All I ask of you

 雑魚妖怪に数で襲われ、戦闘のさ中、法師は風穴を開いた。
 最猛勝がいないことは確認したが、吸った中には毒を持つ妖怪もいたようだ。
 右手に激痛が走った次の刹那、ふつりと意識が途切れた。
 覚えているのはそこまでだ。
 次に気がついたときは、大きく四方へ枝葉を伸ばした樹の下に、彼は仰向けに横たえられていた。
 濡れた手拭いが額にのせられ、そこだけがひんやりと気持ちいい。
 不安そうな珊瑚の顔が、じっと彼を見下ろしていた。
「……珊瑚」
 ため息まじりに愛しい名前をささやいた。
 意識を取り戻した弥勒を見て、珊瑚はほっとしたように小さく吐息を洩らした。
 彼女はまだ退治屋の装束のままだ。
 倒れた法師をここへ横たえ、彼の様子をずっと見守っていたようだ。
「犬夜叉たちは?」
「周囲を見回りに行っている」
 弥勒がけだるげに片手を伸ばすと、珊瑚はその手を受け取り、強く握りしめてくれた。
「法師さま、気分はどう? 苦しくはない?」
「心配いりません。大丈夫ですよ」
 力なく微笑むと、珊瑚は軽く法師を睨んだ。
「心配いらないわけないじゃない。法師さま、真っ蒼な顔して倒れるんだもの。心臓がとまるかと思った」
 泣いていたのだろうか。
 彼女の睫毛に雫の跡を見つけ、弥勒は彼女の頬に触れようと、手を持ち上げようとしたが、珊瑚は彼の手を離そうとはしなかった。
「本当に大丈夫です。体内に長く残る毒ではなかったようだ」
「……心配させないで」
 珊瑚はうつむき加減に声をつまらせた。
「あたしには、法師さまが──全て」
 はっとなって、弥勒は身を起こす。
 刹那、眩暈に襲われたが、額を押さえて、彼は珊瑚の言葉を引き取った。
「解っている。私も、珊瑚が全てですよ」
 なだめるようにやさしく言ったが、珊瑚のほうは、ばつが悪そうに法師から目を逸らした。
「ごめん。全てではないけど──って、言いかけた」
「……」
 がっくりとなった弥勒は眩暈に負けて、両手の中に顔を伏せてしまった。
「……ですな。珊瑚は琥珀が全てですから」
「なに、その嫌みな言い方」
 珊瑚は咎めるような口調になったが、すぐに真摯に言葉を続けた。
「でも、あたしの大部分を占めているのは、法師さまだから」
「琥珀でしょう?」
「ううん。最後まで聞いて。法師さまがいるから、あたしは闘い続けられる。法師さまがいなければ、あたしは自分自身を見失ってしまう」
 真剣に、どこか思いつめたように言葉を紡ぐ愛しい娘の顔を、弥勒はじっと見つめた。
「法師さまがどれだけあたしの支えになっているか、法師さまは知らないだろう? だから、ひとつだけ、聞いてほしい。法師さまに守ってほしいことがあるの」
 法師の手を取って、珊瑚は低い声で小さく言った。
「無事でいて。自分を大事にして。それが、あたしが法師さまに望むことの全てだから」
「珊瑚」
「いつでもそれだけを意識して。一度や二度、浮気されても、法師さまが無事でいてくれたら、あたしはそれでいい」
「珊瑚らしくない弱気な言葉だな」
 己の手を握る娘の手に、もう片方の手を添えて、弥勒は珊瑚の手を握り返した。
「私が求めるのはおまえの笑顔、それだけです。ですから、珊瑚を泣かせるようなことをするつもりはありません。おまえには、いつも笑っていてほしい」
「法師さま……」
 微笑もうとする珊瑚の睫毛に新たな雫が宿りそうで、照れ隠しもあり、弥勒はわざと悪戯っぽくねだってみた。
「あと、膝枕をお願いできますか? まだ少し、ふらつくので」
 恥ずかしそうに、珊瑚はほんのり頬を染める。
「……うん。いいよ。もう少し横になっていたほうがいい」
 先程の妖怪の襲撃が嘘のような静けさだ。
 身を横たえ、弥勒は珊瑚の膝に頭をのせる。
 どこか甘やかな雰囲気の中、仲間たちが戻るまで、二人は言葉少なにそのままでいた。

〔了〕

2014.2.2.

タイトルは、アンドリュー・ロイド=ウェバーの「オペラ座の怪人」のナンバーから。