My Sweet Valentine 3
風邪見舞い編
ぼんやりする頭でぼうっと天井を眺めていると、玄関のほうで、がちゃがちゃと鍵を開ける音がした。
ワンルームのマンションの自室でベッドに横になっていた珊瑚は、こほ、と小さく咳をする。
すぐに、合鍵を使って入ってきた人物が、部屋の扉を開けた。
「珊瑚、大丈夫か」
「弥勒先輩」
荷物を置き、ベッドの傍らに膝をつく。
「メール、見ました。夕べから具合が悪いそうですね」
「うん。ごめんね」
本来ならば、この日は二人でドライブに行く予定だった。
珊瑚は昨日から風邪気味だったのだが、ひと晩寝れば治ると楽観した結果がこれだ。
「……ほんとにごめん。楽しみにしてたのに」
「ドライブなんていつでも行けます。それより、おまえの身体のほうが心配です」
弥勒は彼女の額に掌をあて、熱を確認した。
「昨日のうちに知らせてくれれば、泊まりで看病に来たのに」
「だって、先輩、仕事で疲れてるだろうし」
二人は中学からの先輩後輩の間柄だったが、珊瑚がまだ学生であるのに対し、弥勒は社会人一年目。そんな彼を気遣って、珊瑚は必要以上の電話やメールを遠慮してしまうことが多い。
「病人はそんな気遣いしなくていいですよ」
弥勒は自分の荷物をたぐりよせた。
「薬は飲みましたか?」
「ううん」
「そんなことだろうと思って買ってきました」
小さな紙袋を開けて、彼は風邪薬を取り出した。
キッチンでホットミルクを作り、珊瑚が飲み終わるのを待ってから、コップに水を汲み、買ってきた錠剤を飲ませる。
そして、彼女を横たわらせて、冷却シートを額に貼る。
頼りなげな視線をやさしく見返し、弥勒は彼女を安心させるように微笑んでみせた。
「どうせ、何も食べていないんでしょう」
冷蔵庫に冷やご飯があることを確認して、彼は珊瑚を振り返り、
「白粥と卵粥とミルク粥、どれがいいですか?」
と訊いた。
「……たまご」
珊瑚もおとなしく答える。
(こんなときくらい、甘えたっていいよね)
弥勒は微笑して、調理に取りかかった。
程なく、卵粥を珊瑚のベッドまで運んできた弥勒は、スプーンを持って、にっこりと言った。
「あーんしてください」
「……自分で食べる」
楽しそうな弥勒を軽く睨み、珊瑚はベッドの上に上体を起こした。
熱でだるいけれど、食べられないことはない。
膝にトレイごと粥の茶碗を置き、珊瑚はスプーンで彼の作った卵粥を少しずつ口に運んだ。
「美味しい」
「味が判るならよかった」
「……こういうシチュエーション、あたしがやりたかったのに」
「シチュエーション?」
弥勒がわずかに眉を上げる。
「そう。風邪ひいたときに献身的に看病するの」
「今やってるじゃないですか」
「先輩じゃなくてあたしが! 風邪ひいた先輩の部屋を訪ねてお粥作ったり、洗濯したり……」
「あ、洗濯物、たまってるんですか? 洗いましょうか」
「いらん! っていうか、たまってないっ!」
こほんこほんと珊瑚が咳き込んだので、弥勒は慌てて彼女の背をさすった。
「ありがと、大丈夫。……それに、料理だって弥勒先輩のほうが上手いんだもん」
珊瑚は小さくつぶやいて、粥をすくったスプーンを口に入れる。
「私は珊瑚の手料理のほうが好きですよ。でも、粥はまだ作ってもらったことがなかったな」
「やだ、比べられちゃう」
弥勒は愛しそうに、ゆっくり粥を食べる珊瑚を眺めた。
「そういう機会はこれからありますよ。楽しみにしてます」
「楽しみにされても困るけど」
苦笑する珊瑚から、弥勒は空になった食器を受け取った。
「食べたら眠りなさい。そろそろ薬が効いてくるでしょう。今日、私はここに泊まりますから」
「せっかくの休みなのに悪いよ。あたしは薬飲んで寝てるから、先輩は遊びに行っていいよ」
「いえ、ちょうど読みたい本があるので、ここで読ませてもらいます。それに」
と、弥勒は食器をのせたトレイを持って立ち上がった。
「未来の奥さんを放ってはおけません」
風邪の熱以上に頬が熱くなり、珊瑚は掛け布団を顎まで引き上げた。
狭い部屋の中にずっと弥勒がいるのだと思うと、胸の高鳴りが治まらず、眠るどころではないと思ったが、徐々に薬が効いて、やがて珊瑚は眠りに落ちた。
翌朝、ふと目覚めると、気分はかなりすっきりしていた。
傍らには、文庫本を手に、ベッドに突っ伏して眠る弥勒の姿がある。
(ずっとついててくれたんだ)
そっと手を伸ばし、彼の前髪に触れてみた。
規則正しい寝息が聞こえる。
珊瑚は微笑した。
(大好き、先輩)
彼が目覚めるまで、もう少し微睡んでいよう。
このお礼は何にしようと考えながら、珊瑚はもう一度、瞼を閉じた。
Fin.
2010.10.22.