おらは魔法使い?
第十六章 井戸を抜けて
「まず、場所を変えよう」
歩み出そうとした桔梗は、だが、ふと、思いついたように皆を見廻した。
「かごめが行ってしまったら、おまえたちはどうするのだ?」
巫女の問いかけに、まず七宝が口を開いた。
「おらは緑柱石の都に帰る。王位は弥勒に譲ったが、あそこがおらの国じゃからな」
「私は七宝と緑柱石の都に住みます。なかなか住みやすそうな都でしたし、都を治める約束をしましたから」
仔狐に微笑みかけて弥勒が言うと、犬夜叉は考えるように腕を組んだ。
「おれはまだ決めてねえ。東の国の森へ帰ってもいいが……」
「おらたちと緑柱石の都へ来ればいいではないか」
事もなげに言い放つ七宝に犬夜叉はふっと笑い、ありがとな、とつぶやいた。
神楽は手にした扇で自らの肩を軽く叩き、ちらと、珊瑚のほうを見遣った。
「あたしはとりあえず、西の国に戻るか。琥珀一人に国のことを任せておけねえしな」
「あたしは……」
珊瑚はうつむき、言いよどむ。
琥珀のいる西の国へ行くべきだろうか。琥珀が戻ってくるまで、東の国で待つべきだろうか。
どちらにしても、法師との別れはさけられないだろう。
かごめと七宝が申し合わせたように弥勒のほうをちらと見た。
「珊瑚」
弥勒が隣に立つ珊瑚へ物憂げな視線を向ける。
「東の国へ帰るのか?」
「……」
口ごもる珊瑚をじっと見つめていた弥勒は、少し躊躇った後、おもむろに口を開いた。
「珊瑚。本当は、もう少し落ち着いてから言うつもりだったのだが……」
問うように珊瑚が弥勒の眼を見ると、弥勒はまっすぐに珊瑚の視線を捉えた。
「おまえさえよければ、私はおまえに緑柱石の都へ来てほしいと思っている」
「え?」
「おまえは、私が初めて生涯をともにしたいと願ったおなごです。私と一緒になってくれませんか、珊瑚」
あまりにも突然だったため、それがプロポーズであることに珊瑚が気づくのに数秒かかった。
「でっでも! 法師さま、あたしには子を産んでくれとかひと言も……」
弥勒はおやという眼をしたが、すぐにやさしい眼差しになって、珊瑚に向き直った。
「珊瑚。私と一緒になって、私の子を産んでくれるか?」
「……あ」
心臓が早鐘を打ち始める。
珊瑚は握りしめた片手で胸元を押さえた。
「あたしでいいの? あたし、法師さまのそばにいていいの?」
「おまえがいいんです」
言葉を発すると泣いてしまいそうで、珊瑚は想いを込めて弥勒を見つめ、何度もうなずいた。
「ありがとう、珊瑚」
法師の長い指が珊瑚の顎を捉える。
視線が絡み、そのままゆっくりと顎を持ち上げられ、心臓が飛び出しそうな気がした。
近づいてくる弥勒の顔にどうしてよいか解らず、とりあえず珊瑚は瞳を閉じた。
弥勒の吐息を唇に感じ、もう少しで彼の唇が触れそうで、珊瑚の緊張が最高潮に達したそのとき、
「もういいか?」
至って冷静な桔梗の声に、自分たち以外の存在を失念していた弥勒と珊瑚は慌てて身を離した。
振り返ると、真っ赤な顔をした犬夜叉、恥ずかしそうなかごめ、興味津々の七宝、呆れ顔の神楽、全く無表情の桔梗の全員が、二人を注視していた。
珊瑚の肩の上の雲母と弥勒の目が合う。
「す、すみません、皆様」
珍しく慌てた様子で法師が言うと、桔梗は何事もなかったようにうなずき、歩き出した。
彼女に続いて、一同はぞろぞろと広間を出る。
そのまま何となく最後尾になってしまった珊瑚に、弥勒が手を差し出した。
「行きましょう」
この人とはこれからもずっと一緒なのだ。
うん、と小さくうなずき、珊瑚は幸せを噛みしめるように法師の手を取った。
桔梗が皆を連れてきたのは宮殿の中庭であった。
中庭の中央に古びた井戸がある。
「この井戸が、この世界と異界をつなぐ隧道の役目をする」
「つまり、この井戸を抜ければいいの? それだけ?」
しめ縄を張った古井戸を見つめ、説明を求めるかごめに、桔梗は簡潔に述べた。
「帰りたいと。そう念じるだけでいい。あとは四魂の玉がおまえを運んでくれる」
「そのあと、四魂の玉はどうなるの? あたしがもとの世界に戻ったら」
またこの世界に来ることができるのだろうか。
暗にそんな意味を込めて問うてみたのだが、桔梗は首を横に振った。
「四魂の玉が現れたのはこの世が不安定なしるし。かごめの手で世界が平安に導かれた今、役目を終えた玉はこの世から消滅するだろう」
かごめは首に掛けた四魂の玉をぎゅっと握った。
不安げなかごめに手を貸したいと思っても、こればかりは、仲間たちにはどうすることもできなかった。
「かごめさま、これを」
弥勒は懐から数珠をひとつ取り出し、かごめに差し出した。
「無事に故郷に戻れるように。お守りです」
「弥勒さま」
「かごめ、おらもこれをやろう」
七宝も懐から、小さな独楽を取り出した。
「おらの宝物じゃ。異世界へ帰っても、おらのこと、時々は思い出してくれ」
「七宝ちゃん」
「あたしも」
珊瑚は自らの元結いをほどき、それをかごめに手渡した。
「元気でね、かごめちゃん。無事に帰れることを祈ってる」
「珊瑚ちゃん」
三人からの心のこもった贈り物をかごめは握りしめ、やわらかな笑みを浮かべた。
「ありがとう。みんなのこと、忘れない」
そして、もらった品をポケットに入れて、かごめは犬夜叉を振り向いた。
「やっぱり、帰るんだな」
ぽつりと犬夜叉がつぶやいた。
「うん。こっちの世界も好きだけど、あっちにも、大切な人たちがいるの」
目を伏せるかごめに、小さく犬夜叉がうなずく。
「そうか。そうだな」
「ねえ、犬夜叉。あたし、あんたのこと、結構気に入ってたのよ?」
顔を上げ、少し大きな声で挑戦するように言ってみれば、犬夜叉も、わざと尊大な表情を作ってかごめに応じた。
「へえ? おれだって、おまえは人間にしちゃ見所があるって思ってたんだぜ?」
「当たり前じゃない。あたしは異世界から来た巫女なんだから」
顔を見合わせ、二人は笑う。
笑顔以外の表情を見せてはいけない気がした。
「そろそろ行くね」
「ああ。……元気でな」
「かごめっ」
駆け寄る七宝をぎゅっと抱きしめ、かごめは涙をこらえて満面の笑みを作った。
「ありがとう、みんな。みんなに出会えてよかった。みんなとこの世界を旅したことは、あたしの一生の宝物だわ」
犬夜叉、弥勒、珊瑚、七宝、雲母、桔梗、神楽。
皆が見守る中、かごめは井戸の中へと飛び降りた。
* * *
襟元の、丸い、小さな光がはじけたように思った。
ふと我に返ったかごめは、自分が冷たく薄暗い場所にいることに気づく。
「ここは……骨喰いの井戸の中……?」
上を見ると、ぽっかりあいた空間に晴れ渡った空が見えた。
「……」
何かとてつもなく長い夢を見ていた気がする。
それがどんな夢だったのかどうしても思い出せず、頭の奥がぼやけているような、もどかしい気持ちで、かごめは井戸から外に出た。
「かごめっ!」
聞き慣れた愛らしい声にかごめが振り向くと、仔狐妖怪の七宝がこちらへ駆けてくるところだった。
「七宝ちゃん、ただいま。わざわざ出迎えに来てくれたの?」
「遅いから心配したぞ、かごめ。そろそろ犬夜叉を迎えに行かせようかと思っていたところじゃ」
「え、遅い? 時間通りに来たつもりなんだけど」
現代に帰ったのは確か、一昨日。
昨日は学校に行って、今朝、戦国時代に戻ってくる予定だったのだが、腕時計を見ると、思っていた時刻より数時間が経過していた。
どうしてそんな時間のずれが生じたのかは解らない。
井戸のそばでかごめが七宝と話していると、向こうから法師と、猫又を抱いた退治屋の娘がやってきた。
「お帰りなさい、かごめさま。犬夜叉や七宝がずいぶん待ちくたびれていましたよ?」
「予定通りに戻ってきたつもりだったんだけど」
苦笑したかごめは、ふと、ポケットに何か硬いものが入っていることに気づき、それらを取り出してみた。
「何だろ? なんでポケットにこんなものが……」
不思議そうなかごめの声に、弥勒、珊瑚、七宝の三人は、かごめの掌にのったそれらを覗き込んだ。
「独楽」
「それはおらの独楽ではないか! 失くしたと思って捜していたんじゃ」
「数珠……弥勒さまの?」
「そのようです。夕べ、ひとつ減っていておかしいなと思っていたんですが」
「じゃあ、この紐は珊瑚ちゃんの髪を結ぶ……」
「うん、あたしのみたい。いつも使っているのを昨日、失くしたんだ」
かごめは三人の顔を見廻して、眼をぱちくりさせた。
「なんで、あたしが持ってたのかしら」
それぞれの品を持ち主に返し、狐につままれたようなかごめだったが、何かを思い出し、はっとした。
「そうだ。弥勒さま、珊瑚ちゃん、結婚おめでとう。お幸せにね」
「えっ、なっなに?」
「結婚って……まだ口約束だけで何もしてませんが」
珊瑚は驚いて顔を赤らめ、弥勒も脈絡のない祝福の言葉に戸惑っている。
「あ、そうよね。でも、なんか、言い忘れたような気がして……」
かごめ自身、何故、今そんなことを言いたくなったのか解らなかったが、言えたことで胸のつかえがひとつ下りたのも事実だった。
「ところで、犬夜叉は?」
「犬夜叉はあちらに。七宝がずっと井戸の近くにいたものですから、強がって井戸から離れていたようです」
「おらが悪いのか?」
かごめはくすりと笑い、法師が示した方角へと足を向けた。
「ちょっと行ってくる」
何故だろう。
周りの景色が全て、ひどく懐かしく目に映る。
「犬夜叉ー!」
緋色の水干姿を見つけ、かごめは走り出した。
銀髪の少年が彼女に気づき、振り向く。
会いたい。無性に会いたい。
そんな気持ちが爆発したように、かごめは驚く犬夜叉に飛びついた。
「おっ、おい、かごめ……?」
「ただいま、犬夜叉――!」
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2010.1.15.
四魂の玉の四つの要素と、ドロシーの一行が望んでいるものって重なってる…?と思ったのが最初です。
勢いで始めて予想より長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
(実は、瀬戸物の国に住む殺生丸一行と犬夜叉たちが出会う予定もあったのですが、入れられなくてちょっと残念)