あいつってば全然ロマンチックじゃないんだから。
今日、宿を借りることになった名主さまの家で、飛来骨の手入れをしていると、少し拗ねたように独りごちるかごめちゃんの言葉が耳に入ってきた。
“ろまんちっく”ってなに?
と尋ねると、うーん、なんて説明したらいいのかな、とかごめちゃんは人差し指を顎にあてて、少し首を傾けた。
その仕草は女のあたしから見てもとっても可愛い。
「たとえば好きな人と一緒にいて、あまーい雰囲気になったり、夢みたいな気分にさせられたり……要するに、そういう雰囲気のこと、かな?」
ふうん。
あたしはふと法師さまの顔を思い浮かべてみる。
ロマンティック
静かだった森の上空に、一斉に鳥の羽ばたく音がする。
「たああっ!」
珊瑚は飛来骨を大きく振りかぶり、狙いを定めて投擲した。
敵は一匹ではない。
この際、森の木々をも巻き添えになぎ倒してしまうのは仕方のないことだろう。
手に戻ってきた飛来骨を再び構える。
正確な珊瑚の攻撃は、敵の数を半分に減らしていた。
名主の屋敷で、使用人たちからこの村に出没しては田や畑を荒らしている妖怪がいることを聞いた珊瑚は、自ら妖怪退治を買って出た。
世話になっている身、何より、村の人たちが困っていると聞けば、退治屋として彼女が放っておけるはずもない。
その足で部屋に戻ると、そこにかごめの姿はなかった。
犬夜叉のところへ行ったのだろう。男性陣は別の部屋をあてがわれている。雲母は──七宝と遊びにでも出かけたのか。
話を聞く限り、たいした妖怪ではないようだ。
自分ひとりでかたがつくと判断した珊瑚は、退治屋の装束に着替えると、そのまま飛来骨を手に妖怪の巣があるという森へ向かった。
村を荒らす獰猛な化け猪たちは、思った以上の巨躯と槍のような牙を持っていた。あの牙に貫かれて村人の何人かが生命を落としたと聞いた。
しかし、もとより珊瑚の敵ではない。
飛来骨の一撃で何頭かをまとめて倒すと、四方から来る複数の妖獣の猛攻を飛燕のように軽やかな身のこなしでかわし、再び飛来骨を揮う。
それで終わりだ。
最後の一頭の胴体を両断して戻ってきた飛来骨を受け止めると、頬に何かがぴっと降りかかった。
「珊瑚!」
聞きなれた声を耳にして振り返ると、血相を変えた法師がそこにいた。走ってきたらしい。軽く肩を上下させている。
「法師さま。どうしたのさ?」
息も乱していない珊瑚の至極冷静な声に、弥勒は、呆れたように周囲を見廻した。
辺りは広範囲に渡って木々がなぎ倒され、十数頭はいる巨大な化け猪の屍があちらこちらに散らばっている。
法師は大きくため息をついた。
「珊瑚。妖怪退治に行くなら行くで、何故、私に声をかけなかった」
「だって、聞いた話では雑魚妖怪だったし。犬夜叉や法師さまの手をわずらわせることもないと思って。法師さまも妖怪のことを?」
「私も名主さまの家で聞きました。──おまえが一人で妖怪退治に向かったと」
ふと珊瑚に顔を向けた弥勒は、はっとしたように彼女に近づき、その頬へ手を伸ばした。
「珊瑚──怪我をしたのか?」
「えっ?」
反射的に頬に手をやると、濡れている。ぐいと拭うと、赤い色がべっとりと手についた。
「大丈夫だよ。あたしの血じゃない」
ほっとしたように弥勒は小さく吐息をこぼす。
「珊瑚。あまり心配させるな。これからはどんな雑魚だろうと、一人で片付けようなどと思わず、私を呼びなさい」
「あたしは退治屋だよ?」
「おまえの腕は承知している。それでも心配なのだから、仕方ないだろう」
弥勒は珊瑚の頭を軽くぽんぽんとたたくと、その手を彼女の背に添えた。
「屍の始末はあとです。まずは、飛来骨についた血と、おまえの頬の返り血を洗い落としに行きましょう」
並んで川へ向かう途中、珊瑚はちらと法師を窺い見る。
なんだかんだ言いながらも、弥勒は自分を心配していたわってくれる。──嬉しい。
自分の名を呼んだときの法師の表情を思い出し、珊瑚は急に彼に申しわけなく感じた。
「あの……法師さま」
「うん?」
ごめんなさい。
そう言おうとしたとき、こちらを向いた弥勒の視線がふっと珊瑚を通りこしてその向こうへそれた。
(なに?)
珊瑚も弥勒の視線を追うと、村娘が三人、連れ立っているのが目に入った。
三人とも水を汲んだ桶を手にし、楽しそうに談笑しながら歩いている。
珊瑚が傍らの法師へ視線を戻すと、弥勒はすでにそちらへ歩を進めかけていた。
「法師さま!」
「珊瑚、野暮用だ。おまえは先に川へ行っていなさい」
「法師さまっ!」
半ば叫ぶような珊瑚の声に振り返ることもなく、弥勒はそのまま娘たちのほうへ足早に駆けていく。
取り残された珊瑚はただ呆然とそれを見送った。
あたたかく満たされていた心が、水をかぶせられたように急激に冷えていく。
華やかに笑っていた娘たち。
それに引きかえ、男勝りに十数頭の妖怪を相手に一人で立ち向かい、それを簡単に倒してしまうような自分。
(おまけに……)
珊瑚はまだ頬に残っているであろう妖怪の返り血を思い、手に付着したその赤い色を見て悄然たる気分に陥った。
幼い頃から当然のように戦いに身を置いてきた自分には、血の臭いが染み付いているだろう。
退治屋としての己には誇りを持っている。
しかし、それとは別に、かごめのような女の子らしい少女に憧れを抱いてしまうのもまた正直な気持ちで。当然、それには法師の存在が大きく関係している。
(かごめちゃんみたいな女の子だったら“ろまんちっく”も似合うけど、こんな、女らしくないあたしには“ろまんちっく”なんて到底無理だ……)
別に何かを期待しているわけではない。
ただ、少し寂しいだけ。
川へ辿り着いた珊瑚は、のろのろと膝をつき、川の水に手を浸そうとした。
川面に自分の顔が映る。
──つまんない顔──
先ほどの娘たちのように、常に華やかに明るく笑っていれば、法師は自分だけに微笑みかけてくれるだろうか。
(無理……)
こんな可愛くない女、法師さまに飽きられたって文句は言えない──
珊瑚は水面に映った自分の顔を消し去るように、手で水をかきまぜた。
視界が滲んでぼやけてくる。
じわりと目頭が熱くなり、珊瑚はぎゅっと眼をつぶった。
そのまま洩れそうになる嗚咽に必死で耐えていると、不意に背後に人の気配を感じた。
(この気配は……)
「なんだ、まだ手を洗ってないんですか?」
はっと身を硬くする珊瑚の髪に、弥勒の手が触れた。
「法師……さま……?」
高く結い上げた髪の根元に何かを挿し込まれる感覚に、珊瑚は顔を上げて眼を見開く。
「なに、してるの……?」
喉につまったような珊瑚の声音に異変を感じ取った弥勒が、彼女の顔を覗き込んで不安げな表情を作った。錫杖を置いて隣に座り、片手を水に浸して珊瑚の頬を拭う。
「ほら。せっかくの美しい顔が台無しですよ?」
そして、ふと手を止めた。
「珊瑚……泣いて、いるのか?」
珊瑚は急いで首を横に振る。
「どうした?」
「ううんっ。何でもない。それより、法師さまこそ、何して……」
「これを」
彼は、もう片方の手に持っていた白い花を珊瑚に見せた。
「椿?……じゃないよね」
「茶の花です。先ほどすれ違った娘たちが桶にこの花の枝を挿していたでしょう? 近くに茶畑があるのだろうと思い、その場所を聞いてきました」
「茶の花?」
娘たちがそんな花を持っていたことにすら気づかなかった。
「で、二輪だけ、失敬してきたんです」
悪戯っぽく言いながら、弥勒はその花を珊瑚の髪に挿す。
すでに一輪、白い花が飾られていた珊瑚の髪に、二輪目の花が咲いた。
「実を言うと、闘うおまえの姿に、一瞬、見惚れてしまったんですよ」
「え……?」
「まるで舞を舞っているようだった」
驚いて法師を見遣る珊瑚にやさしい眼を向け、弥勒はその髪を撫でた。
「美しくて、息を呑んだ。あの娘たちが茶の花を持っているのを見たとき、私の舞姫の髪に、どうしてもそれを飾ってやりたくなって」
背に流れる珊瑚の美しい黒髪を手に取って、弥勒はそれに口づけた。
耐えていた涙が、珊瑚の瞳からこぼれ落ちる。
「法師さま、ごめん──」
「何故、謝る?」
弥勒は珊瑚の頬にゆっくりと指を滑らせた。
それでもぽろぽろとこぼれてくるきららかな雫を、彼の唇がそっと吸い取る。
珊瑚が落ち着くのを待って、弥勒は、手ずから彼女の手や飛来骨についた血を洗い落としてやった。
「大丈夫ですか?」
「うん。法師さま、ほんとにごめんね」
胸がいっぱいで、小さな声でやっとそれだけを言うと、ふっと微笑んだ弥勒がこつんと額をあわせてきた。
「で、なんで泣いていたんです?」
原因は解っていると言いたげな含みを持たせた弥勒の声に、珊瑚は慌てて首を横に振る。
頬が熱い。
たぶん、夕焼けのような色に染まっていることだろう。
髻に挿された花は、川面に映しても自分で確認することはできないが、珊瑚はそっと手を廻して髪に飾られた花に触れてみた。
そこに特別な何かがなくても、あなたがいるだけで、あたしはロマンチック。
涙をためたままふふっと笑うと、法師さまが不思議そうな、それでも少し嬉しそうな顔をして、あたしを見た。
〔了〕
2007.10.27.