その町の鍛冶屋を訪れた珊瑚は、手にした自分の刀に視線を落として、わずかに眉をひそめた。
先日の闘いで刃こぼれしてしまったそれを直すには、いくらかかるだろう。
鍛冶屋の歌
手持ちの金子は残り少ない。
けれども、路銀から出してもらうわけにはいかない。
珊瑚は一か八か、鍛冶屋の敷居をまたいだ。
熱気に満ちた鍛冶場で、男たちが刀を打っている。
「あの」
珊瑚は近くにいた刀工らしい半裸の男を呼びとめた。
「刀の刃こぼれを直してもらいたいんだ。どれくらいかかる?」
男は、場違いな若い娘をじろじろ眺めた。
「どれだい?」
「これなんだけど」
男は鞘ごと珊瑚の刀を受け取って、すらりと抜いた。
「ほう。なかなかいい刀だな。まさか、姉さんのってことはねえだろうな。親父さんか、ご亭主のかい?」
「ううん、あたしのだよ。あたしが使ってるんだ」
珊瑚は少し誇らしげに微笑する。
里の仲間が作った刀を褒められるのは、自分が褒められたように嬉しかった。
「よく手入れされている。そうだな、これくらいかかるかな」
男が立てた指の数を見て、珊瑚は難しい表情を作った。
「もう少し安くならない?」
「姉さん、美人だから負けてやってもいいが、ご覧の通り、忙しくてな。何日か待てるんなら、考えてやってもいいが」
「急ぐんだ。できれば、今日中に」
「じゃ、この額だな」
面白そうにこちらを見遣る刀工を、珊瑚は少し眼差しをきつくして見返した。
「女だと思って足元を見ていないだろうね?」
「滅相もない」
珊瑚は少し考え込んだ。
「じゃあ、場所と道具だけ貸してもらえないかな? その代わり、もう少し負けてよ」
「それはいいが、姉さん、一人でどうする気だい?」
「こう見えても、鍛冶場の経験はある。全ての工程を一人でこなすことはできないけど、刃こぼれを直すくらいなら、やってやれないことはないさ」
褶を外した珊瑚は、紐を借りて、たすき掛けをした。
手甲や脚絆はしていない。小袖の裾も大胆にからげる。
「勇ましいな、姉さん」
「まあね」
鍛冶場には荒くれ男が大勢いたが、そういう種類の男たちと一緒に仕事をしてきた珊瑚は、特に怖じるふうもなかった。
珊瑚は床に置かれた砥石の前に座った。
鍛冶場の隅で刀を研ぎ出した、若い、美しい娘の姿が珍しく、刀工たちは仕事の手を休めて彼女を見に集まってきた。
「なかなかいい手つきだな」
「ありがとう」
「そこ、角度をもう少し、こう」
見物している者たちが次々とアドバイスまでしてくれる。
珊瑚は一生懸命、愛刀を研ぎ、あと少しというところで、一旦手をとめて額の汗を拭った。大きく息をつく。
研師が刀を手に取り、出来を確認した。
「上出来だ。お代はいただくんだ、仕上げはこっちでするよ」
「ほんと? ありがとう!」
珊瑚が立ち上がったそこに研師が座り、仕事を始めた。
深呼吸する娘を取り囲んだ男たちは感心したように口々に言う。
「本職には及ばないが、あんた、なかなかの腕だ。大槌も持たせてみたくなったな」
「けど、きついぜ。経験はあるのかい?」
「少しね」
「そりゃあいい。ちょっと打ってみなよ」
彼女を促し、火床のそばで大槌を持たせた。
「いくよ!」
珊瑚は威勢よく鉄を打つ。
リズミカルで景気のいい音に、刀工たちは面白そうに囃し立てた。
「姉さん、筋がいいぜ。今から修行すれば、立派な刀鍛冶になれる」
称賛ともからかいとも取れる言葉に、男たちがどっと笑う。
「じゃあ、ここで雇ってよ」
こういう活気あふれる場所は、失った里を、またその工房を思い出させ、珊瑚も楽しそうに笑い声を立てた。
と、突然、その場に鋭く響いた若い男の声。
「珊瑚!」
入り口のほうから聞こえたその声に、鍛冶場の全員がそちらを向いた。
「法師さま……!」
愕然と眼を見張った法師がそこにいる。
信じられないものでも見たように、やや蒼ざめて珊瑚を見つめていた。
鍛冶屋は当然のことながら男ばかり。
そんな中、小袖の裾をからげ、惜しげもなく腕も足も出した姿で男たちに囲まれている娘を見て、弥勒は卒倒する思いだった。
「珊瑚、何をやっている!」
普段の穏やかな弥勒とは打って変わった厳しい声で叱りつけられ、珊瑚は驚いて瞳を瞬かせた。
弥勒は錫杖を柱に立てかけ、珊瑚のそばまで足早に歩み寄ると、彼女から大槌を奪い、手近にいた男にそれを押しつけた。
そして、傍らの台に置いてあった彼女の褶を掴み取ると、それを広げて珊瑚の腰に巻き付ける。
すんなりとした足をかろうじて隠し、あとは彼自身の腕で彼女を隠すように抱きしめて、好奇の目を寄せる男たちを屹と睨みつけた。
「てめえら、珊瑚に何させてんだ! 見世物じゃねえぞ!」
珊瑚の様子を見に来た法師は怒りが収まらない様子だったが、そんな彼と彼女を見て、刀工たちはにやにや笑っている。
「姉さんのいい人かい?」
「う……うん、まあ」
「大事にしてもらってるんだねえ」
法師の怒りの意味を理解した珊瑚は真っ赤になって彼の腕から逃れ、彼の後ろに隠れて衣を直した。
「ほれ、仕上がったよ。姉さんの刀」
「ありがとう」
最初に決めた代金を渡すと、交渉をした刀工は釣りを手渡してくれた。
「ここの連中は、みんな、姉さんに惚れ込んじまったからな。まあ、文句は出ねえだろ。これだけ安くあげれば、あの法師さんの機嫌も直るんじゃねえか?」
珊瑚は花が咲いたようにふわりと微笑んだ。
「助かるよ。本当にありがとう」
帰り道、法師はずっと不機嫌だった。
「男勝りなのは構わんが、自分が男の目にどう映るかということを、もっとよく考えてください」
「でも、あそこは鍛冶場で、あたしは刀を直していたんだよ。さっきも言ったように、手持ちの金子が足りなかったんだから、仕方ないじゃないか」
咎めるような眼で、弥勒は珊瑚を顧みた。
「では、ひとまず私を呼びに来るとか、誰かに借りるとか、どうして、もっと無難なことを思いつかないんですか」
「誰も余分な金子なんて持ってないことは解ってるし、法師さまに頼むと……ねえ?」
弥勒はこれ見よがしにため息をついてみせた。
「おまえが大勢の男たちの前で、不用心に足をさらすよりマシですよ」
「でも、結果的にかなり負けてもらったし、自分の手で直すことができて、あたしはよかったと思ってるよ」
手に持つ刀を大事そうに見遣る娘の眼差しがとてもやさしげで、少し気持ちが凪いだ気がした弥勒は、心の中で珊瑚への信頼と心配という名の独占欲を秤にかけてみる。
「……解りました。これからは、私が勝手におまえについていきます」
独占欲のほうがわずかにまさったらしい。よほど先刻の光景が衝撃だったのだろう。
「あたしを見張る気?」
「そうでもしないと、おまえは何を仕出かすか判りませんからな」
「だけど、それじゃあ……」
反論しかけて、珊瑚はふと口をつぐんだ。
「何ですか?」
「ううん。それでいいよ」
そんなことをされたら鬱陶しくて仕方ないだろうと、半ば当てつけのつもりで言ったのに、意外な珊瑚の反応に弥勒は不思議そうに眉を上げる。
「ふふ、嬉しい」
「おかしな珊瑚だな」
それだと浮気の心配をしなくていいのではないか。
自分から法師を縛るのには抵抗がある珊瑚だったが、彼が彼の意思で彼女にくっついてくる分には何の問題もなかった。
「あ、ちょっと待ってください。あそこに井戸がある」
珊瑚を待たせ、井戸の水で手拭いを絞ってきた弥勒は、それを彼女に渡した。
「汗をかいたでしょう。これで顔を拭いなさい」
「ありがとう、法師さま」
珊瑚は受け取った手拭いを頬に当て、冷たさを味わうように眼を閉じた。
「気持ちいい」
「もし、水浴びがしたいならつきあってあげますが」
「し・な・い!」
弥勒の機嫌はいつの間にか直っていた。
二人は睦まじげに肩を並べて今日の宿へと帰る。
抜けるような青空が広がる、よく晴れた日のことだった。
〔了〕
2011.7.26.