梅が枝

 弥勒・珊瑚夫妻が、酒やその他の土産を持って、久しぶりに夢心の寺を訪ねると、寺には夢心以外の人物がいた。
「集真さま」
 珊瑚が嬉しさの混じった驚きの声を上げる。
「よう、弥勒。妻女どの、久しぶりだな」
 集真という法衣姿のその人物は、ともに夢心に学んだという、弥勒の兄弟弟子である。
 だが、昔馴染みの顔が見られたことよりも、彼の興味が己の妻に向けられていることが気になる弥勒は、素直に再会を喜べないようだ。
「この前、夢心さまの寺で会おうとは言ったが、ここにいるのなら、文くらいよこせ。おまえがいるとは知らなかった」
「うっかりしてた。まあ、行き違いにはならなかったし」
「……文をよこしていたら、珊瑚は置いてきた」
「法師さまったら」
 駄々を捏ねるような弥勒の物言いに、珊瑚はとりなすように夫の腕に手をかけた。
「法師さまは夢心さまの寺に来ると、急に子供っぽくなるね。あたしは集真さまとまた会えて嬉しいよ」
「おれもだ。弥勒よりも妻女どのと気が合うようだしな」
 珊瑚のほうへ集真が一歩近づいたので、彼が珊瑚の手でも握りはしないかと弥勒は身構えたが、集真はあくまでも穏やかに、兄弟子の妻に笑いかけた。
「弥勒、来ておるのか?」
「あ、はい、夢心さま」
 奥から夢心和尚の声が聞こえ、弥勒は慌ててそちらへ返事をした。
「夢心さまへ土産を渡し、挨拶をしてきます。話はそれからだ、集真」
 夢心に挨拶するために弥勒が寺の奥へ向かうと、
「妻女どの、こっちだ」
「えっ?」
 その隙に、素早く集真は珊瑚の手を取った。
「あたしも夢心さまに挨拶……」
「あとでいいよ。弥勒に邪魔される前に、見せたいものがある」
 手を引かれ、外へ出る。
 裏山の雑木林の中に入って少し行くと、一本の木の前で、集真は彼女の手を放し、足をとめた。
「これ」
 野梅だ。
 蕾が膨らみかけている。
「見せたいものって、これ?」
「ああ。あんたみたいだろ? 初めてあんたに会ったとき、梅の花を連想した」
 先日、ふらりと夢心の寺を訪れ、山駆けをしていたときに、この梅の木を見つけた。
 花芽に気づき、兄弟子の妻のことが思い出され、しばらくこの寺に滞在していたのだ。
 珊瑚は瞳を瞬かせ、ほんのり頬を染めて、花咲くように微笑んだ。
「法師さまにも同じようなことを言われたことがある。なんか、くすぐったいね」
「弥勒に?」
「うん。こんなところに梅の木があったんだね。これが咲いた頃、また見に来たいな」
 梅の蕾を見つめる珊瑚の横顔がまぶしい。
「妻女どの」
「珊瑚でいいよ。やっぱり、妻女どのなんて他人行儀だし、たいそうな響きだし」
「そういえば、妻女どの──珊瑚は、何故、弥勒のことを法師さまと呼ぶんだ?」
「えっ」
「おれも法師だが、普通は亭主のほうを名前で呼んで、初めて会ったおれを法師と呼ぶものじゃねえか?」
「だ、だって。法師さまは、法師さまとして出逢って、そのまま呼び方が定着してしまったから……」
 困ったように、けれど、珊瑚は明瞭に答えた。
「集真さまも法師さまだけど、あたしにとって“法師さま”は、この世でただ一人なんだ」
 珊瑚は恥ずかしそうに集真から視線を逸らせた。
 ほんのりと頬を染める珊瑚を見て、集真はやれやれというように吐息を洩らした。
「弥勒のほうがあんたに参ってるのかと思ってたが、あんたも相当、弥勒にべた惚れなんだな」
「やだ。そんなつもりじゃ」
「当ててみようか。珊瑚は弥勒が初恋だろ」
「そ、そうだけど、べた惚れなのは法師さまだからで、初恋とは関係ない」
 つい、認めてしまった珊瑚の初心な様子に、集真は可笑しそうに笑い出した。
「敵わねえな。まあ、弥勒はおれの恩人でもあるし、あいつに不義理はできねえよ」
「妖怪から救ってもらったことがあるの?」
「いや。博打に負けて命まで取られそうになったときや、別れ話で女と揉めたときなんか、随分助けてもらった」
「……はあ」
 弥勒らしいというか、法師らしくないというか、珊瑚は呆れ顔で苦笑した。
 そうして、珊瑚が集真と一緒に梅の蕾を眺めていると、息を切らせて弥勒が二人を追ってきた。
「集真! ったく、油断も隙もねえ。また、珊瑚を連れ出しやがって!」
「またって何だ。連れ出したのはこれが初めてだぞ?」
 弥勒は珊瑚の両肩に手をかけ、彼女の顔を覗き込んだ。
「手を握られたり、肩を抱かれたりしませんでしたか? まさか、尻を撫でられたりなど……!」
「大丈夫だよ。野梅の蕾を見せてもらっただけ。法師さまが言うほど、女に見境ない人には見えないよ」
「……野梅? 下心が見え隠れしている気がするが」
 仮に申し分なく振る舞われたとしても、それはそれで不安な気がする。だが、
「安心しろ、弥勒。妻女どのはおまえしか見てねえよ。惚気を聞かされちまった」
「え……」
「集真さま!」
 集真の言葉に眼を見張った。
「手折らず、眺めているだけだ。それが一番いい。妻女どののためにな。先に戻ってるぞ」
 そう言って、軽く手を振り、集真は踵を返した。
「あいつ……! やっぱり油断ならん」
「集真さまは法師さまが好きなんだよ。法師さまだって、夢心さまや集真さまの前だと素に戻るし、ちょっと羨ましい」
「それとこれとは……」
 珊瑚は弥勒の腕に自分の腕を絡ませた。
「この梅が咲く頃、二人で見に来れたらいいね」
「あ、ああ」
 さらに肩に頭を寄せられて、弥勒もやっと表情を緩めた。
 彼女は弥勒しか見ていないと集真も言った。
 横恋慕への焦りも、珊瑚の言葉や仕草が己に向けられることで、和らいでしまった。
 これも惚れた弱みだろうか。
 師と弟弟子と、今宵は落ち着いて酒が呑めそうだと、梅の蕾を見つめる珊瑚を眺め、弥勒はふっと微笑んだ。

〔了〕

2013.1.7.

ご要望がありましたので、弥勒の昔馴染み再び。
ありがとうございました。