深山に眠る
春とはいえ、山の水はまだ冷たい。
夢心の寺の裏の滝に打たれていた弥勒は、滝行を終えると、座っていた岩の上から降り、強張った身体をゆっくりとほぐすようにして岸まで歩いた。
夢心和尚は珍しく寺を留守にしており、帰ってくるのは明日だという。
弥勒は、新妻の珊瑚と、その留守を預かっていた。
「ふう」
身の引き締まる冷たさの滝壺から地面に上がった彼は、髪から顔へと滴る水を振り払い、前髪をかきあげた。
陽射しは暖かだが、大気はまだどこか冷たい。
「法師さま」
頃合いを見計らってやってきた珊瑚が夫に声をかけると、彼は顔を上げて微笑した。
「寒い?」
「いえ、肌が麻痺してしまって、冷たさはもう感じません」
「痛い?」
「修行ですから。でも──」
弥勒は近寄ってきた妻へと手を伸ばした。
「珊瑚が温めてくれますか?」
濡れそぼった白衣が彼の肌に貼りついて、その肌が透けて見える。
一瞬、眼を伏せた珊瑚はやや頬を上気させ、手にした二枚の白帷子をかかげてみせた。
「着替え用と身体を拭くのと、二枚、帷子を持ってきた。あの、あたしが拭いてあげようか?」
「解ってないな」
法師は、彼の顔を窺うように下から見上げてくる珊瑚の顎に手を掛け、その唇を奪う。
「っ、冷た……」
「じかに温めてください。おまえのぬくもりが欲しいんですよ」
彼女の肩を抱き寄せ、再び口づけようとした弥勒は、すぐにはっと彼女の衣から手を放した。
「悪い。珊瑚が濡れる」
離れようとする弥勒の手を珊瑚が掴んだ。
「いいよ、濡れても」
そっと眼を閉じる様子が可憐だった。
法師は彼女の衣には触れないよう、両手で珊瑚の頬を包み、ゆっくりと深く口づけを交わす。
「……法師さま、両手が冷え切ってる。早く着替えて?」
長い口づけを終えて眼を合わせると、幾分はにかんだように珊瑚が言い、彼の白衣に手を掛けた。
彼に背中を向かせ、濡れた白衣を脱がせ、乾いた帷子を着せて、水分を吸い取る。
そのまま、彼女が後ろから彼を抱きしめてきたので、彼は愛おしげに頬をゆるめた。
「温かい?」
「ああ」
「じゃあ、もう一枚に着替えて」
弥勒は言われるままに身体を拭いた帷子を脱ぎ捨て、新しい白帷子に手を通した。
そして、改めて妻の身体を引き寄せる。
「珊瑚、こちらへ」
「まだ寒い?」
「いや。口づけだけじゃ足りないので」
抱き寄せた妻の腰から褶を外し、帯を解こうとする法師の手を珊瑚の手がぴしゃりと叩いた。
「そんなの修行の直後にすることじゃないだろ?」
「私たちは正式な夫婦なんですから、何も間違ったことはしていません」
「え? でもさ……」
夫を見上げるとそのまま唇を奪われる。
反論する暇もなく、珊瑚は小袖を脱がされた。
山の岩肌に囲まれた滝壺のそば、立ったまま抱き合い、互いに唇を求め合う。
弥勒の手が、何度も肌小袖越しに珊瑚の背を這った。
太陽はまだ高く、聞こえるのは滝壺に落ちる滝の音だけだ。
いつの間にか、珊瑚は冷たいと思っていた弥勒の手や肌の感触が気にならなくなっていた。
それほどに彼女の肌は熱を帯びている。
「んん……っ」
抱き合っているというより、弥勒が珊瑚を抱きすくめ、一方的に愛撫を加えている。
かろうじて彼女がまとっている肌小袖も、すでに帯が解かれ、はだけた合わせから、すぐに彼の手が侵入してきた。
「やっぱり、法師さま、こんなところじゃ……」
「でも、やめてほしくはないでしょう?」
低く、甘く、からかうように耳元にささやかれ、珊瑚は羞恥に弥勒を軽く睨んだ。
そんな、珊瑚の耐えている様がさらに弥勒を昂らせる。
執拗に肌をまさぐられる感覚に、熱い吐息を洩らす珊瑚は、力の入らない足の代わりに必死に両手で弥勒にしがみついた。
眼を閉じると、瞼の向こうの光に眩暈を覚えた。
「法師さま……ほう、し……あっ!」
乳房を掴まれ、珊瑚は思わず声を洩らした。
唇や首筋や胸元に、法師の口づけが降り注ぐ。
彼女は悩ましげに首を振った。
「や、無理──」
「無理かどうか、試してみましょうか」
自らも白帷子を羽織っただけの姿で、弥勒が妻の耳に掠れた声でささやいた。
そして、濡れた髪を束ねている元結いを片手で解く。
頭を振って水滴を飛ばすと、唇を彼女の首筋から胸元に移動させ、豊かなふくらみをじかに舌と唇で弄んだ。
法師の熱を感じる。
「んっ……んん」
抱きすくめられ、珊瑚に逃げ場はない。
気がついたら、背中をごつごつとした岩壁に押し付けられていた。
「珊瑚、こちらを向いて」
唇に吸い付かれ、珊瑚は呻く。
すぐに舌をからめとられ、乳房をまさぐっていた彼の手が彼女の太腿へ下り、さらに足のあわいへと忍び込んでいく。
珊瑚の躰がびくりと跳ねた。
「あっ!」
「足を……」
珊瑚の足許に膝をついた弥勒は、彼女の片足を軽く持ち上げ、花芯を舌でなぶり始める。
たまらない快感に震え、珊瑚は必死に声をこらえながら弥勒の頭を押さえていた。
「駄目、法師さま。もう、立ってられない……」
涙まじりに訴える珊瑚のくずおれそうな肢体を弥勒はしっかりと受け止め、持ち上げて支える。
そして珊瑚は、岩壁を背に立ったまま、片方の膝裏に手を掛けられ、片足を大きく持ち上げられて悲鳴を上げた。
「やあっ! いや! こんなの恥ずかしい」
「見ている者などいません」
「そういう問題じゃない!」
「私がこうしたいのだと言っても?」
惚れた弱みというべきか、切なげに弥勒に眉をひそめられると、珊瑚は弱い。
「でも、こんな体勢じゃ……」
「これだけ濡れているんですから、大丈夫です」
羞恥にかっと全身が熱くなる。
けれど、珊瑚が何か言う前に、濡れそぼったそこに彼自身があてがわれ、貫かれるその快感に、珊瑚は大きな嬌声を上げて弥勒にしがみついた。
陽光がきらめく。
激しく揺さぶられる。
気が遠くなっていく。乱される、乱される──
「やっ……! もう駄目っ」
「しっかり私に掴まって」
神聖な山に抱かれての行為は、珊瑚に背徳感を抱かせた。
陽光がまぶしく、光の波のような眩暈に翻弄される。
そして、己の体内にいつもより生々しく弥勒を感じた。
「珊瑚──」
「ほ……し、さまっ……」
めまぐるしく押し寄せてくる快楽に、夢中で唇を合わせ、互いに舌を絡め合う。
ひとつに溶け合う感覚をもっと深く味わいたくて、貪欲に貪った。
「あっ、あ──ああっ!」
二人で絶頂を迎えると、全身の力を失った珊瑚は、力強く彼女を抱きしめる弥勒の腕の中に、全てを投げ出すように身を預けた。
脱力して、抱き合ったままその場に座り込んだ二人は、荒い呼吸を繰り返していた。
岩肌にもたれる弥勒に珊瑚は力の入らない身を預け、ぐったりと眼を閉じている。
この山が、たった二人きりの世界のような気がしていた。
「──珊瑚……」
なに? というように彼女が気だるげに眼を開けると、艶めかしい表情の法師が、じっと彼女を見つめていた。
ゆっくりと、厳粛に顔を近づけてくる。
彼女が眼を閉じ、唇が軽く触れ合うと、弥勒はそのまま抱きしめた妻の耳にささやいた。
「どうでした? よかったでしょ? こういうのも」
「……」
艶やかな目付きで、甘い声音でささやかれても、そんなふうに決め付けられては、珊瑚としては雰囲気も何もあったものではない。
彼女は思い切り眉をひそめ、法師の手を抓りあげた。
「そんな言い方、嫌」
さすがの彼も可憐な妻には敵わない。
拗ねた口調になる珊瑚の様子に苦笑して、許しを願うように法師は彼女の目尻に口づけた。
「私はすごくよかったのだが。次は素直に言えるよう、もっと感じさせてあげます」
「……言わない」
「珊瑚。もう一度」
「嫌。訊かないで、そんなこと」
けれど、とりたてて拒むわけでもなく、珊瑚は、自分を抱き直し、唇を寄せてくる弥勒に素直に身を任せ、眼を閉じた。
何度くり返しても、甘露のような口づけはそのたびに二人を夢中にさせた。
そして甘い秘め事は尽きることなく繰り返される。
明るい午後の陽光。
静寂の中、滝の音だけが厳かに鳴り響いていた。
〔了〕
2018.3.6.