金色の憧憬
奈落に関する情報を集めるため、二手に分かれて捜索するとき、いつの間にか珊瑚は弥勒と組むことが当たり前になっていた。
犬夜叉とかごめが想い合っているのは仲間に加わってすぐに察することができたし、七宝は一番かごめに懐いている。
だから、犬夜叉とかごめと七宝、弥勒と自分と雲母という組み合わせは、当然といえば当然といえた。
だが、最初は貧乏くじを引いたような気がしたものだ。
犬夜叉と組んだほうが前へ進める気がするし、同性のかごめが一緒にいるほうが安心感がある。一応、法師の名誉のために、今では彼のことも信頼しているんだと心の中で付け加えておくけれど。
(一応ね)
心の中でうなずき、珊瑚は何となく問題の彼を探した。
(でも、なんで、休憩のときまであたしは法師さまを探してるんだろう)
そして何故、彼はここにいないんだろう。
例によって彼がお祓いをして、宿屋には無料で泊まることになったが、みなが部屋で休んでいるのに、彼だけがいない。そして、そんな彼を探し、町の中をうろつき回っている自分がいる。
途方もなく不毛な気がした。
角を曲がったとき、ばったりと彼と鉢合わせになり、珊瑚は驚いて立ちすくんだ。
「おや、珊瑚」
「法師さま」
「どこへ行くんです?」
「どこへって……」
珊瑚は困惑して視線を泳がせた。
「今、戻るとこ」
「宿は反対方向ですよ?」
「判ってるよ!」
すぐ突っ掛かってしまうこんな態度は男から見たら可愛げがないんだろうな。珊瑚は頭の隅でちらと反省した。
「法師さまはどこ行ってたのさ?」
「ちょっと情報収集に」
「この町にはそういう店、ないよ」
「廓に行ったんじゃありませんよ」
いきなり決めつける珊瑚に苦笑し、法師は視線を前方に向けた。
「では、一緒に帰りましょう」
(あれ?)
その横顔に違和感を覚え、珊瑚は彼の顔を覗き込むように見つめた。
「そんなに見つめると照れるでしょう」
珊瑚の視線に気づいた弥勒は、春風のように笑む。
「法師さま。耳」
それに気づいたとき、珊瑚は反射的に法師の袖を引いて、彼の歩みをとめさせた。
「耳の飾り、ひとつなくなってる。どうしたの?」
法師の左側にいた珊瑚は、彼の右の耳も覗き込み、耳飾りが左右ひとつずつしかついていないことを確認した。左の耳にもうひとつ、金色の輝きが足りない。
「やだ、落としちゃったの?」
「落としたわけではありませんよ。これは宿屋の下働きの娘に」
「あげたの?」
弥勒はちょっと肩をすくめて微笑んでみせた。
何故だろう。ものすごく大切なものを失くした気がする。
法衣や錫杖とともに、三つの耳飾りは珊瑚にとって、すでに弥勒の一部だった。
それが失われることがこんなに淋しいなんて。
「何してるんです? 置いていきますよ、珊瑚」
珊瑚は慌てて、歩き始めた弥勒を追う。
何でもない様子の弥勒を目にすると、耳飾りをどうして見知らぬ娘にあげてしまったのか、それを問いただすことすらできなかった。
* * *
翌朝、珊瑚は仲間たちよりもだいぶ早くに眼が覚めた。
取り立ててすることもないので、はやばやと井戸のところに行って顔を洗う。もやもやした気持ちをすっきりさせて、出発に備えなくてはならない。
濡れた顔を手拭いで拭って、ほっと息をつく。
ふと顔を上げると、茂みの向こうに少女が一人、うずくまるようにして座り込んでいるのが見えた。
珊瑚は少女にそっと近寄ってみた。
「どうしたんだい? 具合でも悪いの?」
「きゃっ」
慌てて尻餅をついた少女は、珊瑚を仰ぎ見て、「ああ、驚いた」とつぶやき、立ち上がった。
「怠けてるの、見つかっちゃったかと思った」
屈託なく笑う。
「あ、でも、あんた、宿のお客さんだよね。見つかっちゃったことには変わりないか」
「別に。告げ口なんてしないよ」
宿の使用人らしい。
素朴な少女はおそらく自分より年下だろう。
しかし、珊瑚の注意を引いたのは、少女自身ではなく、少女の手にある小さな輝きであった。少女はそれを熱心に見つめていたのだ。
「あの、それ……」
「これ?」
少女は嬉しそうに、掌にのせた小さな飾りを珊瑚に差し出し、微笑んだ。
「これ、何だか判る? 耳に飾るものなんだよ」
「……」
弥勒が言っていたのはこの少女か。
走り出しそうになる感情を抑え、珊瑚は低い声で言葉を紡ぐ。
「誰かにもらったの?」
「もらったわけじゃないよ。ひと晩だけ、貸してもらったの」
誰に、と問うまでもなく、少女のほうから声をひそめて教えてくれた。
「昨日からここに泊まってる人でさ、とても素敵な人なんだ。法師さまなんだけどね。その人が、この飾りを耳につけてたの」
法師のほうから与えるはずがない。この少女が耳飾りを欲しいと言ったのだろうか。
「綺麗だよね。持ち主の法師さまも、とても綺麗な人だったけど」
「綺麗?」
少女は無邪気に珊瑚の視線を見返した。
「あんたも見たらそう思うよ。話をして、ちょっと元気をもらったし、あんな人がずっとそばにいてくれたら楽しいだろうなあ」
何と返事をしたらいいのか判らず、珊瑚は黙ってうやむやにうなずくだけだ。
だが、少女が法師に抱いているらしい憧れの念は、彼女も漠然と察することができた。
「おはようございます」
涼やかな声に少女二人は振り返る。
「おはようございます、法師さま!」
少女はぱっと顔を明るくし、法師のもとへと駆け寄った。
「これ、お返しします。知恵と幸運、分けてもらったよ」
「それはよかった」
握りしめた小さな金色を少女は青年の掌にのせる。
「それはそうと、そろそろ仕事に戻ったほうがいいんじゃありませんか?」
「そうだった。じゃ、あたし、行くね」
微笑む青年法師と硬い表情をした娘に満面の笑みで会釈して、少女は宿の建物のほうへ駆けていった。
その後ろ姿を無言で見送り、残された娘に法師は悪戯っぽい笑顔を向ける。
「おはよう、珊瑚。あまりよく眠れなかったようだな」
「そんなことないよ。だいたい、法師さまには関係ない」
言ってから、はっと後悔する。また可愛げのないことを言ってしまった。
「……あの子にも例の科白、言ったんだ」
「毎回言っているわけじゃありませんよ」
「どうだかね」
「ちょっとこれを」
珊瑚に耳飾りを預け、弥勒は顔を洗う。
珊瑚は弥勒に持っていた手拭いを手渡した。
「ありがとうございます」
顔を拭った手拭いと耳飾りを交換し、珊瑚は、弥勒がそれを耳の穴――耳朶環につける様子を見守った。
「鏡、要る?」
「いえ、慣れてますから」
右にひとつ、左に二つ、三つそろった耳飾りは、珊瑚をようやく安心させた。
それが表情にも出てしまったのだろうか。楽しげに珊瑚を見つめる法師と視線が合い、彼女は気まずそうに眼を逸らした。
「あの子にあげてしまったのかと思った」
「これをひどく珍しがっていましたのでね。それに、耳礑は知恵や幸運を呼ぶといいますから、ひと晩だけ貸してあげたんです」
「じとう?」
「仏教用語です。耳飾りのことですよ」
そんな言い伝えは初めて耳にする。珊瑚は、改めて小さな金色をじっと眺めた。
「珊瑚はこれ、好きですか?」
「え?」
「だって、私が耳礑を二つしかしていないことに気づいたときの珊瑚の顔ときたら」
「……!」
かああっと頬が熱くなる。
「法師さま、なんか勘違いしている!」
大きく手を振り上げて彼をぶとうとした珊瑚から、弥勒はさっと身をかわして逃げた。
「いいですよ。いつか、これは珊瑚にあげます」
「いらないよ」
法師さまの耳にあってこその品だもの。
「すぐにはあげません。これが私の形見になったとき、おまえが受け取ってくれますか」
「よしてよ、縁起でもない!」
「いや、今すぐ死ぬとは言ってないでしょう。年を取ってから死んだとしても、形見には違いありませんから。珊瑚が受け取ってください」
法師の意図を探るように、珊瑚が彼の顔を見つめると、彼女を安心させるためなのか、弥勒はふわりと微笑んだ。
「おまえにはずっと私を見守っててほしいなあなんて」
「じいさんばあさんになってもずっと? それって切ない」
「さあ。それも楽しいだろうと思いますよ」
くすくすと弥勒は笑う。
こんな少年みたいな顔もするんだな、と珊瑚は少し意外に思った。
(珍しいのは“じとう”じゃなくて、“法師さま”というひとだ)
金色の輝きのように魅せられて、惹きつけられて、もっともっと、彼のことを知りたくなる。
何故?
その感情に相応しい名を、彼女はまだ知らなかった。
〔了〕
2010.11.4.
「弥勒のイアリング」という題材をいただきました。ありがとうございました。