パ・パ・パ

 妖怪退治の急な仕事が入ったその日は、双子の娘を同じ年頃の子供がいる家に預けていた。
 仕事を終えて、急ぎ、帰宅した弥勒と珊瑚は、生まれてまだやっと一年と少しの娘たちを迎えに行く。珊瑚は退治屋装束のままで、弥勒は錫杖を家に置いて。
 若い夫婦は、子供を預けていた家の家人に丁寧に礼を言って、愛娘たちを一人ずつ抱いて、帰途についた。
「いい陽気だな。少し散歩していきますか?」
 弥勒の提案に、珊瑚もにっこりとうなずく。
 人見知りをしない双子は預けた先でもいい子にしていたらしいが、弥勒と珊瑚のほうが心配で仕方なかったらしく、一人ずつ抱いた娘に蕩けるような眼差しを向けていた。

 二人は森へ足を向ける。
 通る風が心地好いこの場所に、家族四人でよく訪れるのだ。
 適当な場所で子供たちを地面に下ろし、歩かせてやる。
 まだ完璧に歩けるわけではないが、少し離れた位置から名を呼ぶと、二人競うようにして、両親のもとへ歩いてくる。
 この辺りには危険なものがなく、苔がやわらかく、歩く練習をさせるのにちょうどいい。
「おいで」
 先に到着したほうが珊瑚の腕に飛び込んだので、遅れてやってきたほうを弥勒が抱きとめた。
「やっぱり、二人とも珊瑚を目指してやってくるな」
「あたしのほうが一緒にいる時間が長いもの」
「……仕事減らそうかな」
 ぽつりとつぶやいた弥勒に、珊瑚は楽しそうに笑った。
「法師さまが家のことしてくれたら、あたしが退治屋の仕事をして稼いでもいいよ。でも、そういうのは嫌なんでしょ?」
「子供たちには、母親がそばにいるのが一番ですよ」
 弥勒は腕の中にいる娘を抱いて立ち上がり、その子を空に向けて高くかかげた。
「高い高ーい」
 幼い娘が嬉しそうなはしゃいだ声を上げる。
「はい、次」
 もう一人を渡そうとする珊瑚を見て軽く微笑み、弥勒は抱いている娘を地面に下ろして、次の娘を受け取った。
 珊瑚は母親の、自分は父親の役割を果たしているのだと思うと、何だか嬉しい。
 そのとき、ふと、空からうるさく鳥の声が降ってくることに気づき、法師とその妻は動きを止めてそちらを仰いだ。
「鳥が騒いでる」
「なんでしょうな」
「あっ、法師さま」
 突然、珊瑚が法師の腕を取って、後ろに下がろうとした彼の動きを制した。
「何です?」
「そこ。卵……じゃない?」
 よく見るとあちこちに小さな卵が散らばっている。
 木の上の巣から落ちた、鳥の卵だろう。
「ずいぶんたくさんの卵ですな」
「巣が二つあったんじゃない?」
 両親が注意を向けた小さな卵を、双子も興味津々で手に取ろうとする。
「割っては駄目ですよ。そっと父上に渡してください」
 弥勒が手を差し出すと、幼い二人は手に持った卵を頼りなげに父親の掌の上に置いた。
「はい、ありがとう」
 二人からそれぞれ卵を受け取り、弥勒は娘たちの頭を撫でてやる。双子はそれこそ小鳥の雛のように愛くるしく笑った。
「巣に戻してやらなければな」
「あたしが行くよ。ちょうど、退治屋の格好してるし」
 弥勒と珊瑚は落ちた卵を集め始めた。
「ねえ、法師さま」
「なんです?」
「もし、あたしが鳥が卵を産むみたいに、一度にたくさんの子供を産めたら、あたしたちの次の代で、退治屋の里を再興させることができるのにね」
 真面目な珊瑚の口調に、思わず弥勒は声を立てて笑った。
「子を全員、退治屋にするんですか?」
 からかうように問うと、珊瑚は困ったように少し頬を赤らめた。
「もちろん、無理強いはしないよ。でも、たくさん子供がいたら、退治屋を継いでくれる子もそれだけ増えると思わない?」
「琥珀に弟子入りさせて?」
「そう。駄目かな」
 考えるような眼差しをして、弥勒は悪戯っぽく妻に告げた。
「では、次は三つ子を作りますか」
「その次は四つ子?」
 珊瑚も笑う。
 二人は、卵をひとつ拾うごとに、子供の数を数え出す。

 小さい珊瑚が一人
 小さい法師さまが一人
 小さい珊瑚が二人
 小さい法師さまが二人

 落ちていた卵を全て集めると、身軽な珊瑚が木に登った。
「思った通り、ここに巣があるよ、法師さま」
 彼女は肩当てを外し、そこに装着していた縄を取り出すと、肩当てに縄をくくり付け、待機している弥勒のもとに下ろした。
 ちょうど器のような形になった珊瑚の肩当てに、弥勒が集めた卵を乗せた。
「いいですよ、珊瑚」
 珊瑚が樹上で縄をたぐりよせ、肩当てに乗せた卵は木の上へと帰っていった。
 双子の娘たちは瞳をきらきらさせて、嬉しそうに声を上げて両手を振って、凛々しい母の姿を見上げている。
 すぐに珊瑚は木の上から降りてきた。
「卵は巣に戻したよ」
 とん、と足が地についた途端、彼女はふらりと均衡を崩した。
 彼女がふらつくなど珍しい。
「珊瑚、大丈夫か」
 弥勒が慌てて手を伸ばすと、彼女は彼の腕の中に倒れ込んできた。
「ちょっと眩暈。ありがとう、法師さま。大丈夫だよ」
 珊瑚はすぐに身を起こし、照れたように微笑んだ。

 一人ずつ娘を抱き、二人は家路についた。
 小さい珊瑚が何人、小さい法師さまが何人……とでたらめに口ずさみながら。
「こんにちは、法師さま。家族おそろいで」
 ちょうど森を通りかかった顔馴染みの猟師が、親しげに弥勒夫婦に声をかけてきた。
「こんにちは。見事な雉ですな」
 今日の獲物だろう。猟師が持っている大きな雉を見て法師が言うと、
「いかがです、法師さま、珊瑚さん。夕餉の膳に。安くしときますよ」
 すかさず猟師が雉をかかげ、弥勒と珊瑚は顔を見合わせて苦笑した。
「いえ、今日は鳥は……」
 鳥の卵を助けたすぐあとに鳥肉を食すのはやや気が引ける。
 二言三言言葉を交わして、猟師とはすぐに別れた。
 と、隣を歩いていた珊瑚が立ち止まり、抱いていた娘を下ろして蒼い顔をしていることに気づいて、弥勒は足をとめて振り返った。
「珊瑚?」
 しばらく口許を押さえていた珊瑚は、申しわけなさそうに夫を見た。
「ごめん。雉を見てたら、ちょっと気分が悪くなって」
「大丈夫ですか?」
「うん。なんとか」
 弥勒は心配げな様子で珊瑚を見つめていたが、以前にも、このような彼女を見たことがあるような気がして、はっとした。
「珊瑚、もしかして……」
 抱いていた娘を下ろし、彼女の肩に両手を置いて、弥勒は妻の顔を覗き込んだ。
「三人目が、できたんじゃありませんか?」
「!」
 珊瑚は眼を見張って法師を見遣る。
「法師さま……」
 弥勒はゆるやかに微笑んだ。
「三つ子だったら、どうします?」
「……一足飛びに五つ子かも」
 頬を染め、珊瑚は嬉しそうに弥勒の肩に額を押し当てた。
 そっと彼女を抱きしめる弥勒の足許で、幼い娘たちも、よろよろと母親の足に抱きつき、ぎゅっとした。
 弥勒と珊瑚は顔を見合わせ、その場にしゃがんで幼い娘たちをふんわり抱きしめる。
「もう二人もいるから、五つ子じゃなくてもいいよ」
「どうせ地道に増えますよ。五人くらい、あっという間です」
 楽しげに言って、弥勒は珊瑚を促し、立ち上がった。
「帰りましょう」
 二人は再び娘たちを一人ずつ抱き上げる。
「でも、珊瑚。我々の孫の代くらいには、退治屋の里を再興できるように頑張りましょう」
「ふふ」
 くすぐったそうに笑みを返す珊瑚は、最愛の夫と一緒に紡がれていく幸せに心満たされる想いだった。
 きっと自分たちは、今日、拾った卵の数よりもっとたくさんの幸せを数えていくだろう。
「法師さま」
 ふと、こちらを向いた彼の表情が好きだ。
「……ううん。何でもない」
 はにかむ珊瑚が頬をほんのり桜色に染めると、弥勒は何も言わずに微笑した。

〔了〕

2012.2.3.

「パ・パ・パ (「魔笛」より)」 モーツァルト