恋草
その日、近くに市が立つということで、犬夜叉たちの一行はその場所を訪れていた。
日常のこまごまとしたものを調達に、また、闘いの合い間の息抜きとして。
それぞれが思い思いに別行動をしている中、ささやかな買い物をすませた珊瑚は、人込みの中に法師の姿を探しつつ、市を見物していた。
珊瑚はふと、人だかりのない店を見つけ、そちらへ行った。
日常品を扱う店ではなく、そこには何体かの木の仏像が並べられていた。
珊瑚は飛来骨を傍らに下ろし、無言でその店の前にしゃがむ。
売り主の若い男が珍しげに飛来骨を一瞥し、彼女を見た。
「御守りにどう? 小さいのもあるよ」
「うん……でも、あたし、あんまり自由になるお金がなくて」
「いいさ、冷やかしでも。全く人がいない店より、少しは客寄せの効果がある」
買う気がないことをあっけらかんと指摘されて、珊瑚は少し頬を赤らめた。
「……あの、これみんな、自分で?」
「ああ。一人前の仏師になるために修行している。たまに腕試しっていうか、こうして仏像を売ったりしてるんだ」
仏師は退屈しのぎに珊瑚を相手に話を始めた。
「押し売りする気はないが、もし、あんたが持つんなら、そうだな。この観音像なんかどうだい?」
だが、娘は別のものを目で探していた。
「あの、これ……」
「ん、ああ。弥勒菩薩の半跏思惟像か」
「これ……がいいな、あたし」
弥勒仏を見つめる娘の恋するような眼差しに、仏師はどきりとする。
娘がとても美しいことを今さらながらに意識した。
どうせ、売れないだろうから、この弥勒仏を娘にあげてしまおうか。
そうしたら、彼女の名を尋ねても変に思われないだろうか。
そんなふうに逡巡していると、
「珊瑚」
向こうから投げかけられた声に娘が振り返った。
「道草してないで、そろそろ行きますよ」
小猫を肩に乗せた涼やかな青年法師が人込みをかき分けてやってくる。
「いま行く、法師さま」
珊瑚と呼ばれた娘は立ち上がって応じ、仏師に視線を戻した。
「邪魔しちゃってごめん。連れが呼んでるから行くね」
「ああ」
少し名残惜しい気もしたが、なるほど、法師の連れだから仏像に興味があるのかと合点した。
そうしているうちに、法師が娘のすぐそばまでやってきた。
「ほう、仏像ですか。このような品も売られているんですな」
興味を引かれたように売り物の仏像へと視線を向ける。
珊瑚は少し慌てたように彼の袖を引っ張った。
「急ぐんだろ? 行くよ、法師さま」
だが、仏師がすかさず営業用の笑みでにっこりと言った。
「いかがです? お連れさんはこれに興味をお示しでしたが」
「ほう?」
仏師が示した仏像を見て、一瞬眼を見張った法師はにやりとして珊瑚を見た。
彼女は頬を朱に染めて彼の視線をさけている。
「買ってあげましょうか、珊瑚?」
「ごめんなさい、本当に手持ちに余裕がないんだ。見せてもらってありがとう」
仏師に向かって早口に言い、飛来骨を持ち上げて、珊瑚は法師を強引にそこから連れていこうとした。
そのとき、小さな男の子が遠くからこちらに向かって大声で叫ぶのが見えた。
「弥勒ー、珊瑚ー、置いていくぞー!」
ふと娘が身を硬くする。
娘の名が、確か珊瑚。
すると、弥勒というのは……
仏師と目が合った珊瑚は、真っ赤になって法師の腕を引っ張った。
丁寧に会釈し、娘と一緒に男の子のほうへ歩き出す法師を見て、仏師はあの娘が弥勒仏にこだわったわけを悟った。
仏師は自分で彫った弥勒菩薩を手に取って、菩薩のやさしい顔を眺める。
(ひとつ、あげればよかったな)
娘の恋を応援するために。
萌え出ずる彼女の恋に思いを馳せていると、すぐそこまで来ている春を感じた。
〔了〕
2012.2.16.