おらは魔法使い?

第一章 異世界へ

 天気予報では、ここ数年、類を見ないほどの勢力を持つ台風だといっていた。
 次第にひどくなる雨風の音に、自室で机に向かって勉強していたかごめは、びくりと身を震わせた。
「……だ、大丈夫、よね……」
 引きつり気味の笑いを浮かべ、必死に平常心を装って、参考書に目を落とす。
 明日は大切な試験を控えているのだ。

 びゅうぅっ ごおぉっ ばたんっ

 ──びくっ!
 外の物音に気を取られ、試験勉強どころの騒ぎではない。
「は……はは。でも、もしかしたら、明日は休校かもしれないじゃない」
 試験勉強、しなくてすむかも!
 ひどい台風を前向きに捉え、かごめはぱたんとノートを閉じた。
 時計の針は午前二時を指している。
「もういいや。寝ちゃお」
 決めると早い。
 さっさとベッドにもぐりこんでしまった。

* * *

 凄まじい震動で眼が覚めた。
──なにっ? じっ、地震っ?」
 台風と地震が重なるなんて!
 これから天変地異が起こるのか?
 ほとんどパニック状態のかごめはベッドの上に起き上がり、何とか揺れに耐えようとしたが、次の瞬間襲ってきた衝撃になす術もなく、再びベッドの中に倒れ込んでしまった。

 ずっしーん!

「……」
 何だ、この家が叩き付けられたような衝撃は。

 しーん

「……」
 何だ、このさっきの揺れが嘘のような静けさは。

 気がつくと、カーテンの隙間からは陽が射していた。
「……」
 どうにか頭を働かせようとする。
 地震は?
 台風は?
 ── って、晴れている?
 今が朝で、晴れているということは……
「うそっ! どうしよう、今日のテスト!」
 かごめは別の意味でパニックになり、慌ててベッドから飛び降りると、両手でカーテンをさっと左右に割り開いた。
「……あれ……?」
 そこに見えるは見慣れた自宅の庭ではなく、全く知らない風景。
 しかも、どう見ても森だ。
 でも、どこかで見たことあるような──
 とにかく外に出てみようと、制服に着替え、身支度もそこそこにかごめは玄関から飛び出した。
「井戸がある。それに、あれは御神木……?」
 そう、確かにそれは日暮神社の井戸に似ている。
 しかし、祠の中ではなく剥き出しで森の中にあり、ここが日暮神社の境内ではないことは明らかだ。また、その奥に見える御神木らしき大木の様相も、彼女が知るものとは微妙に異なる。
「地響きがしたので来てみれば……」
 突然、聞こえた人の声に振り向くと、刀の鍔で右眼に眼帯をした巫女装束の老年の女性が立っていた。
「えっと……」
 この人も、どこかで見たことあるような。
「おぬし、もしかすると、えらい魔法使いなのか?」
 その巫女はずかずかとかごめに歩み寄ると、頭の天辺から足の先まで品定めするような目付きで無遠慮に眺め廻し、挨拶もなしにいきなり問いかけた。
「は?」
「この国の者を困らせていた魔女を、おぬしが倒してくれたのだな」
「え……何のこと?」
「ほれ」
 と、隻眼の巫女が顎で示すほうへ眼を向けてみれば、
「うわっ!」
 かごめの家の玄関の下から、人間の足が二本、突き出ているではないか。
「なっ、何これ? どーゆーことっ!?」
 どうもこうも、ありえない光景だが、人間が家の下敷きになっているようにしか見えない。また事実、そうである。
「どっ、どっ、どうしよう! あたしの家が、あの人を殺しちゃったの!?」
「気にすることはない」
 老巫女は堂々と落ち着き払ったものだった。
「あれは悪い魔女だからな。椿といって、この東の国“親”を支配しておった黒巫女だ」
「でもっ!」
「案ずるな。この国の者はみな、喜んでいる」
 よくよく見れば、巫女の後ろには遠巻きに十数人の人だかりができており、みな、ほっとしたような嬉しそうな表情でうなずいている。
 が、それよりかごめは、彼らの着ている衣服が気になった。
 どう見ても時代劇の衣装だ。──ここは太秦映画村か?
「わしの名は楓。北の“勇”の国の魔女だ。わしの力でこの国を救ってやれればよかったのだが、力不足でな。おぬしに礼を言うぞ」
「はあ……」
 楓は貫禄たっぷりにそう自己紹介したが、いまひとつ、かごめはぴんとこなかった。
「おばあちゃん、魔女なの?」
 その格好はどう見ても巫女でしょうが。
 それに、真面目くさって魔女などと子供騙しにもほどがある。
 そう突っ込みたかったが、ここは相手に話を合わせることにした。
「この衣裳を見れば判るだろう。白をまとうは魔法を使う者のみじゃ」
「そうなの?」
 じゃあ、その紅い袴は?
 そう訊き返したかったが、ここでもかごめは黙っていた。
「ほれ。おぬしとて、白い衣をまとっておろう。裳が異常に短いのは異国の魔女だからかの?」
「いや、これは中学の制服──
 かごめの言葉を無視して、魔女・楓は語り出した。
「異国の者ならば、この世界のことを説明せねばならん。この世界は四つの国から成っておってな、それぞれ、魔法を操る者が支配しておる」
「四つの国? ここ、日本じゃないの?」
「日本? 知らんな。わしが知っている国は、おぬしが殺した椿が支配していたここ“親”の国、北にあるわしの“勇”の国、西の“愛”の国、南の“智”の国の四つ」
 日本じゃない──
 かごめは大きく眼を見開いて、口をぱくぱくさせた。
「そして、その四つの国のちょうど中央に、異世界から来たという偉大な魔法使い、翠玉王の治める緑柱石の都がある」
「ちょっ、ちょっと待ってよ。この世界が四つの国とひとつの都から成り立っていることは解ったけど、あたし、家に帰らなくちゃなんないのよ。──って、家はここにあるけど」
 と、悪い魔女を下敷きにした建物を指差しながら、かごめは早口でまくしたてた。
「大切な試験があるの。どうすれば、もとのあたしの世界に戻れるの?」
「知らん」
「って、そんな。楓ばあちゃん、魔女でしょう?」
 あっさりと切り捨てられ、かごめは必死の面持ちで楓につめよる。
「あたしの世界じゃね、魔女って何でもできることになってるのよ?」
「ここでは魔法といっても、できることには限りがある。できんものはできん」
「そんなあ……」
 泣きそうに顔をゆがめる少女の落胆に、さすがの魔女も同情心を抱いたらしい。少し考え、ぽんと手を打った。
「おお、そうじゃ。おぬしと同じく異世界から来た翠玉王ならば、もしかすると、どうやったら異世界へおもむくことができるか知っておるかもしれんぞ」
「翠玉王? りょくなんとかいう都の王様ね?」
「緑柱石の都じゃ」
 楓はさりげなく訂正してから、かごめの瞳をじっと見つめた。
「わしは翠玉王に会ったことはないし、緑柱石の都へも行ったことがない。翠玉王がどのような人物なのかは全くの謎なのだが、おぬしがもとの世界へ帰るにはそれしか方法はない」
 楓の真剣な口調と眼の光を見て、かごめは緑柱石の都への旅が容易なものではないことを知り、心細さを感じた。
「ねえ、楓ばあちゃん。あなたも、一緒に来てくれない?」
「それは無理だな。わしには、北の国を治めるという仕事がある。しかし」
 楓はゆっくりと背後の木立を振り向くと、「おいで」と言った。茂みの陰から姿を現し、たたっとこちらへ駆けてきたのは、二股の尾を持った愛らしい一匹の小猫だった。
「代わりといってはなんだが、この猫又を連れていってはどうだ?」
「あ、可愛い。楓ばあちゃんの猫?」
「いや、違う。こいつもどうやら椿を倒そうと機会を窺っていたらしい。ここ数日、この辺りをうろついておったからの。見てくれは可愛いが、これでも立派な妖怪だ。大丈夫、人には馴れておる」
 楓が猫又を抱き上げようとしたとき、周囲にいた人々の間から悲鳴が上がった。
 かごめと楓が驚いてそちらのほうを見遣ると、かごめの家に潰されていた黒巫女の足がすうっと消えていくところであった。
「……消えちゃった」
「椿は若さを保つ秘術を使っておったからな。それゆえ、死して術が解けたのだろう」
 小さな猫又が魔女が消えた辺りまで駆けていき、何かを咥えて戻ってきた。
「なに? あたしにくれるの?」
 かごめの足首を前脚でとんとんとつつき、彼女がしゃがみ込んで手を差し出すと、猫又は咥えていたものをその掌の上に載せた。
「不思議な色をした玉ね。宝石かな?」
「おお、それは」
 かごめの手に載せられたものを見て、楓が驚きの声を上げた。
「それは四魂の玉ではないか? どうやって使うのかは知らんが、椿がたいそう自慢していた、不思議な力を秘めているという玉じゃ。それを持って緑柱石の都へ行くがよい。それがきっと、おぬしを守ってくれるだろう」
「へえ……」
 この玉にどんな力が秘められているのか。
 不思議な気持ちに捕らわれ、かごめは手の中の四魂の玉を見つめた。

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2007.8.27.