空を見上げると自らの吐息が白く染まるのが見えた。
 凍るように透明な蒼い空がふっと霞んで見えたとき、はらはらと白い花が降ってきた。
「雪……」
 君に出逢って三度目の冬――

 庭の植え込みには仙蓼――千両が赤い実をつけている。
 弥勒が庭先にわざわざ千両を植えたのは、草珊瑚という別名が気に入ったからだ。
 音もなく降ってきた雪に追い立てられるように帰宅し、我が家へ入ろうとした弥勒は、ふと足をとめてその草珊瑚に見入った。
 緑と赤のそれは雪に映えるだろう。
 血珊瑚のような赤い実を見つめ、過ぎた刻を物思う。
 一度目の冬は闘いのさなかだった。
 二度目の冬は珊瑚の腹に新しい生命がすくすくと育っていた。
 そして、今年。
 次から次から舞い降りる雪の花は世界を白く塗りかえ始めた。

 外は雪がしんしんと降っているが、家の中は暖かだった。
 夕餉のあと、囲炉裏を囲み、双子の娘たちのために珊瑚が着物を縫っている傍らで弥勒は藁を編む。
 生まれてまだ一年に満たない、いとけない子供たちは、お腹がいっぱいになると母親のそばで眠ってしまった。
 珊瑚が掛けてやった夜着にくるまってすやすやと寝息を立てている。
 少し手を休め、顔を上げると最愛の妻の姿が見える。
 視線を感じ、顔を上げてにこっと口許を綻ばせる珊瑚に、弥勒は思ったことをそのまま口にした。
「おまえはどんどん綺麗になるな」
「えっ?」
「いや、出逢った頃も美しかったが、美しさに深みが増してきたというか」
「今さら褒めても何も出ないよ」
 珊瑚は照れたように苦笑する。
「でも、それはあれじゃない? 法師さまがあたしを幸せにしてくれたから。だから、きっとそう見えるんだよ」
 彼女は横で寝息を立てている二人の宝物を振り返る。
 おとなしく眠っているのを確認するようにそちらへ眼をやり、そして思い出したように法師を顧みた。
「法師さまは、あたしに無関心だったのがやさしくなった」
「無関心なんかではなかったでしょう? ちゃんとおまえを見ていましたよ」
 心外だと言わんばかりに弥勒が異議を唱えると、珊瑚は考えるように少し視線を上へ向け、
「あたしのお尻だけ撫でて、次から次へと他の女の人を追いかけてた」
 そんなふうに決めつけてしまう、拗ねた口調の珊瑚に法師はやれやれとため息を吐く。
「おまえ、未だにそんなこと根に持っているのか? 今は珊瑚ひと筋ですよ」
「ふふ、口がうまいところは以前のままだね」
 真面目腐って本音を洩らしてみれば、珊瑚は少し嬉しげにくすぐったそうな様子を見せた。
 囲炉裏の火が赤々と燃える。
 弥勒が薪をくべると、ぱちんぱちんと炎が爆ぜた。
「珊瑚」
 何気ない呼びかけに珊瑚は瞳を上げて夫を見た。
「そろそろ三人目がほしい」
「あ――うん。そうだね」
「今宵……いいですか?」
 珊瑚は恥ずかしそうに法師から眼をそらして、こくんとうなずいた。
 妻になっても、母になっても、変わらずつつましく初々しい娘がそこにいた。
「……法師さまは、やっぱり男の子がほしい?」
 ややあって、珊瑚が尋ねる。
「いえ? 女の子が続いてもいいですよ」
「そう?」
「何人も子を儲ければ、いずれ、男の子も授かるでしょうからな」
 二十人と言っていたのはやはり本気だったのか、と珊瑚は小さく笑みをこぼした。
 この部屋が子供であふれている様を想像する。
 五年先、十年先はずいぶん賑やかになりそうだ。
「今夜は積もりそうだな」
「この子たちにとっては初めての雪だね」
「明日は子供たちに雪うさぎでも作りましょうか」
「あ、それいいね。きっと二人とも喜ぶ」
 南天の実と柊の葉ではなく、庭の草珊瑚の実と葉を使って。

 ふと珊瑚は縫い物を下ろした。
「子供たちをそろそろ寝床に運ばないと」
「そうだな。少し早いが、私たちも休みましょうか」
 さりげない弥勒の言葉に珊瑚は頬を染めた。
 珊瑚は針仕事を片付けて。弥勒は編んでいた藁を片付けて。
 囲炉裏の火の始末をすると、二人は眠っている娘を一人ずつ抱き上げ、居間から寝室に移動した。

 外はしんしんと雪が降り続いている。

〔了〕

2010.1.23.

「冬 (「四季」より)」 ヴィヴァルディ