05:薄紅色に染まる頬

 夕刻、二人は宿に戻ってきた。
 弥勒が夕餉の時間を訊きに行くと、道に水をまいていた宿屋の下男が、そこに残った珊瑚に声をかけた。
「お連れさんはお嬢さんのいい人かい? 美男美女でお似合いだねえ」
 珊瑚は驚いたように眼を見張り、ぽっと頬を染めて小声で答えた。
「あの人は、お……夫です」
 自分のその言葉に胸が熱くなる。
 下男は微笑ましそうに珊瑚を見遣り、そうかい、と応えた。
「珊瑚、夕餉はすぐに出せるそうです。行きましょう」
 戻ってきた弥勒が下男に会釈して、珊瑚を促した。
 宿の中に入ると、彼はそっと彼女の耳にささやいた。
「さっき、私のことを訊かれてましたね。何と答えたんです?」
「……その様子じゃ、聞いてたんだろう」
「聞いていましたが、私にも直に言ってください」
 店の者に案内されて、宿の廊下を移動しながら、弥勒の手が珊瑚の頬に伸びた。
 驚いた珊瑚は出し抜けに足をとめ、弥勒の手を掴む。
「駄目、こんなところで!」
 小声でたしなめられ、弥勒はきょとんとした。
「いや、髪が少し乱れていたので直そうと」
 珊瑚ははっとして、真っ赤になってうつむいた。
 彼女の勘違いに気づいた弥勒が思わせぶりにささやく。
「何を期待したんですか、珊瑚?」
「う、うるさい」
 わざとらしく笑顔を作る法師の顔を、恥ずかしさのあまり、珊瑚はまともに見られない。そんな珊瑚を、弥勒は愛しげな微笑で見つめていた。

 部屋に案内され、すぐに夕餉が運ばれた。
 早めに夕餉を終えると、酒肴を運んでもらい、燈台の灯りのもと、二人はゆっくり酒を酌み交わす。
「今日は疲れたか?」
「少しね。楽しかったし、はしゃいでしまったから。でも、こんなふうに過ごすのもいいね」
 やさしく妻を見つめていた弥勒が、彼女の肩を抱き寄せ、ゆるやかに唇を奪った。
「法師さま……」
「また、遊びに来よう。そのときはまた、その梅の小袖を着てください」
 やわらかな灯りに照らされる彼女の頬が薄紅色に染まっていた。
 その美しさに魅せられ、弥勒はもう一度、彼女の唇を奪う。
「おまえに出逢わなければ……私はどんな生活をしていたのか」
「それはあたしだって」
 愛しい人へ、珊瑚は自分からもやさしく口づけを返した。
 この人と出逢えて、一緒になれて、本当によかったと愛しさを噛みしめながら──

 やがて夜は更け、二人は並んで床に就く。
 寄り添い、指を絡めて、暗闇で見つめ合う。
「おやすみ、珊瑚」
「おやすみなさい、法師さま」
 そんな当たり前の言葉すら、とても愛おしい。
 絡めた指に互いを感じて、眼を閉じる。
 心地好い睡魔に身を委ね、最愛の人の静かな息吹を感じながら、二人は眠りに落ちていく。

〔了〕

2021.3.7.

「二人の為のお題/Type:28」
お題は「追憶の苑」様からお借りしました。(閉鎖されたようです)
50万hit記念です。