すまるの玉
いつの間にか、眠っていたらしい。
すぐ隣に眠る赤子が泣き出した声で珊瑚は眼を覚ました。
台所からいい匂いが漂ってくるから、中途半端な時間だが、弥勒が何か作っているのだろう。
「お腹がすいたんだね。すぐあげるよ」
珊瑚は寝床の中で上体を起こし、肌小袖の前をはだけて、抱き上げた赤子に乳を含ませた。
それは数日前に誕生した、弥勒と珊瑚の四人目の子供だった。
赤子は男の子だ。
珊瑚はまだ床に就いたまま、弥勒はしばらく仕事を休み、家事に忙しい。
小さな赤子が満足そうに乳を飲み終えた頃、寝間の引き戸を双子の娘・弥弥と珠珠がそっと開けた。
「母上、父上がいいもの作ったんだよ」
「お味見どう?って、父上が。入ってもいい?」
双子は数えで六歳になる。
母が寝ている間は自分たちが主婦の代わりとばかり、毎日、父の手伝いを頑張っている。
「いいよって父上に伝えて」
「父上ー、お部屋入ってもいいって」
台所へ向かって弥弥が叫ぶと、今年数え四歳の長男・翡翠が、姉たちの間をすり抜けて部屋へ入ってきた。
「母上、今日の分のお花。こっちが母上の。こっちが赤ちゃんの」
赤子にはまだ名前が付いていないので、みんな赤ちゃんと呼ぶ。
見舞いの花を一輪ずつ、翡翠は毎日摘んできてくれるのだ。
琥珀の純粋なやさしさか、法師のそつない気配りか、この先どちらに似るのだろうと、珊瑚は微笑ましく花を受け取る。
「さーんご」
そこへ弥勒が顔を出した。
つい、甘い声を出してしまい、くすくす笑う子供たちの視線を受け、しかつめらしく咳払いをした。
「芋粥を作ってみたんです。試食してもらえますか」
弥勒は手にした椀を、恭しく妻に差し出す。
そして、枕元に置いてあった小袖を手に取って、それを彼女の肩に掛けてやった。
「ありがとう」
みなが見守る中、珊瑚は程よい熱さの芋粥をすすった。
「……美味しい」
「自分でもかなり美味しくできたと思うのですが」
「あたしの立場がないくらいに料理上手。山芋……どうしたの?」
「護身用に猟師の方々に渡していた破魔札が功を奏したようで、妖怪に遭遇したが命拾いしたと、お礼に山芋を持ってきてくださったんです」
弥勒は小さく微笑んだ。
「赤子に乳をやらねばならんのだから、おまえには栄養をつけてもらわねばな」
「母上だけー?」
甘えるように珠珠が言うと、弥勒は三人の愛し子たちの頭を順番にぽんぽんと軽く叩いた。
「おまえたちは、さっき台所で食べたでしょう? あとは夕餉に出しますから、それまで待ちなさい」
三人の子供たちは、きゃっとふざけて父の手から逃れると、母親に背後から抱きついた。
「こらこら。赤ちゃんを起こしちゃ駄目だよ」
「ねえ。これ、なあに?」
珊瑚の一番近くに陣取って、翡翠はこっそり芋粥をひと口食べさせてもらっている。その傍らで、双子が、見慣れない小さな木の箱が赤子の枕元にあるのを見つけて言った。
食べ終えた椀を弥勒が受け取り、子供たちには珊瑚が答えた。
「それは御守りだよ。父上が用意した、赤ちゃんの御守り」
「見てもいい?」
弥弥と珠珠はその箱を手に取った。
蓋を開けると、一連の木の数珠が入っている。
順番に手に取ってみたり、手首にはめてみたり、それに見入る子供たちに、台所へ椀を片付けてきた弥勒がにっこりと言った。
「いい香りがするでしょう? 赤ちゃんがこれから健康に、無事に成長できるようにとの願いを込めて、父上からの贈り物です」
「……」
三人の子供たちはどこか複雑そうに顔を見合わせた。
「どうしたんです?」
「……赤ちゃんだけ?」
「赤ちゃんだけ、とは?」
弥弥と珠珠と翡翠はちらと父親のほうを見遣り、再び顔を寄せ合った。
「生まれたとき、弥弥も珠珠ももらってないよねー」
「ねー」
「翡翠も」
弥勒と珊瑚は顔を見合わせ、くすりと笑った。
「おまえたちにも、生まれたときにちゃんと授けましたよ。その後、三人とも数珠をおもちゃにして、糸が切れてしまいましたが」
「……そうだっけ?」
「そう、弥弥と珠珠と翡翠の御守りの数珠は、ここにあります」
立ち上がり、弥勒は棚から小さな木の箱を三つ取り出した。
三つの箱の中には、香りのいい木の数珠玉が、ばらばらになったまま収められている。
蓋の裏にはそれぞれ、子供たちの名前が書かれていた。
「これが弥弥、そして珠珠。こちらが翡翠が生まれたときに与えた御守りですよ。だから、三人とも丈夫に元気に育っているでしょう?」
「父上のおかげ?」
「仏様のおかげだな」
珊瑚が手を伸ばし、懐かしそうに数珠玉をひとつ手に取った。
「そのうち、この数珠玉を繋がなくちゃね」
ふと微笑んで言う。
「そうすれば、そろそろ実用的にも使えるんじゃない?」
「和尚様のお寺へ行ったときとか?」
「そうだよ」
「お墓参りのときとか?」
「うん、そう」
母親の顔で、珊瑚は子供たちにやさしくうなずく。
「玉を統べる、か……」
弥勒は赤子の枕元に腰を下ろし、妻の顔を眺めた。
「珊瑚は“すまるの玉”という言葉を知っていますか?」
子供たちは興味を引かれたように父の顔を見上げた。
「すまる? すばるなら知ってるけど」
「ええ。古い言葉で統ばる、統べるという意味です」
「あたしが言ったのは星の昴」
「星の昴の語源も同じですよ。古くは、糸で繋いだ玉飾りを“すまるの玉”、“みすまるの玉”などと呼んでいたんです」
双子は弥勒の両側に、翡翠は珊瑚にくっついて、父の言葉に耳を傾けている。
弥勒は数珠玉を収めた箱の中から、ひとつ玉を指先で取り、子供たちを見廻した。
「おまえたちは、まだ昴星を見たことがなかったな」
「お空のお星様の名前?」
「そうですよ」
弥勒は数珠玉をひとつずつ手に取って配置し、床に星座を作った。
「空の星の中に、こんな形に集まった星の群れがあるんです。六連星、または昴と呼ばれている」
「本当に玉飾りみたいだよね、昴は」
弥勒はうなずく。
「いにしえ人にもまた、星たちが糸で統べられた玉のように見えたのかもしれんな」
「六つら……?」
星の形に配置された数珠玉を数え、弥弥が声を上げた。
「父上と母上と弥弥と珠珠と翡翠、そして赤ちゃん。ちょうど六人!」
「ほんとだ、一緒!」
珠珠と翡翠も嬉しげに歓声を上げた。
「ところが六連星は実は七つ星があるんです。七つ目は暗い星で、見えにくいので六連星の名があるんですよ」
「ええー?」
弥勒がもうひとつ、星の位置に数珠玉を配置すると、子供たちは残念そうな声を上げた。
「でも、母上にお願いすれば、もう一人産んでくれるかもしれませんよ」
「弥勒さまったら!」
あどけない三人の視線が一斉に珊瑚を向き、じぃっと見つめてくる。
珊瑚は困ったようにあやふやに微笑した。
「明日、生まれる?」
翡翠が訊く。
「まだ赤ちゃんが産まれたばかりじゃないか。次の子が生まれるとしても、もっとずっと先だよ」
「明後日?」
「もっと。何年も先」
「ふうん」
「おまえたちが一生懸命お願いしたら、早めに次の赤ちゃんも生まれるかもしれませんよ」
「ほんとー?」
「ちょっと、弥勒さま」
無責任に発言する夫を珊瑚は甘い視線で軽く睨んだ。
「別にいいじゃないですか。赤ちゃんは私たち家族を改めて統べてくれたんです」
弥勒は両手を広げて、両側にいる弥弥と珠珠の頭を撫でた。
「弥弥と珠珠と翡翠は、いい姉上、いい兄上になれますね」
「うん!」
弥弥と珠珠と翡翠は、眠っている赤子の周りに集まって、新しい弟の小さな顔をじっと眺めた。
その夜、夕餉を終えて、珊瑚の隣に延べた夜具に子供たちを寝かしつけたあと、弥勒はわざわざ小さく灯りをともして墨をすり、紙に「昴」と書いて、珊瑚に見せた。
「すばる? すまる? もしかして、子供の名前?」
「いや、まだ決めたわけではないのだが」
「翡翠は地上の宝石だけど、昴だと天上の宝石だね」
「天上の宝石か」
弥勒は自分の書いた文字を眺めた。
「明日、子供たちの意見も聞こう。この子にいい名前を付けてやりたい」
弥勒は紙を文机の上に置いて、灯りを消すと、袈裟と緇衣を脱いで肌小袖姿になり、夜具に横たわる珊瑚の隣に潜り込んだ。
「弥勒さま、別に夜具を延べたほうがいいよ。赤ちゃんの世話で、夜中に絶対起こしてしまうから」
「構いませんよ。おまえの寝息が聞こえる距離で眠りたいだけです」
ひとつの夜具に身を横たえ、弥勒は最愛の妻の身体をやわらかく抱きしめた。
「六連星の七つ目の星を家族に迎え入れるため、頑張りましょうね、珊瑚」
早くも次の子を宣言するかのごとき夫のささやきに、珊瑚は闇の中で頬を赤らめ、呆れたような表情を作った。
「まずは名前もまだの赤ちゃんのことを考えようよ」
「もちろんそうです。子育てを頑張り、また次の子を受け入れる環境作りもしましょうという意味ですよ。どの子もみな、私たちの大切な宝だからな」
弥勒は珊瑚に頬をすり寄せた。
「愛している」
「あたしも」
少し上体を起こし、弥勒は横たわる妻に覆いかぶさり、唇に唇を重ねようとして、ふと、振り返って子供たちの様子を窺った。
くすくすと珊瑚が笑う。
「三人ともよく寝てるよ」
「では遠慮なく」
ささやきとともに唇が重なる。
珊瑚の両手が法師を抱きしめ、ゆっくりと互いを味わうように、口づけは深くなっていった。
やがて、珊瑚の吐息が闇にこぼれた。
「……おやすみ、珊瑚」
「おやすみなさい、弥勒さま」
寄り添い合って、二人は眼を閉じた。
六連星のように家族六人がすまる家。
屋根の向こうでは、きっと、満天の星が宝石のように輝いていることだろう。
その輝きに包まれて、弥勒と珊瑚は眠りに落ちる。
輝きを統べる小さな赤子の寝息を聴きながら。
〔了〕
2012.10.8.
というリクエストをいただきました。ありがとうございました。