Two Tails Story 6

ジューンブライド

 六月になった。
 弥勒と珊瑚が待ち望んだ日がやってきた。
 気候のよい季節、抜けるような青空がまぶしいこの日、二人の結婚式が挙げられる。

 マイカ公国の首都の下町に建つ小さな教会──そこが、孤児になった弥勒が育った場所だ。
 石造りの建物自体は相当古いが、きちんと手入れされている。育ててもらった恩返しの意味も込め、弥勒は毎年クリスマスに教会へまとまった額の寄付をしていた。

 内輪だけの式は簡素だった。
 弥勒側の出席者は彼の後見人であった老紳士。
 この老紳士は彼が住んでいた高級ホテルを経営するグループの現会長で、悪い仲間と付き合っていた少年時代の弥勒が撃たれたときの命の恩人でもあった。
 以降、弥勒を気に入り、紳士の後押しで弥勒は進学し、飛び級をして十九歳で大学を卒業、国営カジノに就職した、という経緯がある。
 珊瑚側の出席者は彼女の弟の琥珀。
 スイスのセカンダリースクールを卒業した琥珀は、そのままスイスの大学に進学することが決まっている。大学でも寮に入るため、それまでの夏季休暇は姉夫婦のフラットに滞在する予定だ。
 珊瑚には父親がいないため、代わりに琥珀がバージンロードを一緒に歩くことになった。
 いつまでも子供だと思っていた弟が、彼女よりも背が高くなり、珊瑚は感慨深い。

 オルガンの音色がワーグナーの結婚行進曲を奏で始めた。
 純白のバージンロードが伸びる先の十字架の前に、弥勒の育ての親であるこの教会の老牧師と、弥勒その人がいる。
 珊瑚は眼の奥が熱くなるのを感じた。
「あの人と、幸せになってね」
 琥珀が姉にささやき、うなずいて涙をこらえる珊瑚は、弟ともに一歩を踏み出した。

 オルガンの音とともに一歩一歩近づいてくる珊瑚を弥勒はじっと見つめていた。
 今日の珊瑚は一段と美しい。
 ベールに隠れて表情までは見えないが、シンプルなマーメイドラインのウェディングドレスがほっそりとした肢体の珊瑚によく似合い、優美だった。
 ブーケはカサブランカ。
 ジューンブライドに因み、女神ユーノーの花である白百合を選んだのだ。
 弥勒は白のタキシードだった。
 普段着るタキシードは黒なので、白だと新鮮だ。華やかでありながら凛として、こちらもよく似合っている。
 弥勒は琥珀から花嫁の手を受け取り、新郎新婦は祭壇に向かった。

 誓いの言葉を述べ、指輪の交換をし、厳かに誓いのキスを交わす。
 唇を離した弥勒が珊瑚の顔をじっと見つめると、彼女はやや眼を伏せており、その睫毛が微かに震えているようだ。
「珊瑚」
「……」
「珊瑚、私を見て。今日のおまえを目に焼き付けておきたい」
 ゆっくりと顔を上げた珊瑚の瞳が潤んでいる。刹那、彼女の頬を一筋の涙がこぼれた。
 弥勒にはそれが幸せの印に見えた。

* * *

 教会の鐘が鳴り響く。
 下町の教会から、弥勒と珊瑚は石畳の道を観光用の馬車でカジノ・トゥーテイルズへと移動する。
 琥珀と老紳士、老牧師や教会の人々に見送られ、二人が二頭立ての馬車に乗り込むと、馬車は軽やかに走り出した。琥珀は老紳士や老牧師とともに、車でトゥーテイルズへ向かうことになっている。
 下町は古くからの町並みを残しており、石造りの建物が並ぶ道を二頭の白い馬が曳く馬車で走る様子は、まるで物語の挿し絵のようだった。
 当然のように目立つ。
 道行く人々が、花婿と花嫁の白い衣裳をまとった二人を振り返り、微笑んだり、手を振ったりしてくれた。
「ちょっと恥ずかしいね」
「まあ、いいじゃないですか。一生に一度ですよ」
 おめでとー! と叫んで手を振る歩道の若者たちへ、照れたように二人は手を振り返す。
 珊瑚のベールがふわふわと風になびいて、それは天使の羽を連想させた。
 馬車は市の中心部にあるカジノ・トゥーテイルズへの道を進んだ。このあとのパーティーは、弥勒の勤め先であるトゥーテイルズのトピアリーガーデンで行われるのだ。
「ところで、珊瑚」
「ん?」
「控室に豪華な花籠が届いていたのに気づきましたか?」
「なに、突然」
 思わせぶりに弥勒は小さく吐息を洩らし、
「武田社長からでしたよ。まだ連絡を取り合っているんですか?」
 珊瑚はやや慌てたような素振りを見せた。
「だって。あのまま知らん顔はできないだろう? 結婚しますって、ちゃんと報告しただけ」
 世話になった武田蔵乃介にはきちんと義理を通したいという珊瑚の気持ちは解っているつもりだが、それでも弥勒は焼きもちめいた言い方になる。
「彼、まだ珊瑚に未練があるのではないですか?」
「もう! あたしは弥勒さまだけだって、前にも言っただろう」
 焦れた珊瑚は馬車の隣に座る弥勒のほうへ身を乗り出し、彼の頬に軽く唇を当てた。
「!」
 外で珊瑚からこのようなことをしたことに弥勒は驚いた。
「珊瑚、今のすごく花嫁っぽい。もう一度お願いできますか」
「馬鹿」
 軽快な蹄の音、御者が操る馬車の音が耳に心地好い。
 カジノの建物が見えてきた。
 軽やかに走る馬車の上で、もう一度、珊瑚が弥勒の頬に唇を寄せようとすると、弥勒は唇で珊瑚の唇を捕らえた。二人はそのまましばらく動かず、珊瑚のベールがふわふわと舞った。

 新郎新婦が馬車でトゥーテイルズに到着すると、待っていた招待客たちの拍手に出迎えられた。
 琥珀も、老紳士たちとすでにカジノに着いていた。
 晴れ渡った空、気持ちのよい穏やかな風。ガーデンパーティーにうってつけの陽気だ。
 巨大なチェスの駒の形がいくつも並ぶトピアリーガーデンは、それだけで華やかで、そこにいくつものテーブルが配置され、料理や飲み物が整然と置かれ、すでに準備は万全だ。
 広い庭園の緑が瑞々しく美しい。
 友人や仕事仲間、たくさんの人々の祝福を受け、弥勒と珊瑚は幸福感に満たされていた。
 振り返ると、ルーレットの形をしたトピアリーがある。
 あの日、二人が出逢った夜、この場所で、互いに人生を相手に賭けたのだ。
 弥勒も珊瑚も、あのとき見た夢がただの夢で終わらず、確かな現実になったことで胸がいっぱいだった。
「なんか、奇跡みたい」
「奇跡、ですか?」
 弥勒からシャンパンのグラスを受け取った珊瑚はうなずいた。
「カジノで一攫千金を狙うより、ずっと難しい賭けをして、それに勝った気がする」
 珊瑚は微笑みながらも真面目に言う。
 彼女への愛しさが不意にあふれ、シャンパングラスを片手に持つ弥勒は、もう片方の手だけで無造作に彼女を抱き寄せようとした。
「ちょっ……弥勒さま、シャンパンがこぼれる」
「では、少しじっとして」
「えっ、待っ……」
 人目を気にする珊瑚に構うことなく、弥勒は片手で彼女の肩を抱いて、唇を合わせた。
 近くにいた友人たちにそれを見られ、囲まれ、囃し立てられる。珊瑚は真っ赤になってうつむいてしまったが、弥勒は心底嬉しそうだった。

 この日は、かつて弥勒が住んでいたホテルのスイートに泊まり、二日後、二人は新婚旅行の地中海クルーズに出発する。
 旅行の間、飼っている仔猫の世話は琥珀に頼んだ。
 これから、幸せも困難も平等に訪れることだろう。けれど、どんなときも愛し合い、支え合うことを誓った。
 二人でいれば、何があっても、強く前を向いて生きられる。

Fin.

≪ 5th tail

2025.3.5.