不透明な恋模様
青と灰色を混ぜたような空の色。
(戻るまで、降らなければよいが)
雨具の用意をしていない弥勒は、今にも雨が降りそうな空模様を眺めながら、足を急がせた。
楓の村の入り口にさしかかる頃には、どんよりとした雲が立ち込めていた。
ふと見ると、大きな木の陰で、顔馴染みの村の娘たちが数人、立ち話をしている。
「こんにちは、皆様。雨になりそうですよ。そろそろ戻られたほうがいい」
「あ、弥勒さま」
娘たちはほっとしたような笑顔を見せた。
みながそろって何か言いたげにしているのを見て、弥勒は首を傾げた。
「私に話でも? この雲行きですから、楓さまのところをお借りして、そこで話をうかがいましょうか」
「あの、弥勒さまさえよければ、ここで」
藍という名の娘が躊躇いながら言った。
「あたしたち、弥勒さまを待っていたの。留守だと聞いて、でも、お知らせしたほうがいいと思ったから」
「どうしたんです、藍どのらしくもない。そんなに改まって」
娘たちは困ったように顔を見合わせた。
「あの、珊瑚さんのことなんですけど」
「珊瑚?」
「珊瑚さんと村の人とのつき合いっていうか」
「珊瑚が、まさか村の誰かとつき合っているというんですか?」
驚く弥勒を見て、怒らせてはまずいというふうに、娘たちは一斉に首を振った。
「つき合うって、特別な意味じゃなくて。弥勒さまとあたしたちが会って、話をするような」
「それって、充分問題でしょう!」
自分のことは棚に上げ、珊瑚限定で問題と決めつける弥勒に、さすがに娘たちも呆れたような表情になる。
弥勒は尤もらしく咳払いをして、「男とおなごは違います」とつけ加えた。
「えっと、弥勒さまの心配も否定はしません。実際、八雲が弥勒さまの留守に抜け駆けしたわけだし」
「え?」
「それを、あたしたち、弥勒さまが村に帰る前にお伝えしておいたほうがいいと思って待ってたんです」
藍たちの話をまとめるとこうだ。
以前から積極的に珊瑚に近づこうとしている八雲という青年がいる。その八雲が、今日、法師の不在を見計らって珊瑚を裏の山へ山菜採りに連れていったのだ。
珊瑚との距離を確実に縮めている八雲を見て、村では珊瑚がそのうち八雲になびくのではないかとの噂まであるという。
「どうしてですか。私がいるのに。珊瑚には許婚がいると、みな、知っているでしょう?」
「それはだって、弥勒さまが浮気性だからですよ」
容赦のない言葉に弥勒はぐっと言葉につまる。
「珊瑚さんに憧れてる男は多いし、いつ、美人の退治屋さんが法師さまに愛想を尽かすかってみんな……あ、ごめんなさい」
口を押さえた娘に代わって、別の娘が話題を転じた。
「それに、八雲は素敵だしね」
「そう? あたしはあまり好みじゃない」
「藍にはちゃんと想い人がいるもんね。八雲って無愛想だけど、あたしもちょっといいなと思う」
無責任に評し、笑い合う娘たちの様子に弥勒はため息をついた。
「おまえたち、いったいどちらの味方なんです」
おもしろおかしく話の種にされているだけのような気もするが、わざわざ教えに来てくれたのは娘たちの好意なのだろう。
藍たちに礼を言い、弥勒は足早に楓の小屋に帰ってきた。
小屋の中には、楓が一人、薬草の仕分けをしていた。
「ただいま戻りました。楓さま、珊瑚は……」
「ああ、おかえり、法師どの。ご苦労だったな。珊瑚なら、村の若いのと山菜採りに行ったぞ?」
娘たちの噂話を裏付けされ、非礼を承知しつつも、弥勒は非難めいた口調を自制することができなかった。
「どうして止めてくださらなかったんです」
「珊瑚が行くと言ったのだ。止める理由もなかろう」
ここに来て珊瑚の意思にまで考えが及ばなかったことに気づいた弥勒は、茫然と言葉を失くした。
「雨が降りそうな気配だな」
楓はさりげなく窓の外に眼をやって言う。
「珊瑚がそろそろ戻る頃だ。様子を見がてら、迎えに行ってやってはどうだ?」
大気が雨を含んでいた。
外に出ると、どんよりとした空の、灰色が濃くなっていた。
まるで自分自身の心を映しているようで、雨雲が立ち込める空から視線を逸らし、弥勒は珊瑚の行き先である山へと向かった。
だが、山の麓まで行くまでもなく、捜し人は、いた。
男と一緒に。
山菜を入れた背負籠を背負って、手に花を持って。
端整な風貌のその青年と並んで歩いてくる様が、まるで似合いの若夫婦のように見えて、弥勒は思わずかっとなった。
「珊瑚!」
荒々しく叫ぶと、ふと珊瑚が顔を上げる。
「法師さま」
悪びれもせず、嬉しそうに顔を綻ばせる娘のもとに弥勒は駆け寄った。
「見て。今、八雲に案内してもらって山菜を……」
背負籠の中を見せようとする珊瑚の腕を掴み、彼は彼女を自分のほうへと乱暴に引き寄せた。
「何もされてないか、珊瑚?」
「え……?」
そして、傍らにいる青年を問答無用で睨めつけた。
「おれの女を勝手に連れ出すな! 今度、珊瑚に近づきやがったら、ただじゃおかねえからな!」
青年──八雲は小さくため息をつき、
「本当に法師かよ」
ぼそりと言った。
「何だと、てめえ!」
「やめてよ、法師さま」
今にも手が出そうな弥勒を珊瑚が押しとどめる。
険しい表情の弥勒にひるむことなく、八雲は淡々と言葉を返した。
「別にあんたから珊瑚を取る気はねえよ」
「いい度胸だな。その気になれば奪えると思っているのか?」
「それは珊瑚が決めることだ」
「だから、やめてってば。村の人に怪我させないで。それに、法師さま、何か誤解してるだろう」
珊瑚は片手で弥勒の腕を押さえたまま、八雲を振り返って言った。
「ごめんね、八雲。先に行って。今日はありがとう」
「天気がよければ、もっと採れたんだがな」
「充分だよ。料理ができたら、お裾分け持っていく」
ああ、と彼はうなずいた。
「“法師さまに栄養があって美味しいものを食べさせたい”んだろ? 期待してるぜ」
え、と眼を見張る弥勒を見て、珊瑚が小さく八雲を睨んだ。
「じゃあな、珊瑚。そいつに飽きたらおれんとこ来い」
「なっ……!」
最後まで挑発を忘れない八雲に珊瑚は苦笑いを浮かべた。案の定、弥勒が食いつく。
「八雲とかいったな。話はまだ終わってねえ!」
「法師さま! ほら、雨が降りそうだし、あたしたちも帰ろう?」
弥勒は振り返って珊瑚を睨んだ。
「おまえもおまえだ。軽々しく男と出歩いたりして……!」
「八雲は友達だよ」
「男だ。それに、馴れ馴れしすぎる」
「法師さまだって、村の女の子たち、特に藍ちゃんとか仲いいじゃないか。あたしには友達って言うくせにさ」
不意をつかれて弥勒は一瞬言葉につまった。
「だから、藍どのには想い人がいると何度言えば……だが、八雲という男ははっきりおまえを好いているのだろう? おまえはあいつの気持ちを知っているのか?」
うん、と珊瑚は小さくうなずいた。
「だから、法師さまがあたしの許婚だってことは伝えてあるよ」
その言葉に弥勒もいくらかほっとしかけたが、
「それでも待ってるって言われた」
彼女が求婚された事実を知らされ、愕然とした。
「……動揺した?」
法師の反応に少し楽しそうに珊瑚は言う。
「あたしだって、少しくらいの駆け引きならできるようになったんだから。法師さまの気を惹くことくらい……」
「では、嘘なんですか?」
「待ってるって言われたのは本当。でも、あたしは法師さましか考えられないってはっきり言った」
珊瑚の瞳を見つめ、一呼吸おいてから、くす、と弥勒が笑ったので、珊瑚はやや不服そうに彼を見た。
「なに?」
「手の内をさらしてしまうところが珊瑚らしいな」
彼はゆっくりと愛しい娘の手を取って、それを両手で握りしめ、押しいただくように口づけた。
珊瑚はほんのりと頬を染め、鼓動を抑えるように、もう片方の手で胸元を押さえている。その手に一輪の白い百合を握って。
弥勒はその花に眼を向けた。
「花を贈られたのか?」
「これはあたしが摘んだの。法師さまにお土産」
珊瑚はそれを躊躇いがちに差し出した。
「あたしが一番好きな花」
香り高く美しく、清純な白い山百合は珊瑚に似ている。そっと受け取り、花弁に顔を近づけ、弥勒は花の香りを嗅いだ。
「今日から、私も一番好きな花になりそうだ」
そのとき、ぱらぱらと空から雨粒が降ってきた。
「あ、降ってきたよ、法師さま」
「走るぞ」
百合をかばうようにして行こうとする弥勒を見て、
「こっちをかばってよ」
珊瑚は背負籠の山菜が心配そうだ。
「そうだ、ちょっと待ってください」
法師は山百合と錫杖を珊瑚に持たせて袈裟を解くと、それを二人の頭にかぶせた。
「行きましょうか」
「うん」
頭からすっぽりと二人でひとつの布で覆われ、珊瑚はやや恥ずかしげにうなずいた。この距離ではどうしても密着を余儀なくされる。
寄り添い、歩きながら、二人は密やかに言葉を交わす。
「珊瑚は、ああいう男が好みか?」
「八雲はいい人だよ。でも、好みとかじゃなくて、友達。よく猟をしているから山に詳しいんだ」
「あいつに料理を届けると言っていたな。作るのはいいが、届けるのは七宝に頼みなさい。おまえが他の男と噂になるのはいい気分じゃありません」
「自分は何人もの女の子と噂になっているくせに」
「男とおなごは違います」
弥勒はふと珊瑚のこめかみに唇を寄せて言った。
「ところで、あいつは何て言ってましたっけ? 珊瑚が山菜採りに行った理由」
「き、聞いてないんなら、いい!」
雨をさけ、袈裟の中で秘密めいた時間を共有する。
雨足は強くなりそうだったが、彼の心は晴れやかだった。
〔了〕
2011.5.27.
「ほんのり嫉妬というよりこってこて?の嫉妬法師」
「告白後の嫉妬法師・法師様が珊瑚ちゃんにハラハラ」等々、
他にも複数の方から嫉妬法師のご要望をいただきました。ありがとうございました。