夜光石
弥勒と夫婦になり、当たり前に肌を合わせるようになって、珊瑚は、毎夜、弥勒が自分を欲しているのか否か、彼の表情や雰囲気だけで察せられるようになった。
その夜、家事を全て終えて珊瑚が寝間へ行くと、延べた夜具の上に白小袖姿の弥勒が徒然そうに座り、彼女を待っていた。
小さな燈台の明かりだけが灯されている。
珊瑚の気配に顔を上げ、弥勒は微かに微笑んだ。
妻を映した彼の瞳は静かで穏やかだったが、珊瑚には彼が自分を求めていることがはっきりと感じ取れ、嬉しくなって微笑みを返した。
「法師さま」
今宵の珊瑚は彼の知らない事実を秘めている。
それを告げたときの彼の驚きを思うと、自然と笑みがこぼれた。
ささやき、彼の傍らへ膝をつこうとすると、弥勒は珊瑚の腰に手を伸ばし、無造作に彼女の下肢を抱き寄せようとした。
「駄目」
中腰のまま、こんな体勢だとバランスを崩してしまう。
悪戯な弥勒の手がどこを這うか判らず、珊瑚はその手を軽くはたき、彼の腕から逃れた。そうして、褶を外そうと腰に手をやりかけたのだが、
「男から脱がす楽しみを奪ってはいけませんよ」
弥勒に手を押さえられ、仄かに頬を染め、彼の腕に身を委ねる。
膝立ちになった珊瑚の褶に彼の手が掛かった。
「ねえ、法師さま」
「何です?」
「話があるんだけど」
「あとで聞きます」
褶が解かれた。
「今、ちゃんと聞いてほしいの」
「枕を交わすよりも大事なことですか?」
帯が解かれた。
「……たぶん」
珊瑚がうなずくと、法師は少しつまらなそうに彼女のはだけた衿元に目をやって、しどけない妻の姿を味わいつつ、しぶしぶと言った。
「聞きますよ。話してごらんなさい」
「うん……」
だが、いざ話そうとすると、なんだか恥ずかしくなり、珊瑚は頬を染めて口をつぐんだ。
上目遣いで夫の顔を窺い、不意に恥じらいを覚え、うつむき、またしばらくして、視線だけで彼の顔を見上げる。
そんなことをくり返すうちにだんだんと弥勒は焦れてきて、彼女との距離をつめ、手を伸ばして彼女の元結いを解いて髪をなぶったり、小袖の下の肌小袖の帯を解き、それを少しずつ引っ張ったりし始めた。
「ちょっと、法師さま。真面目に聞いて」
「おまえこそ、真面目に話す気なんかないでしょう」
なおも甘やかな手つきで小袖を脱がせ、肌小袖の衿をくつろがせ、指を遊ばせるようにして、弥勒は珊瑚の肌をまさぐる。
「ん……」
否応なく甘い声が洩れた。
「珊瑚」
胸が妖しく疼いて落ち着かず、珊瑚はとても集中して話などできない。
「口づけがしたい」
言葉とともに、首筋に吸いつかれ、珊瑚は艶めかしい吐息を洩らした。
いつも彼のいいように振り回されて、悔しくもあるが、蜜のようなこの甘さには逆らえない。
「法師、さま……」
「今すぐ睦み合いたい。話はあとだ」
「待って……」
法師の指に合わせを広げられた肌小袖が珊瑚の肩を滑り落ちていく。
現れた乳房はふくよかでやわらかで、男の劣情を妖しく誘う。
珊瑚はようやく、触れることを許してから話を始めたのは失敗だったと気がついた。
話があると告げてから、距離を保って彼と向かい合うべきだった。
抗う間もなく抱きすくめられ、唇を食まれる。ふくらみを揉みしだかれる。快感に流されていきそうになる。
たちまち躰が熱くなったことに戸惑って、珊瑚は思わず彼の腕から身を引き、顔を背け、落ちた肌小袖を肩に羽織って前を合わせた。
「何か、おまえの心がここにあらずといった感じで、妬けます」
「え……」
「誰のことを考えている?」
「そんなの、法師さま以外になんて」
首を振るが、彼の指摘が決して間違っていないことも事実だ。
「私を見ろ」
困惑したような珊瑚の顎を強引に掴み、弥勒は妻の唇に荒々しく唇を重ねた。
「ん……う」
苦しげに珊瑚が呻く。
珊瑚がぐったりとなるまで口づけを続け、弥勒はやや切なげに吐息とともにささやいた。
「閨では私以外のことを考えるな。おまえだって、私がおまえ以外のおなごのことを考えながら肌を合わせるのは嫌だろう?」
「他の男のことを考えてるわけじゃないよ」
「では、私と肌を合わせるのが嫌なのか?」
珊瑚は恥ずかしげに弥勒から目を逸らせた。
「……嫌じゃない。駄目なときはそう言ってる」
「そういう気分でないのなら、すぐそうさせてあげますから」
「ま、待って」
「まだ焦らすのか? 煽るつもりなら、充分すぎるくらい煽られている。おまえの勝ちだ」
「違うって……ただ話が……」
「これ以上、待てん」
痺れを切らせた彼は実力行使に出た。
彼女を褥に押し倒し、腰から乱暴に湯巻を奪い、躰を開かせ、秘めやかなそこに顔を埋める。
「あっ……」
熱い舌を感じた刹那、腿を掌で探るようになぜられ、珊瑚は大きくのけぞった。
身をよじる。
どうしようもなく翻弄させられる。
やがて、性急に弥勒が躰を繋げようとしたので、珊瑚はかすれた声で懇願した。
「やさしくして」
「いつもやさしいでしょう?」
「それでも。今日はもっとやさしくして」
「努力しますよ。保証はできんがな」
彼に導かれ、快楽に染められていく。
深部で互いを感じ合い、求め合い、すぐに肌が汗ばむほどだった。
* * *
余韻に浸り、呼吸を整えながらじっと眼を閉じていた珊瑚は、ふと瞼の裏に光が射したような気がして、眼を開けた。
燈台の灯はすでに消え、辺りは薄暗い。
「……法師さま、夜光石を見たことがある?」
甘えるように弥勒の裸の胸に頬を寄せ、珊瑚はささやいた。
弥勒は妻を抱き寄せる。
「いや、ないな」
「あたしもない。でも、今、思った。夜光石って、きっとこんな感じ。今、あたしは光を抱いてる気分」
「悪かったな、珊瑚。話を聞こう」
「駄目。もう、あたし……」
けだるげに法師に身を寄せ、つぶやく珊瑚の声には寝息が混じっていた。
「罰だよ、法師さま。あたしを抱いてて。朝までずっと」
「ああ。おまえの光を守っていよう」
二人は固く抱き合い、ひとつ衾に寄り添うように眼を閉じた。
光を孕むのはこんな気持ちだろうか。
月ほどの明るさはないけれど、ほんの少しの光が身体に点った気がする。
微睡みに揺蕩い、弥勒の腕に抱かれながら、珊瑚は己の腹をそっと撫でた。
〔了〕
2012.3.6.