未来の欠片

 のどかな秋晴れの下、犬夜叉たちの一行は、次の村へと続く一本道を歩いていた。
 前を行く犬夜叉とかごめの後ろをだいぶ遅れて歩く弥勒と珊瑚は、何やら言い争いをしているようだ。というより、一方的に珊瑚が文句を言っている。
 法師が町でふらりといなくなったことや、廓の近くにいたこと、主に後者をたしなめているようだ。
「のう、かごめ」
 犬夜叉の肩に掴まる七宝が、隣を歩くかごめに声をひそめて問いかけた。
「ときどき思うんじゃが、弥勒と珊瑚は仲が悪いのか?」
「えっ、どうして?」
 かごめは驚いて、あどけない仔狐の顔を見た。
 七宝は、ちらりと背後の二人を見遣る。
「町を出てからあの調子じゃ。今回が初めてではない。珊瑚は弥勒の行動が気に入らんようじゃ。弥勒が“遊びに行く”だけでも珊瑚は不機嫌になる」
「そうね」
「弥勒は珊瑚が一緒に行きたがっても、いい顔をせん。一人で出かけた弥勒が戻ってきたら、置いてきぼりにされた珊瑚は文句を言う」
「うん」
「弥勒は面倒臭そうに生返事をするばかりで、そのあと、弥勒と珊瑚はぎこちなくなる」
「ぎこちないのは、珊瑚ちゃんだけでしょ?」
「そうかもしれんが、珊瑚はおらたちの中にまだ打ち解けられずにいるんじゃなかろうか。弥勒は不良じゃから、真面目な珊瑚は取っつきにくいのかもしれん」
「けっ、くだらねえ」
 長々と話す七宝の言葉を、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに犬夜叉がさえぎった。
「弥勒は基本、女に甘えし、珊瑚を嫌う理由がねえだろ。珊瑚のほうは尻ばかり撫でられて、どうだか知らねえけどよ」
 かごめは手を伸ばし、法師と退治屋のことを真剣に心配している仔狐の頭を撫でた。
「七宝ちゃんは仲間思いね。でも、心配することないわ」
 やさしく請け合う。
「珊瑚ちゃんは弥勒さまを嫌ってないし、弥勒さまは干渉されるのが嫌なだけよ。むしろ、嫌いどころか、弥勒さまも珊瑚ちゃんのこと、気にしてるとあたしは思うわよ」
「そうかのう」
「おい、村が見えてきたぞ」
 犬夜叉の言葉に顔を上げると、前方に大きな村落が見え、長い道のりを歩いてきたかごめと七宝は、ほっとしたように疲れた顔を見合わせた。

 まだ午後を少し過ぎたばかりだったが、一行はこの村で宿を頼むことにした。
 いつものように名主の屋敷に厄介になり、案内された部屋に落ち着くと、おもむろに法師が錫杖を持って立ち上がった。
「さて。では、私は少しその辺りを散歩してまいります」
 珊瑚の表情が警戒の色を帯びたものとなる。
「この村の娘たちに会いに行くの?」
「どなたかに出会えば、話くらい聞きます。四魂のかけらや奈落の手掛かりが得られるかもしれません」
「じゃあ、あたしも行く」
「珊瑚はかごめさまの話し相手に残っていなさい」
 いきなり出しにされ、かごめは苦笑した。
「いや、あたし、病人じゃないし。それに、犬夜叉も七宝ちゃんもいるし」
「おらも行く!」
 七宝が勢いよく立ち上がった。
「珊瑚もじゃ。弥勒、今日はおらと珊瑚がついていく。三人で散歩じゃ」
「えっ、あの、ちょっと」
 弥勒の表情がわずかに引きつる。コブつきではナンパなどできようはずがない。
 だが、否応なく衣の裾を引っ張られ、退治屋の娘と一緒に、彼は仔狐に部屋から連れ出されてしまった。

 雲母は留守番を決め込むようだ。
 弥勒は珊瑚と七宝を連れて屋敷を出た。
「えー。……で、どこへ行くんです?」
「弥勒の行きたいところでいいぞ? いつも、どんなところで遊んでおるんじゃ?」
「いえ、町ならば遊ぶ場所もありますが、こんな静かな村では。どちらにしても、子供はそういうところに入れません」
「法師さま! 七宝に変なことを教えるんじゃないよ」
 はあ……と、つまらなげに弥勒はため息をつく。
 村内には水汲みをしている若い娘の姿も見えるのだが、珊瑚と七宝が一緒では調子が乗らない。
「珊瑚、向こうに森があるぞ。あそこはどうじゃ?」
「あれは鎮守の森だね」
 仲よく歩き出す珊瑚と七宝に続き、ため息をこぼしながら、弥勒も不承不承ついていった。


 大きな森だった。
 狐の本能なのか、七宝は嬉しそうに、生き生きと森の中を駆けた。
「気持ちのいい森じゃ」
「そうだね。かなり古い森みたいだ」
 森はしっとりとした大気と静寂に守られ、落ち着いた風格を見せていた。
「あっ、栗鼠」
 木の枝の上から物珍しげにこちらを見下ろす小さな森の住人がいた。だが、珊瑚の声に七宝がそちらを見上げると、あっという間に栗鼠は姿を消した。
「行ってしもうた」
「七宝も一応、狐ですからな」
 微笑ましげに、法師も錫杖を鳴らして二人のそばへ寄る。
「待っていたら、また姿を現してくれるかもしれませんよ」
「本当か? おらは狐じゃが、栗鼠を襲ったりはせん」
 三人は和やかに森の散策を始めた。
 始めは気が進まない様子だった弥勒も、今は楽しそうに、森の生態について二人に話している。
「弥勒、珊瑚、これは食べられるか?」
 駆けまわっていた七宝が茸を手に戻ってきた。
「食べられますよ。なかなか見事な茸です」
「あっちにもこっちにも生えておるぞ」
「へえ。茸狩りができるね」
 そんな乗りで、三人は茸狩りを始めた。
 豊かな森には茸が豊富で、つい夢中になってしまう。
「すごい収穫じゃ」
 たくさんの茸を包むためには珊瑚の手拭いだけでは足りず、弥勒の手拭いも取り出して、二枚を繋げて使うことにした。
 その場にしゃがみ、繋げた手拭いに茸を包む珊瑚の手許を、七宝はわくわくした表情でじっと見つめていた。
 だが、そのとき、しわがれた声が不意に彼らを怒鳴りつけた。
「こら! そこで何をしておる」
「え?」
 驚いて振り向くと、白髪白鬚の小柄な老人がいた。
 身なりからして、社の下働きの者であろう。
「ここは神聖な森じゃ。誰の許しを得て、茸狩りなどしておる」
 三人は驚いて立ち上がった。
「茸狩りは禁止なのですか? 我々は旅の者で、知らずに足を踏み入れてしまいました」
 説明する弥勒が、困ったように七宝を見遣る。
「しかし、採ってしまったものを捨て置くのは勿体ない話ですし、今回だけお見逃しいただけませんか?」
 人当たりのいい笑顔で柔和に申し出てみるが、老人は頑として応じなかった。
「全て没収じゃ。御神前に供する。こちらへ渡しなさい」
 せっかく三人で採った茸なのに──
 七宝は悔しそうに下から老人を睨んだ。
「どうせ、お下がりを自分たちで食べるんじゃろうが」
「ぶ、無礼な!」
 憎まれ口を叩くと、老人はわりと解りやすい反応で目を三角にした。
「供物とお下がりは別物じゃ! 親が親なら、子も子じゃな」
「お、親……?」
 七宝は大きく眼を見開き、唖然となる。
 弥勒と珊瑚も顔を見合わせた。
「弥勒がおとうで、珊瑚がおっかあ……?」
「あの、あたしたちは別に……」
「申し訳ありません、ご老体」
 否定しようとした珊瑚の言葉をさえぎり、弥勒は膝をついて、茸を奪われかけて半分涙目の七宝の頭を撫でた。そして、「おとうに任せなさい」とささやく。
 彼は老人に向き直った。
「私も御仏に仕える身。この森が神のものならば、採った茸はお返しせねばなりませんな。なあ、おまえ?」
「おっ、“おまえ”?」
 夫婦のような呼びかけに、慌てた珊瑚は、両手に持っていた茸の包みを取り落としてしまった。
「ああ、しょうがないですな。でも、そんなところも可愛くて好きですよ、おまえ」
 弥勒はわざとらしい仕草で膝をつき、こぼれた茸を手拭いに包み直して、立ち上がった。
 だが、珊瑚が視線を落とすと、まだ半分以上が落ちたままだ。たくさんの茸の中には破魔札が一枚挟まっている。
「これはお返しいたします」
「当然じゃ」
 老人は、厳めしく法師から茸の包みを受け取った。
「全く、近頃の若い親は……」
 そう、ぶつぶつ言いながら、老人は悠然と森の奥へと去っていった。
 その姿が見えなくなると、七宝はそわそわと弥勒を見上げた。
「のう、弥勒。おらたちは三人でいると、親子に見えたりするんじゃろうか」
「いやぁ……私も珊瑚も、七宝みたいな大きな子供がいる年齢ではないんですがね」
「あたしは七宝が子供だったら嬉しいよ」
「珊瑚ー!」
 目線を合わせるため、珊瑚が膝をつくと、七宝は嬉しそうに彼女に飛びついた。
 残された茸の中から、法師は破魔札を取り上げた。珊瑚が落とした茸を拾うときに、そこに置いたものだ。
「あの老人は狐狸の類いですよ。七宝の尻尾をまるで気にしていませんでしたし、茸を半分以上、地面に残したことも、札で誤魔化せました。というか、私たちは狐の親子に見えたんでしょうか」
「法師さまは、どっちかっていうと狸だよね」
「珊瑚は狐でいいんですか?」
 ややむっとしたように、弥勒は軽く眼を細めて珊瑚を見た。
「いいよ、もちろん」
「珊瑚、安心せい。狐が化ける人間のおなごは美人と相場が決まっておる」
「ふふ、ありがとう、七宝」
 珊瑚はまんざらでもなさそうだ。
 三人は弥勒の機転で没収をまぬがれた茸を包み直し、茸狩りをさせてもらった礼を兼ねて、森を抜け、社へ参った。
 そして、そこが稲荷神社であることに初めて気づき、老人の正体に思い至ると、目を丸くしたのだった。


 辺りはすっかり夕陽の色に染められている。
「また、三人で出かけてもいいか?」
 名主の屋敷へ帰る途中、珊瑚に抱かれた七宝が無邪気に言った。
 珊瑚は一瞬躊躇い、ちらと法師を盗み見た。
「いいですよ。また、誘ってください」
 鷹揚に答える弥勒の言葉に、七宝はにっこりと笑顔になる。
 そして、恥ずかしそうにつけ加えた。
「珊瑚……あの、今日はおっかあと寝たいんじゃが」
「いいよ。一緒に寝よ」
「おとうも一緒に寝たいです」
 からかうように伸びてきた法師の手に尻を撫でられ、珊瑚は片手を後ろに廻して彼の手の甲をつねりあげた。
「調子に乗るな」
 疲れていたのか、いつの間にか、珊瑚に抱かれた七宝は眠ってしまった。
 七宝が大事そうに抱えていた茸の包みを、弥勒が代わりに持ってやる。
 すうすうと眠る仔狐を起こさないように、二人は落日を背に、ゆっくりと畦道を歩いた。
「……家族とは、こんな感じなのだろうな」
 ふと、洩らされた弥勒の言葉に、珊瑚は軽く眼を見張って、法師を見上げた。
 彼女を見返し、彼は微笑した。
「父親がいて、母親がいて、子供がいて。ひとつの土地にずっと腰を落ち着けて暮らす。そういう暮らしに憧れます」
 はっとした珊瑚の胸が痛んだ。
 法師のいつもの口説き文句にも、そういったものへの憧れが含まれているのかもしれないと。
(法師さまは、家族が欲しいの──?)
 七宝を抱き直し、彼女は瞳を伏せた。
「七宝みたいな子供、欲しい?」
「そうですな。珊瑚が母親というのも、悪くない」
 思わず珊瑚はどきりとなる。
 悪戯っぽい口調も、笑う弥勒の表情を見ても、冗談の域を出ないはずなのに。
「……うん、悪くないよね」
 珊瑚もできるだけ軽い調子で言った。冗談に聞こえるように。

 想いを寄せる人と、可愛い子供を育てる。
 そんな未来を、少しだけ夢見てしまった。

〔了〕

2013.10.24.

田中聖廻さんから、「法師と珊瑚ちゃんと七宝の親子な感じ」
というリクエストをいただきました。ありがとうございました。