おらは魔法使い?
第二章 叡智を求める法師
緑柱石の都へ行くには、灰色の石畳の道をどこまでも歩いていくといい。そうすれば、自然と都へ辿り着けるようになっておる──
そうかごめに告げ、北の国の魔女・楓は去っていった。
なんとなく心細さは残るものの、嘆いてばかりはいられない。
かごめは家の中に入って、旅の準備を整えた。
黄色いリュックを引っ張り出し、思いつくものを片っ端からつめ込んでいく。
「うん、こんなところね」
荷作りをすませると、まずは腹ごしらえ。
かごめは冷蔵庫にあるもので簡単に朝食を作ると、ふと思いついて、小さな猫又のためにキャットフードの缶を開けた。
「妖怪だって聞いたけど、猫だもんね。食べる?」
平たい皿に盛って床に置くと、猫又はしばらく匂いを嗅いでいたが、気に入ったようで、はぐはぐと食べだした。その様子にかごめは満足する。
「それにしても、家とあたしだけがこんな異世界に飛ばされて、ママやじいちゃんたちはどこ行っちゃったのかしら?」
普通に考えると、かごめのほうが「どこかへ行った」ことになるのだが。
朝食を終え、きちんと後片付けをしてから、かごめは玄関にしっかりと鍵をかけた。
「さあ、猫ちゃん、行きましょう」
よいしょっ!と重いリュックを背負いなおし、小さな猫又を伴って、緑柱石の都を治める翠玉王とやらに会うために、かごめは灰色の石畳の道を元気よく歩き出した。
辺りの景色は、かごめの住む都会では考えられないほどの自然にあふれていた。
突如、未知の世界に一人きりで放り出されたわりには、かごめはそれほど気落ちすることもなく、足取りも軽く、石畳の道を歩く。
その横を小さな猫又がとことことついていく。
森を抜けると、田や畑が一面に広がっていた。
自然がふんだんに残された田舎の風景を物珍しげに目に映しながら歩いていると、道のわきの大きな切り株に、一人の青年が腰掛けているのが見えた。
緇衣の上に紫の袈裟をまとい、手には錫杖を持っている。
出で立ちは僧侶だが、剃髪はしておらず、髪は首の後ろでひとつに結わえられていた。
やや視線を落とし、憂愁の翳を湛えた表情は、端整な顔立ちと相俟って、ため息をつかせるほどの幽艶さを匂わせていた。
(……あ、格好いいかも)
思わず足を止めたとき、青年がふと顔を上げてかごめのほうを向いた。
視線が合う。
憂いを帯びた瞳が、ひた、とかごめを見つめている。
美貌の青年の真摯な視線にかごめの胸も、知らず、高鳴る。
(きゃ、薄倖の美青年てやつ?)
その薄倖の美青年は、ゆったりと立ち上がると、まっすぐかごめに向かって歩いてきた。
そして、おもむろにかごめの手を取り、両手で握る。
「娘さん」
「はっ? あたし?」
青年はなおもかごめをじっと見つめ、
「私の子を産んでくださらんか」
「──は?」
いやが上にもかごめの声のトーンが低くなる。
かごめの中で、法衣姿の青年に対する“薄倖の美青年”というイメージがガラガラと音を立てて崩れていった。
「あ、いえ、これは挨拶のようなものです。気になさらずに」
「……あ、はは。そう、ですか」
思いきり胡散臭いものを見るような眼つきで、かごめは青年を眺めやる。
「私は弥勒、旅の法師です。ときに、あなたのお名前は?」
「みろく……ふーん、弥勒さまかあ。あたしは日暮かごめ。緑柱石の都へ行く途中なの」
「緑柱石の都へ──ほう、それはそれは」
やっとかごめから手を放し、弥勒は再び切り株に腰掛けた。
「この国の悪い魔女が死んだと、ここを通った村人から聞きました。なんでも、異国から来た魔法使いが退治してくれたとか。それはもしや、あなたのことですか」
「うーん。あたしには違いないんだけど、あたしじゃないのよ」
「はあ……」
禅問答のようなかごめの答えに、弥勒は首を傾けた。
「けれど、かごめさまは魔女なのでしょう? 白い衣を着ておられるし、あなたに巫女の霊力のようなものを感じます」
「ああ、うちは神社だから、巫女ってのはあながち間違いでもないんだけど、魔女っていうのはちょっとねえ……」
かごめは首に掛けていた四魂の玉を取り出し、弥勒に見せた。
「弥勒さまが感じる力ってのは、これのことじゃないかしら」
「それは」
「四魂の玉よ」
「ほう」
弥勒は眼を大きく見張って、かごめの首に掛けられているチェーンの先の玉を見つめた。
「なんかよく知らないけど、不思議な力があるんですって。あたしの旅のお守り」
「噂では耳にしたことがあります。これが四魂の玉ですか」
切り株から立ち上がり、弥勒はしげしげと四魂の玉を手にとって眺めた。
「ところで、かごめさまは何故、緑柱石の都へ行かれるのですか?」
「うん……異世界から来たっていうのは本当なのよ。でも、帰り道が判らなくなっちゃってね。緑柱石の都の翠玉王は異世界から来たすごい魔法使いだっていうし、あたしをもとの世界へ帰してくれるように頼みに行こうと思って」
「翠玉王とは、それほどのことができる魔法使いなのですか?」
「そう聞いたわよ? 翠玉王にできないことはないって」
話が大きくなっている。
「それでは、翠玉王に頼めば、王は私に知恵を授けてくださるだろうか」
「それくらい朝飯前なんじゃない? だって、あたしを異世界に帰してくれるほどの魔法使いだもの!」
さらに話が大きくなっている。
そのとき、弥勒の視線がふっとかごめから彼女の背後にそれた。
「?」
不思議に思ったかごめが振り向くと、小袖姿の若い娘が一人、道を通り過ぎようとしているところだった。
「娘さんっ」
すかさず、その娘に声をかける弥勒。
「私の子を産んでくれませんか」
娘の手を握り、真剣な口調でそう告げる法師の姿に、かくん、と力が抜けるかごめ。
「弥勒さまっ!」
苦笑いを浮かべてそそくさとその場を立ち去る娘を尻目に、かごめは弥勒の腕を強く引っ張って声を荒げた。
「何それ! いつもそんなこと言ってるの?」
「いえ、ですからこれは口癖のようなものでして……」
はは、と笑って誤魔化す法師を、かごめは胡乱な眼でじとっと眺める。
少女の棘のある視線を受けて、はああ、と弥勒は悲愴なため息をついた。
「出会うおなご、出会うおなごに必ずこの言葉で挨拶に代えてしまうのは、きっと、私に他の言葉を選ぶ知恵が足りないせいだ」
「それ、単に懲りない性分なんじゃ……」
「ああ、今まで、私の言葉を本気に取ったおなごをどれだけ泣かせてきたことか」
「……何気に自慢してる?」
かごめの突っ込みはことごとく無視され、法師──弥勒はさっと顔を上げて、かごめの手をぎゅっと握りしめた。
「私も緑柱石の都に行きます。翠玉王に叡智を授けていただきたい。かごめさまの旅に同行させてくれませんか」
かごめとしても、知らない世界の一人旅は心細かったため、同行者ができるのは大いに歓迎するところであった。
二人と一匹は緑柱石の都を目指して、灰色の石畳の道を歩き続けた。
畑の中を抜けた道は、再び森へと続いている。
彼らは昼に一度昼食を取っただけで、夕刻にもなると、法師はともかく、かごめのほうにはさすがに疲れが目立ちはじめた。
薄暗い森の中である。むやみに歩くことは避けたい。
「どうしよう。このまま夜になっちゃったら」
かごめはきょろきょろと森の中を見廻した。
「そうですなあ。ここが村なら、宿を貸してくれる家を探すこともできるのですが……」
弥勒も森の木々を透かして周囲を見渡してみるが、時刻とともにどんどん暗くなっていく森の中では、そう遠くまで様子を窺い知ることはできない。
そのとき、かごめの足許を歩いていた小さな猫又が、出し抜けに石畳の道をそれて、森の中へと駆け出した。
「あっ、猫ちゃん、どこ行くの!」
「猫ちゃん? それがあの猫又の名前なので?」
「ううん。あの子、あたしの猫又じゃないの。名前、知らないのよ」
薄暗い木々の間を縫うように進む猫又は、時々背後を振り返り、かごめと弥勒がついてくるのを確認している。
二人をどこかへ案内しようとしているようだった。
「あ、小屋がある。弥勒さま、見て。誰かの家だわ」
「ほう。この子はこの小屋へ私たちを案内してくれたのですな」
森の中の少し木々が開けた場所に、小さな小屋が建っていた。
しかし、窓から洩れる明かりもなく、しんと静まり返っている。ひと気はない。
また、少し離れた場所にさらに一回り小さな小屋があり、そこの窓から二人が中を覗くと、薄暗いながらも武器らしきものが雑然と置かれているのが目に入った。
「武器の工房のようですな」
「やだ。山賊の家とかだったらどうしよう」
「妖怪の棲み処かもしれませんなあ」
「やめてよ、弥勒さま」
弥勒はにっこりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。妖気は感じませんし、念のために戸口に札を貼っておきましょう。それに、私が寝ずの番をしますから、かごめさまはゆっくり休んでください」
「え、でも弥勒さまは……」
「私は旅慣れていますから、一晩や二晩、寝ずにいたところでどうってことありません」
やや胡散臭げだった有髪の法師の意外に紳士的な一面に、かごめは彼を見直した。
二人は武器工房らしき小屋を離れ、住居と思しい小屋の戸口の前に立った。弥勒が錫杖で引き戸をとんとんとたたく。
「旅の者です。一夜の宿をお貸し願えませんか」
「ごめんくださーい。誰かいませんかあ?」
かごめも一緒になって住人に呼びかけてみたが、やはり、小屋の中はしんとしたままだった。
「どうしよう、弥勒さま?」
「背に腹はかえられますまい。こんな森の中では、野宿のほうが危険です。申しわけないが、勝手にあがらせていただきましょう」
「でも、おうちの人が留守の間にそんなこと……」
と、言い合う二人をじっと見上げていた猫又が、鼻先と前脚を器用に使って引き戸を押し開け、さっさと中へ入っていった。
「あ……」
「ほら。“猫ちゃん”も私の意見に賛成のようですよ?」
小屋の戸口に懐から出した札を貼り、猫又に続いて小屋の中に入る法師のあとを追って、慌ててかごめも中に入った。
外はすっかり日が暮れていた。
2007.9.7.