ワルツィング・キャット
雲母はいつでも珊瑚の味方だ。
退治屋の里の生き残りという共通点だけでなく、里にいた頃だって、珊瑚と一番仲がよかった。闘いの場においても誰よりも息が合う。
そんな雲母は、最近、悩んでいた。
仲間の一人のあの法師、彼に好意を示すべきか、それとも、嫌うべきか。
珊瑚が法師に好意を抱いていることは、雲母は逸早く気づいていた。
でも、肝心の法師の気持ちが判らないままで、彼が珊瑚に相応しいかどうか、それを見極めることは、亡き里長の代わりに自分がやらねばならないことだと雲母は考える。
「珊瑚──!」
敵の攻撃を受けて、吹っ飛ばされた珊瑚の背後に廻り込み、弥勒は彼女の身体を抱きかかえて地面に叩き付けられた。
「法師さま!」
自らの身体を下敷きにしてかばってくれた法師の上から飛び退き、珊瑚は弥勒の上体を抱き起こす。
「法師さま、大丈夫……?」
問いかけた珊瑚は、彼の眼をまともに見てしまい、さっと頬を赤らめた。
そんな二人を雲母は憮然と眺める。
──自分が珊瑚を受けとめるはずだったのに……
犬夜叉が風の傷で敵を倒すのが見えた。
珊瑚はほっとしたように立ち上がって、弥勒に手を差し出した。
「ありがとう。ごめん、あたしのせいで」
「いや。何ともありませんから」
彼女の手を取って立ち上がった弥勒は、そのまま細い身体を抱き寄せて、腰から下に手を這わす。それはもう、眼を疑いたくなるほどの自然な動きで。
「法師さま!」
薄紅の頬で、珊瑚は怒って法師の手をつねりあげるが、雲母には、どう見ても怒っているのではなく、ときめいているようにしか見えなかった。
あの法師は要注意人物。
不実な男に引っ掛かって、泣きを見るのは珊瑚のほうだ。
珊瑚の守護者として、影ながら彼女を守ってやることは雲母の使命なのだ。
今日も辿りついた村で、弥勒は村の娘たちに愛嬌を振りまき、彼女たちの手相を見ている。
雲母は法師の肩に乗っかって、彼の監視の真っ最中だ。
数人集まった娘たちの視線が、愛くるしい小猫に向けられた。
「可愛い猫」
「尻尾が二つも。なんていう猫ですか?」
「これでも妖怪なんですよ。雲母という名です」
雲母は、自分が人間の女性や子供にひどく受けがいいことを知っている。
みゃう、と、とびきり愛らしい声でひと声鳴くと、それだけで周りの娘たちはきゃあと黄色い歓声を上げた。
「親しい友人の猫なのですが、近頃、私によく懐いて」
珊瑚のために法師の情報を収集しているだけなのに、懐いていると勘違いしているのだから、人間なんて他愛ない生き物だ。
そうじゃないんだと言いたいところだが、そうも言えないので、雲母は背を向けて尻尾で法師の頬を軽く叩いた。
それがまた可愛らしいと、娘たちが騒ぐ。
手相見どころではない。
「おいで、雲母ちゃん」
そっと手を差し出した娘の肩に雲母が身軽に飛び乗ると、娘たちの関心は完全に法師から雲母へと移ってしまった。
「……やれやれ」
小さな猫を取り巻き、楽しそうにさざめく娘たちの姿を見て、弥勒は苦笑する。
なんだか雲母が妙によそよそしい気がするのだが、気のせいだろうか?
ひとしきり雲母を囲んで騒いだあと、辞去しようとした法師に、娘の一人が、笹の葉に包んだものを差し出した。
「ひとつしかないけど、手相見のお礼です。雲母ちゃんと食べてください」
草餅だった。
「これは、細やかなお心づくし、ありがとうございます」
法師は愛想よく礼を述べて受け取り、娘たちが引き上げてから、
「おまえの手柄だな」
と自らの肩に戻ってきた雲母にささやいた。
村から少し離れた丘へ続く坂道で、弥勒は雲母を顧みた。
「雲母。悪いが珊瑚を呼んできてくれんか。夕べ、あまり食が進まなかったようだから、この草餅を食べさせたい」
雲母はちょっと驚いたように、ぱちぱちと赤い瞳を瞬かせた。
──いい人、かも……
反射的にそう考えて、我ながら現金だと雲母は思った。
雲母に導かれて丘の上にやってきた珊瑚は、弥勒が差し出した草餅に眼をまるくする。
「村でいただきました。おまえに食べてほしくて」
「法師さま」
「厳密に言うと雲母の戦利品です。ですから、雲母と一緒にどうぞ」
傾斜地に法師と一緒に並んで座り、草餅を手渡された珊瑚は、それを二つに割って、片方を法師に渡した。
「せっかくだから、一緒に食べよ?」
弥勒と眼が合うとすぐにうつむき、はにかみながら、雲母を膝に乗せて、珊瑚は草餅をちぎって口に入れた。
「美味しい。懐かしい味がする。里でも、この時期には毎年作ってたんだ」
小さくちぎって、雲母にも食べさせた。
「美味しいね、雲母」
「みう」
けれど、雲母は知っていた。
退治屋の里の味とは違う。
珊瑚が美味しいと感じているのは、彼女を想う弥勒の気持ちだ。
「……よかった」
彼女の様子をじっと見守り、慈しむように弥勒は微笑む。
法師がこんなふうに珊瑚を見つめるなんて、雲母には少し意外だった。
いつもこんな態度でいてくれるなら。そうしたら、少し、見直してもいい。
弥勒と珊瑚がとりとめもなく言葉を交わしていると、ひょっこりと犬夜叉がやってきた。
「そろそろ行くぞ。って、おまえらだけ隠れてなに食ってんだよ」
「はは、ばれましたか?」
「匂いで解る。草餅だな」
「村の娘たちからいただきまして。五人で分けられる量ではなかったので」
仲間の中で一番に弥勒は自分を思い浮かべてくれたのだと、珊瑚は胸が熱くなった。
しかし、
「えっ?」
彼女は瞬時に固まった。
「村の娘からもらった? 法師さま、村でいったい何して……」
「え、別に。珊瑚が気にするほどのことではありませんよ」
「また女の子たぶらかしてたんだ!」
柳眉を逆立てて身を乗り出す珊瑚の勢いに、弥勒はややひるんで両手を振った。
「誤解です。手相を見ていただけで」
「法師さまと手相見を合わせたら、“なんぱ”以外の目的なんてないじゃないか!」
決めつけられ、さすがに弥勒もむっとする。
「別に気晴らししたっていいじゃないですか。それに、今日は雲母に邪魔されて、結局、何もなかったわけですし……」
「今日は何もなかったって、それじゃあ、いつもは“何か”あるってことじゃないか!」
弥勒がたじろいだ分だけ珊瑚が詰め寄る。
「今日だけじゃない、法師さまはいつもそうだ」
「落ち着きなさい、珊瑚。いつも何もないでしょう」
呆れた犬夜叉がわざとらしくため息をついたが、弥勒の耳にも珊瑚の耳にも入っていないようだ。
「……少し遅れるとかごめに言ってくる」
触らぬ神に何とやら……と半妖の少年が踵を返すと、後ろから小さな猫又が、彼の肩に飛び乗った。
「あいつらのお守り、ご苦労さん」
「みゃう」
犬夜叉の肩の上から雲母が振り返ると、こちらには一瞥もくれず、二人は言い合いを続けている。
ああやって言い合うのが楽しいのだろう。
人間って、つくづく変な生き物だ。
でも、少しだけなら、あの男を珊瑚の相手として認めてもいい。
珊瑚のことを、法師なりに大切に思ってくれていると解ったから──
〔了〕
2012.3.14.