草むらに美しい光が撥ねた。
(これは……)
道から逸れた草の中から、法師はきらきらしたものを拾い上げた。
(何かの宝玉か?)
「法師さま、何してるの? 置いていくよ」
「あ、はい、珊瑚。いま行きます」
弥勒はそれを懐にしまい、彼を待つ珊瑚のもとへ引き返した。
水城の鍵
どうしても受けなければならない補習のため、現代へ帰るかごめと、彼女に同行する犬夜叉を、弥勒と珊瑚と七宝、そして雲母は、井戸のところまで見送りに行った。
その帰り道、ふと、弥勒は懐に入れたままだった美しい欠片を取り出した。
「何じゃ、それは? もしかして、四魂のかけらか?」
弥勒の持つものに気づいた七宝が驚きの声を上げる。
「違いますよ。四魂のかけらではありません」
珊瑚も足を止め、小さな仔狐を抱き上げて、肩の上の猫又も一緒に法師の手許を覗き込んだ。
「昨日、拾ったんです。形が平たいし、色も違うでしょう? 石の花でもなさそうだな。何かの玉かもしれません。大きな町へ行けば、こんな欠片でも、よい値で売れるでしょう」
「売ってしまうのか?」
陽光を受けて真珠色に輝くそれを、七宝は少し残念そうに見つめた。
「実はそろそろ路銀が乏しくなってきているんですよ。犬夜叉とかごめさまを待つ間に、これを売ってこようと思うのですが」
「待ってよ。法師さま、一人で町へ行くつもり?」
珊瑚の眼がわずかに細められた。
「だって、全員で行く必要はないでしょう? おまえたちは休んでいていいですよ」
「とか言って、一人で羽を伸ばしてくる気じゃないの?」
「滅相もありません」
大仰に否定する法師は、真面目腐ってじっと珊瑚の顔を見つめた。
「これを売ってくるだけです。できるだけ高く売るためには、じっくり買い手を探さねばなりません。犬夜叉とかごめさまが戻るのを待っていては、時間が勿体ないでしょう?」
「とにかく駄目。どうしても行くなら、あたしもついていく」
進展のない、いつもの弥勒と珊瑚のやり取りに、珊瑚に抱かれた七宝は控えめにため息を洩らして、彼女の肩の上の雲母と呆れたような視線を交わした。
結局、珊瑚は譲らず、強引に弥勒についてきた。
雲母も一緒だ。
「おまえも疲れているでしょうに。七宝とゆっくり休んでいればいいものを」
「嫌だ」
「心配せずとも、誓って浮気などしませんから」
「法師さまの言葉なんて信じない。それより、法師さまこそ、顔色が悪いよ。別に、その宝玉の欠片をすぐ売らなければならないこともないだろうに」
「珊瑚──!」
出し抜けに立ち止まった弥勒は、振り返り、彼女の手を取って握りしめた。
「もしかして、浮気ではなく、私の体調を心配してついてきてくれたのか?」
「えっ……あの」
法師に手を握られ、瞳を覗き込まれ、珊瑚は恥ずかしそうに赫くなった。
浮気が心配なのはもちろんだが、彼の顔色がよくないことも、事実、気がかりだったのだ。
「法師さま、寝不足?」
「そういえば、夕べは、何故か寝苦しかったな。せっかく、美女に迫られる夢を見たというのに」
「っ!」
途端に険しくなる珊瑚の眼差しを意識して、弥勒はわざとらしく、記憶をたどるような表情を作った。
「抜けるように色が白く、血のように紅い唇をした、まるで大輪の牡丹のような美しい女人でした」
「どこの誰!」
「まあ、落ち着いて。ただの夢です」
「なんでそんなに具体的なの。昔の女?」
怖い顔の珊瑚をからかうように、弥勒は握ったままの彼女の手を持ち上げ、自らの頬に押し当てた。
「知らないおなごでしたよ。おまえが構ってくれないから、あんな欲求不満のような夢を見たのかもしれませんな」
「よっ、欲求不満って、法師さま、夢の中で一体何を……!」
「どうせ、帰るのは明日以降になるのですから、今宵は二人きりでしっぽりと……」
頬をすり寄せた珊瑚の手の甲に、弥勒がちゅっと唇を落とすと、真っ赤になった珊瑚は慌てて手を引き、身を翻した。
「なに馬鹿なこと言ってるんだ!」
背を向けて、足早に歩き出した娘の肩の上の雲母と飛来骨越しに視線が合い、弥勒は悪戯っぽく笑んだ。
宝玉などという品の買い手を探すには、できるだけ大きな町のほうがいい。
変化した雲母に乗った弥勒と珊瑚は、つい先日、楓の村へ戻るために辿った道を引き返して、数日前に素通りした大きな町へと向かった。
町に着くと、弥勒はまず宿屋を探した。
「路銀が乏しいのに、宿屋に泊まるの?」
「帰るときは、懐があたたかいはずですから」
珊瑚は呆れた様子でため息を洩らす。
「相変わらず調子いいね。そもそも、ただの白いかわらけの欠片かもしれないし、売れるかどうかなんて、判らないじゃないか」
「それはそうですが、こういうことは、やり方ひとつでどうにでもなるものです」
「つまり、買い手がつかない場合、相手を騙して売りつけるってこと?」
「人聞きの悪い」
町の通りを歩きながら、弥勒はしれっとうそぶく。
宿屋を見つけた二人は部屋を取った。
案内された部屋で荷を下ろし、法師は話を続けた。
「ですが、まあ、そんなふうに相手を選べないときは、おなごには似つかわしくない場所での交渉となることも考えられますので、珊瑚にはちゃんとした場所で待っていてもらいたいんですよ」
「……まさか、郭?」
「どうして、そっちへ話がいくんです」
はああ、と吐息をついて、弥勒は額を押さえる。
「まっとうでない取り引きは、無頼の輩を相手に裏町で行われることもあります。美しいおなごを連れていれば、それだけで目を付けられてしまう。おまえを伴えるわけないでしょう?」
「でも」
と、珊瑚は眉をひそめた。
「そこまでして売らなくても。必要なだけの路銀は、妖怪退治をして、地道に稼げばいいじゃないか」
「それはそれ、これはこれです。今ここに美しい宝玉の欠片があるのですから、これを売らない手はないでしょう?」
「宝玉じゃなかったら?」
「夜光貝かもしれません。螺鈿の材料になります」
「欠片でも売り物になるの?」
「そのときは、龍の鱗とでも説明すれば、物好きな御仁がよい値で買ってくれますよ」
「……やっぱり、無理やり買わせるんだ」
弥勒はその真珠色の欠片を、それらしく、薄紙に丁寧に包んだ。
「なんか、嫌な予感がする」
法師を見つめる珊瑚は、どこか不安げに言った。
「夕刻までには帰ってくるよね」
「何とも言えんな。まともに売れれば夕餉の頃までには戻れるだろうが、そうでない場合は、少し遅くなるかもしれません」
欠片を包んだ薄紙を懐に入れる弥勒を、珊瑚は憮然と見遣った。
「高く売れたら、そのまま、郭に遊びに行くとか」
「……しません」
錫杖を手に立ち上がった弥勒を見上げ、珊瑚は膝に乗せていた雲母を抱き上げて、一緒に立ち上がった。
「雲母、法師さまについてて」
「そんなに私が信用できませんか?」
「だって、やっぱり心配だから」
瞳を伏せ、眉を曇らせる珊瑚の様子に、弥勒は表情を改めて、身をかがめ、彼女の額に唇を当てた。
「町の中の店を廻ってくるだけだ。何かあれば、雲母を使いによこします」
「うん」
ようやく納得したらしい珊瑚は、おとなしく弥勒を見送った。
珊瑚を宿に残し、雲母を肩に乗せた弥勒は、ゆったりと町に出た。
町中を巡り、欠片を買い取ってくれそうな店を、一軒、一軒、さり気なく物色する。
しかし、いくら美しくとも、玉ではなく、小さな欠片にすぎないものを、商品として買ってくれる店はなかった。
(仕方ない。龍の鱗ってことにするか)
何軒目かの店を出た弥勒は、戦法を変えることにした。
そんな彼を、後ろから追ってくる者がある。
「もし……」
その声に振り返ると、被衣をかづいだ小柄な少女が、弥勒をじっと見上げていた。
かごめや珊瑚と同じ年頃か、もしかしたら、それより若いかもしれない。
「もし、法師さま。あちらの店で、聞くつもりはなかったのですが、聞こえてしまいました。法師さまは白珠の欠片をお持ちとか」
「興味がおありですか?」
弥勒は、彼女が、先程出てきた店の中で店主と交渉をしていたとき、店内に居合わせていた客だと気づいた。
確か、男が数人、少女と一緒にいたはずだ。
二人は話をするために通りから路地に入った。
薄紙に包まれた美しい真珠色の欠片をひと目見るなり、少女はきっぱりと法師に言った。
「これを私に売ってはくださいませんか」
「あなたに?」
「あいにく、今は金子の持ち合わせがありませんが、是非にも」
弥勒は相手を観察した。
なかなかの美少女だ。身なりもいい。
しかし、彼自身、そこまで価値があるとは思っていない欠片を、何故、このように熱心に求めるのか。
「値はいかほどですの?」
「そうですな。……三十疋では?」
「銅銭でよろしい?」
「できれば、金で」
あくまでも鷹揚に、穏やかに、弥勒はふっかけてみる。
「完全な玉ならともかく、欠片にそれほどの値打ちがありましょうか。金ならば、十疋で手をお打ちなさいまし」
「そこまでおっしゃるなら、金で十疋といたしましょう。ですが、何故、これをご所望なのです? それほど値打ちのない、ただの欠片とお思いなら」
「それは……」
少女は、ふと、路地の入り口へと視線を投げた。
路地の奥で話し込む法師と少女を、その場所からじっと見守る男たちの姿がある。
明らかに少女が法師と話し終えるのを待っているようだ。
弥勒は、その三人の男たちが、先程店の中に少女と一緒にいた男たちであることを確認した。
連れだろうか。
しかし、男たちの少女を見る目は、家族や知人、親しい者といったふうではない。
「金子を用意してまいります。酉の刻、この場所で」
それだけを言い、少女は即座に身を翻した。
「えっ、ちょっ……! お待ちを」
まさか、あの男たちに身を売って金銭を得るつもりなのだろうか。
(あの身なりでは、春をひさぐおなごとも思えんが)
弥勒の目配せを受け、彼の肩の上の雲母は、すぐに立ち並ぶ家々の屋根の上へと音もなく跳躍し、少女たちの尾行を開始した。
地味だが、品のよい絹の小袖に身を包んだ小柄な少女が男たちに囲まれて歩いていく後ろ姿を、弥勒は複雑な思いで見送った。
2015.9.4.