初詣で編
待ち合わせの時間よりだいぶ早いが、目的地へ向かって、弥勒はゆったりと歩を進めていた。
「あの鳥居のとこに立ってた娘、すげえ綺麗だったよな」
「高校生くらいかな」
すれ違った大学生らしき数人の男たちの会話がなんとなく耳に入る。
そんなに綺麗な娘がいるのか。
少し興味をそそられたが、今日は珊瑚との初デートである。
同じ高校の二年後輩の珊瑚とは、去年のクリスマスからつきあい始めたばかりだ。
余所見をして、初めてのデートの日から彼女を怒らせるのはまずいだろう。
元旦の午後、初詣を約束している珊瑚との待ち合わせの神社へ向かってのんびりと歩いていた弥勒は、目的地の神社の鳥居が見えてきたとき、思わず足を止めて眼を見張った。
視線の先には振袖姿の珊瑚がいた。
初詣に訪れた周囲の人々の視線がちらちらと注がれていることなど全く気づいていないらしい。
緊張しきった面持ちで両手にさげた小さなシェル型のバッグに視線を落としている。
弥勒でさえ一瞬誰か判らなかったほど、その姿は華やかで美しかった。
(なるほど。先ほどの大学生が言っていたのは、珊瑚のことだったのか)
ふと顔を上げた珊瑚の瞳が弥勒の姿を捉え、彼女はほっとしたように、嬉しさと気恥ずかしさがない交ぜになったような微笑を浮かべた。
「あけましておめでとうございます、珊瑚」
近づいていった弥勒が穏やかに声をかけると、はにかんだように珊瑚も答える。
「おめでとうございます。今年もよろしくね、先輩」
すぐにうつむいてしまった珊瑚の様子に眼を細め、弥勒は改めて彼女を見つめた。
落ち着いた深みのある赤に抽象的な花が散りばめられた辻が花がとてもよく似合っている。
髪も綺麗に結い上げられ、華美にならない程度に飾りが挿してあった。
「ところで、気づいてないでしょう。みんながおまえを見ていますよ」
「えっ……? あたし、そんなに変っ?」
あたふたと両手をあげて長い袂に目を落とす珊瑚の様子に、弥勒は困ったように吐息を洩らし、ふっと笑った。
「そうじゃなくて。とても綺麗だからですよ、珊瑚」
その言葉に珊瑚の眼が大きく見開かれ、頬が桜色に染まる。
「弥勒先輩は、あの、こういうの好き?」
「もちろん。よく似合っていますし、美しい珊瑚は大好きです」
珊瑚は恥ずかしそうに微笑んだ。
弥勒に見せるために時間をかけて仕度した努力はそのひと言で報われた。
「それにしても、いつからここに立っていたんです? 待ち合わせの時間にはだいぶ早いが」
「早く仕度ができたから……早く来すぎちゃった……」
「で、何人の男に声をかけられたんですか?」
ちらっと弥勒を見て、珊瑚はふるふると首を横に振った。
──かなり早くから来て、声をかけられていたのだな。
そんな彼女をいじらしく思う反面、人目を惹く姿で長時間待たせていたことを弥勒は少し反省した。
(しかし、私もかなり早く着いたんですがねぇ……)
苦笑する弥勒とはにかむ珊瑚。そんな二人は並んで神社の鳥居をくぐった。
拝殿まで辿りつくと、一礼し、まず弥勒が鈴を鳴らし、賽銭を入れた。
続いて珊瑚が鈴を鳴らし、賽銭を入れるのを待って、二礼してから二人は同時に拍手を打ち、両手を合わせて祈念した。
少しして顔を上げた弥勒が隣の珊瑚へ目を向けると、神妙に手を合わせていた珊瑚も眼を開けて顔を上げた。
「珊瑚は何をお願いしたんですか?」
「……内緒だよ。先輩は?」
「私ですか? 珊瑚が浮気しませんように、と」
悪戯っぽい笑みを見せると、珊瑚はややむっとしたような表情になる。
「それは先輩のほうだろ? あたしはそんなことしないよ」
「ということは、珊瑚の願い事はそれですか」
からかう弥勒に対し、珊瑚は少し考えるような顔をした。
──いつまでも先輩と一緒にいられますように──
そんな願いをかけたのは、あたしだけの秘密。
「ふふ、まあね。でも、浮気さえしなければ、先輩は女好きだけどいい人だから」
「……フォローになってませんよ」
慌てて珊瑚が口許を押さえるのを微笑ましく瞳に映し、弥勒はくすりと笑って右手を差し出した。
「珊瑚、手を」
「手……?」
戸惑う珊瑚の手を弥勒は素早く握る。
「少しは浮気防止になるかもしれませんよ?」
珊瑚はさっと顔を赤らめたが、おとなしく左手を弥勒に預けた。
「手、冷えてるな」
「あ、冷たい? ごめん。振袖に合う手袋がなかったから」
申し訳なさそうな顔になった珊瑚は手を引っ込めようとしたが、弥勒はその手をぎゅっと握って自分のほうへ引いた。
「今日は私がおまえを待たせてしまったからな」
弥勒に告白されたイブの夜のことを思い出し、珊瑚の唇が幸せそうに弧を描いた。
手を繋いだ初々しい高校生のカップルを、すれ違う人々が微笑ましげに振り返る。
珊瑚は絵に描いたように美しく、カジュアルなダッフルコートの弥勒もそれに負けてはいない。
傍目にも似合いの二人だった。
神社の参道を並んで歩きながら、珊瑚はちらちらと弥勒のほうを盗み見ている。
「ねえ、弥勒先輩。今日これからどうするの?」
「そうですな。とりあえずどこかでお茶でも飲んで──珊瑚は行きたいところとかありますか?」
「先輩に任せるよ。ただ、帰りにうちに寄ってほしいんだけど……」
「おまえの家に?」
「うん……あの、うち母親がいないから、おせち、あたしが作ったんだ。先輩にも食べてほしいかな、なんて思って……」
「おまえが作ったおせちを?」
軽く眼を見張った弥勒は、すぐに嬉しげに破顔した。
「もちろん行きますよ。こんなに早く珊瑚の手料理が食べられるとは」
「よかった」
珊瑚は弥勒から視線をそらし、控えめに微笑んだ。
「ところで、今日、お父さんはご在宅なのですか?」
「あ、うん。友達を連れてくるかもしれないって言ってある」
「……“ともだち”?」
不意に足を止め、弥勒は思いきり不満そうに珊瑚を見下ろした。
「男を連れ帰って、おまえ、お父さんに私をなんて紹介するつもりですか」
「え? ええと……学校の先輩、って」
弥勒は大仰にため息をついた。
「彼氏とは紹介してもらえないんですね」
「え、だって──まだ恥ずかしいし……」
「まあいいです。おまえのご家族には、できるだけいい印象を持ってもらわねばなりませんし」
「うん、そうだね……?」
不思議そうに、一週間前に恋人になったばかりの男を窺うように見遣る珊瑚の顔を、弥勒は含みを持たせた人の悪い笑みで見返した。
「いずれ、お嬢さんをくださいと言ったときに、断られては困りますから」
珊瑚が眼を剥く。
「なっ、何の話……?」
「四年ほど先の話ですかね」
冗談なのか本気なのか、わざとらしく空を仰いだ弥勒がうそぶく。
「では、おまえの家に行く前に少し歩きましょうか。美しいおまえを見せびらかしたい。それから、カフェで温かいものでも」
火照る頬を押さえ、珊瑚はうつむいた。
──先輩が綺麗って言ってくれたから、それだけで充分なんだけど。
今年はとってもいい年になりそうな気がする。
この人と一緒にいられるだけで幸せな気分になれる。
繋いだ手が軽く引かれ、彼のほうを見ると、大好きな笑顔が自分へと向けられていた。
Fin.
2010.1.1.