相聞歌

 寝物語に訊いてみたいことがあった。
 これが、たとえばかごめや他の娘だったなら、想い人と二人きりのとき、軽い調子で尋ねることができるのだろうが、珊瑚にとっては比較にならぬほどの勇気が要る。

 枕を交わしたあと、うとうとしている弥勒の腕枕でぼんやり彼の顔を見つめていた珊瑚は、この体勢では彼が眠りにくいのではと、そろそろと身体をずらそうとした。
 途端に頭を抱え込まれる。
「なんで離れようとする?」
「え? あ、法師さま、起きてた?」
「たった今、情を交わし合ったばかりだというのに、何を遠慮してるんですか」
「だって重いかなって」
「おまえの重さなんて、心地好いくらいですよ」
 もう片方の手で髪をなぶられ、少しだけ、勇気がわいた。
 今なら訊けるかも。
「法師さま、訊いてもいい?」
「ええ、どうぞ」
 ちょっとした、何でもない戯れのように、けれど全神経をとがらせて、珊瑚はずっと言ってみたかったその言葉を口にする。
「法師さまは、あたしのどこが好き?」
「うん?」
 照れくさげに響いた娘の言葉を聞いて、法師は意外そうに眉を上げた。
 あまり珊瑚らしくない問いかけではあった。しかし、恋をしている娘の問いとしては何ら不思議ではない。
「そうですな。全てが好きという答えではおまえは納得しないでしょうから」
 と前置きをして、彼は少し考えるように言った。
「躰、かな」
「……え……」
 珊瑚の声が強張る。
「躰」
 心臓が凍るような思い。
 それは、彼女の望んでいた答えではなかった。
「法師さま……あたしの躰が目当てだったの……?」
 表情をなくし、消え入りそうな声で言う珊瑚の様子に、法師は、えっという顔をした。
「信じられない……」
 珊瑚は悲愴な面持ちで弥勒を見つめ、固まってしまっている。
 躰が目当てと言った男の腕から抜け出すことすらできずに。
「ちょっ……珊瑚、おい! 泣くな!」
 滅多なことでは涙を見せない珊瑚の顔が泣きそうにゆがんだのを見て、弥勒は慌てて叫んだ。
「私が何か気に障ることでも言ったか?」
「躰が好きって……」
「逆に私がおまえの躰を好きだと言って、何がいけない?」
「女なら誰でもよかったってことだろ? かごめちゃんは犬夜叉が好きで、たまたま身近にいた女があたしだけだったから……」
 弥勒は大きなため息をつき、今にもこぼれそうな珊瑚の眦の雫を、指先でぬぐった。
「何と説明すればいいんだろうな」
 動揺している娘の髪を撫で、落ち着かせるために彼女をきつく抱きしめ、ゆっくり法師は言葉を選んだ。
「たとえば、珊瑚が腕の立つ退治屋だとか、容姿が美しいとか、弟思いだとか、心が強くてまっすぐだとか、やさしいとか純粋だとか、それらは犬夜叉やかごめさまや七宝や、他の者も知っていることでしょう? でも、おまえの躰は、私しか知らない」
 弥勒の言葉に、珊瑚は上目遣いに彼を見る。
「つまり誰もが知っている部分ではなくて、他の者は知らない珊瑚を私だけが知っていることに優越感を覚えるんです。そこが好きというか、嬉しいというか」
 珊瑚は彼の言う意味を心の中で反芻し、顔を赤らめ、彼から視線をそらせて瞳を伏せた。
「あたしの裸なら、温泉に入ったときとか、かごめちゃんも七宝も知ってるよ」
「その身体ではない。解っているくせに」
 甘くささやかれ、ついさっき凍ったはずの心臓が溶けてしまいそうな心地になる。
 では、反対に自分だけが知っている法師の部分ってなんだろう、と珊瑚は考えた。
 躰……はありえない。きっと他のひとも知っている。
 たとえば、そう――
 あたしを見つめる眼差しとか、差し伸べてくれる手とか。
「あたしは……法師さまの、手が好き」
 くすり、と小さく弥勒の肩が揺れた。
「なんで笑うの?」
 怪訝そうに法師を見遣る珊瑚に、彼はからかうように笑みを含ませた声で、
「指で責められるのが好きとは、珊瑚も言うようになりましたな」
「!」
 絶句した珊瑚は驚いて身を起こした。
 刹那、はだけた肌小袖からふるりと豊かなふくらみがこぼれた。
「やっ!」
 もとより帯は法師の手によって解かれ、枕元に投げ捨てられている。
 両方の肩に引っ掛かっていただけの肌小袖は、簡単に片方の肩から滑り落ちた。
 慌てて衣をかき合わせて胸乳を隠し、顔中を朱に染めて珊瑚は弥勒に背を向けた。そして、そろっと振り向く。
「み、見た?」
「もちろん」
 薄闇ではあるが、闇に慣れた眼で至近距離にいる。
 真面目腐ってうなずく弥勒に、珊瑚の顔の熱はますます上がっていく。
「今の、見なかったことにして!」
 恥ずかしさにいたたまれず、彼に背を向けたまま固く己を抱きしめてうつむく珊瑚を見て、弥勒はおもむろに身体を起こした。
「今さら見たからってどうってことないでしょう。明るいところで見たことだってありますし」
「でも! 見られるって解ってて見られるのと、そんなつもりもないのに、いきなり不意打ちで見られちゃうのとでは全然違う」
 ひどく羞恥を覚えている様子の娘を、背後から包み込むように弥勒は抱きしめた。
「他には? 珊瑚は私のどこが好きなんです?」
「……」
「手と、それから?」
 穏やかな彼の声に、ふと気持ちが凪いだ気がした。
「あたしに向けられる視線とか」
 愛しい娘の髪に、弥勒は接吻した。
「おまえは、私との接点を大切に思ってくれてるんですね」
 後ろから抱きしめたまま、小さな顎を指で捉え、珊瑚の顔をこちらに向かせた。
「では唇も好きになってくれますか」
「あ――
 額、瞼、頬、至る所に唇を落とされ、小さくため息がこぼれてしまう。最後に甘く唇を食まれ、うっとりと彼女は眼を閉じた。
 口づけながら、弥勒の手が、胸元を隠した珊瑚の腕を解いて、その下のやわらかなふくらみに触れた。
「んっ」
 彼の手にふくらみを弄ばれ、珊瑚はあえかに声を洩らす。
「おまえは抱き心地がいい」
「……」
 どういう意味だと思っていると、
「抱きしめるのも、躰で繋がるのも」
 低く耳元にささやかれ、ちろりと耳朶を舐められた。
「文字通り、心も躰も離れられなくさせられる」
 罪なおなごですな、とつぶやく弥勒に珊瑚は首を振り、真っ赤になった顔を両手で覆った。
「やっ! そういうこと、真面目に言わないで!」
 彼女が好きだと言った弥勒の手が、彼女の肩から肌小袖を滑らせる。
 衣は肘の辺りまで落ち、露になった華奢な肩を、弥勒の唇がゆっくりと這った。
 時々当たる濡れた舌の感触に彼女の全身の肌が粟立った。
「おまえの躰も、私から離れられなくしてやりたい」
 二の腕を撫でていた手が再び乳房を求め、焦らすようにそのふくらみを揉みしだく。
「あたしはっ! 最初から法師さましか考えられなかった」
「最初?」
 彼の声が意地悪く問う。
「最初とはいつです。初めて躰を重ねたときか? それとも、初めて出逢ったときか?」
 掌で、指先で、愛撫をくり返しながらささやきで酔わせる。
 耳を軽く噛まれ、珊瑚は身をしならせて喘いだ。
「法師さまがそうだと思うほう」
「では、初めて出逢ったときということで」
 とっくに彼から離れられなくなっているのだと珊瑚は思った。
 弥勒のいない世界など考えられない。
 生きるのに大気が必要不可欠であるように、彼女には彼が必要だった。
 肯定の意を込めて、彼女は彼の胸に自らの体重を預けた。
 肌を這う弥勒の手つきが熱っぽくなってきたのを感じ、珊瑚は悩ましく響く声を必死にこらえた。それでも、熱い吐息がこぼれてしまう。
「……あの、もう一度するの?」
「言ったでしょう? 私は“おまえの”躰が好きなのだと」
 それに応えるいとまもなく、彼女は褥へ押し倒された。

〔了〕

2010.6.14.