恋する右手
夢心の寺の奥、薄暗い物置部屋の中で、珊瑚は棚の上を覗いて探し物をしていた。
旅の途中、近くを通ったので、弥勒と一緒に夢心の様子を見に寺を訪れたのだが、この際とばかりにあれこれ用事を言いつけられ、弥勒と寺の雑用を務める破目になった。
庫裏にもうひとつ壺が欲しいと夢心が言い、物置部屋から適当な大きさの壺を探してくるようにと頼まれて、珊瑚は今、ここにいる。
「珊瑚ー?」
物置部屋の前までやってきた法師がひょいと中を覗き込み、声を掛けた。
「手間をとらせてすみません。入り用の壺は庫裏の隅から見つかったとのことで、こちらはもういいそうですよ」
だが、返事はない。
「珊瑚?」
弥勒が中へ入ると、奥のほうで踏み台に乗った珊瑚が、両手を伸ばし、棚の上の重い壺を手に取ろうとしているところだった。
「もう少し……」
光の入りにくい物置の奥はさらに薄暗い。
踏み台の上で背伸びをして、珊瑚は意識を棚の上に集中させていた。
「珊瑚」
「ちょっと待って、法師さま」
「……」
珊瑚に近づいた弥勒がふと見遣ると、ちょうど彼女の胸の辺りが、彼の視線と同じ高さにあった。
両手を上へ伸ばしている娘の胸から下は完全に無防備だ。
つい、しげしげとふくらみの辺りを見つめてしまった。
「んっ……」
棚の上の壺を引き寄せる珊瑚の声がひどく色っぽく聞こえ、弥勒はどきりとする。
視線を逸らせるために珊瑚の背後へ廻ったが、そうすると、今度はいつもより高い位置に尻があることに気がついた。
これはもう条件反射というべきか。
「……っ!」
後ろから無遠慮に尻を撫でられて、硬直した珊瑚は手を滑らせ、壺を取り落とした。
壺の割れる派手な音が響く。
「法師さまっ!」
振り向いた途端、バランスを崩して踏み台から落ちそうになった珊瑚を、下にいた弥勒が抱きとめた。
「怪我はないですか。危ないですよ」
「誰のせいだと思ってんの!」
「すみません。でも、私の右手は呪われているので、どうしようもないんです」
「そんな呪いじゃなかっただろ?」
怒りと羞恥で真っ赤になった珊瑚が下から法師の顔を睨んだ。
「そんな呪い、聞いたこともない。どうして法師さまは、いつもいつもお尻ばかり触るの!」
「あ、他の場所なら構いませんか? たとえば」
彼女を抱きとめたままの体勢でいた弥勒の手が、珊瑚の太腿をなぞるように動いた。
「やっ! そこも駄目っ」
「では、上半身ならいいですか?」
迫る法師からじりじりと後退さっていると、いつの間にか物置部屋の隅に追いつめられ、珊瑚の背が壁に当たった。娘を追いつめた弥勒は温和に彼女を見つめている。
「む、胸も駄目だからね」
「どこならいいんです?」
背の高い彼が身体をかぶせるようにして彼女の顔を覗き込み、逃げ場を失った珊瑚は狼狽して視線を泳がせた。
「もっと上ですか? 髪とか」
「っ!」
彼の右手が髪を撫でる。
「頬とか」
その手が頬に下りてきた。
「額?」
顔を寄せた彼がそっと額を合わせた。
珊瑚は壊れそうな心臓の音にひたすら耐え、ぎゅっと眼をつぶって斜めに顔をうつむかせた。
「それとも」
甘い声とともに弥勒の指が珊瑚の顎にかかる。
「どこがいい? 私が触れてもいい場所を、珊瑚が決めてください」
からかわれているのは解っている。
でも、速すぎる鼓動が治まらない。胸が苦しくて、頬が熱くて。
くらくらして、何が何だか解らないまま、珊瑚は自分の顎に触れている弥勒の右手を掴んだ。
「う、腕っ! 肩から先。肩とか腕とか手とか。そこなら、自由に触ってもいい!」
少し上擦った声で叫ぶように言い、珊瑚は弥勒の右腕を力一杯抱きしめた。
「!」
その不意打ちに弥勒が息を呑む。
「珊瑚……」
うつむいたまま、珊瑚は朱に染まった顔を弥勒から逸らして、彼の腕を放した。
そして、すたすたと物置部屋から出ていこうとした。
「珊瑚! あの、怒ったんですか……?」
扉のところで一旦足を止めると、彼女はやはり上擦った声のまま、法師を見ずに答えた。
「壺を割ったのは連帯責任だからね。箒を借りてくるから、法師さまはここで待ってて。後始末、手伝って」
それだけ言って、珊瑚は行ってしまった。
「……」
残された弥勒はふらりと壁に背をついた。
抱きしめられた右腕を、右手を見遣る。
珊瑚を困らせて、恥じらう様子を楽しむつもりが、逆に心臓を鷲掴みにされてしまった。
(なんで、あんな初心で純情な娘に、おれはいつもいつも振り廻されるんだ)
片手で顔を押さえ、熱いため息を洩らす。
珊瑚が戻ってくる前にこの鼓動と熱を何とかしなければ。
彼女との恋において、常に優位に立ちたい弥勒は、とにかく涼しい顔を取り繕うべく、急ぎ、呼吸を整えた。
〔了〕
2013.3.25.