おらは魔法使い?

第十章 風使いと瘴気の城

 風が吹いた。
 風は瞬く間に突風となり、四人と一匹を空中へ攫った。
「えっ、やだ、何? 犬夜叉!」
「かごめっ!」
 風に乗り、風に運ばれ、空へと舞い上がった身体は空気の奔流に流されるまま。
 その流れに逆らって、犬夜叉の手がかごめを捉えた。
「大丈夫か」
「う、うん。でも、あたしたち、風に乗ってる。身体が浮いてるわ」
 怯えたように表情を強張らせるかごめを、犬夜叉はしっかりと支えて言った。
「ただの風じゃねえ。妖気を感じる」
「操っている者がいるのでしょう」
 と、風音の向こうから法師の声が聞こえた。
「十中八九、西の魔法使いの仕業でしょうな」
 犬夜叉がそちらを振り返ると、珊瑚の手に掴まった弥勒が、風の抵抗を受けつつ彼女の後ろに、変化した雲母の背に乗ろうとしているところだった。
「おまえら、そのまま雲母にしっかり掴まってろ。今、この風をたたっ斬ってやる」
 かごめをかばいながら鉄砕牙を抜こうとした犬夜叉を弥勒の声が制した。
「待て、犬夜叉。どうせ我々は西の魔法使いのところへ行くのです。このまま風に運んでもらおう」
「けっ」
 不本意そうな半妖の少年は、だが、法師の言葉に従った。
 鉄砕牙を鞘に収めると、不安そうなかごめを支える腕に力を込めた。

 雲母に乗った弥勒と珊瑚、抱きあった犬夜叉とかごめが、風に運ばれ、着いた場所は、しんと静まり返った城の庭であった。
 浮力が弱まり、徐々に高度が下がっていったかと思うと、彼らを取り巻いていた風がふっと消えた。
「……っ!」
 かごめは落下の予感に身を固くし、犬夜叉にしがみついたが、半妖の少年は安定した着地を決めた。
 法師と退治屋を乗せた雲母もまた、ふわりと地に降り立つ。
「よく来たな」
 艶かしい女の声が挑発的に彼らを出迎えた。
 四人が一斉にそちらへ眼を向けると、閉じた扇を顎にあてた女がひっそりとたたずんでいる。
「ここはどこだ?」
「おかしなことを訊くね。解ってて来たんだろう? 西の魔法使いの城さ」
「風を使っておれたちをここへ連れてきたのはてめえだな」
 早くも鉄砕牙を抜いた半妖を嘲笑うかのように女はすっと一歩後ろへ飛びのくと、朱い唇がくすりと弧を描いた。
「気が荒いねえ。話をする暇もあったもんじゃない」
 女の赤い眼がすっと細められたのを見て、弥勒と珊瑚も臨戦態勢に入る。
「あたしは神楽。風使いさ。この西の国を支配する奈落が、てめえらに興味があるんだとよ」
「奈落?」
 その名に反応した法師を、珊瑚が顧みた。
「知ってるの? 法師さま」
「ああ。名前だけはよく知っている」
「もっとも、用があるのは四魂の玉を持っているそこの小娘だけみてえだがな」
「なっ……!」
 かごめは愕然として首にかけている四魂の玉に手をやった。
「風刃の舞――!」
「きゃあっ!」
 突如、湧き起こった凄まじい風に空間を斬られ、次の瞬間、かごめだけが風に攫われて宙に舞い上がった。
「かごめ!」
 犬夜叉、そして雲母に飛び乗った珊瑚が追おうとするが、すかさずその前に神楽が立ちはだかる。
「てめえらには用はねえが……殺せと命じられたわけでもねえし。さて、どうするか」
 くすくす笑う風妖は妖艶であった。
「くっ!」
 すでにかごめの姿も気配もその場から消えている。
 犬夜叉は苛々と、陰鬱とした城の様子と神楽の姿を見比べた。
「犬夜叉。ここは私と珊瑚に任せて、おまえは早くかごめさまを」
 右手の数珠に手をかけながら弥勒が叫ぶと、珊瑚も飛来骨を持って身構えた。
「おっと。そう簡単に行かせるわけがねえだろう」
 城の建物へ向かおうとした犬夜叉に向かって、再び神楽が風の刃を揮う。
 神楽の放った風を犬夜叉が鉄砕牙で斬り裂いたのと同時に、城の背後からおびただしい有象無象の妖怪の群れが、怒涛のように襲いかかってきた。
 弥勒が右手の封印を解く。
「風穴!」
 しかし、如何せん、数が多すぎる。
 神楽自身は風で身を守り、犬夜叉や珊瑚の攻撃をかわすばかりだ。
 もとより軌道を逸らされてしまうので、飛来骨で闘うには神楽は相手が悪かった。
 そうこうしているうちに、弥勒に異変が表れてきた。
「法師さま!?」
 雑魚妖怪を飛来骨でなぎ倒し、珊瑚が風穴を閉じて膝をついた弥勒に駆け寄る。
「ふ。毒が回ってきたようだね」
「毒だと?」
「法師が吸い込んだ妖怪どもの中には猛毒を持つ奴もいたってことさ」
 酷薄な笑みを浮かべ、神楽は大きな蜂の化生を顎で示した。
「くそっ」
 きつく唇を噛んだ珊瑚が神楽を睨めつけると、ふわりと彼女は風上へと身を翻した。
 戦闘不能になった弥勒と、風を操る神楽を相手に一人では荷が重い珊瑚を残してかごめを追うことを、一瞬、犬夜叉が躊躇したとき、どこからともなくその場に流れ出るものがあった。
「瘴気――!」
 はっとしたときには遅かった。
 弥勒が倒れ、珊瑚が倒れ、雲母が倒れ、――それを確かめた犬夜叉の意識も、遠く、霞んでいった。

 気がついたとき、少女は薄暗い部屋に倒れていた。
「犬夜叉、弥勒さま、珊瑚ちゃん……?」
 周りに仲間の姿が見えないことに言いしれない不安を覚えたかごめは、身を起こし、そして息を呑んだ。
 室内には小さな白い少女と、髪の長い若い男がいたからだ。
(なに……? この禍々しい気……)
 目の前の男が発しているのだろう邪悪な気に、気分が悪くなるほどだった。
(もしかして、この男が)
 かごめは屹と男を見据える。
「……あんたが、西の国の魔法使いなの?」
 男はふんと鼻を鳴らし、小馬鹿にしたようにかごめを一瞥した。
「この西の国を支配する奈落だ。覚えておけ」
 そして、鏡を持つ白い少女に命じた。
「神無。四魂の玉を」
「誰があんたなんかにっ」
 恐怖を抑えつけて叫び、近づいてくる少女から逃げようと立ち上がったかごめは、刹那、すうっと力を吸い取られるのを感じ、その場にくずおれた。
(何なの? 力が入らない……)
 少女の鏡がかごめから力を奪い取っているらしいことは察せられたが、だからといって、かごめにはどうすることもできなかった。
 しかし、力なく座り込んだかごめに手を触れようとしたとき、少女――神無はぴくりと指を震わせ、動きをとめた。
 奈落の表情が険しさを増した。
「この女……巫女か」
 忌々しげにつぶやく。
 かごめ自身は無意識であったが、このとき、彼女の持つ潜在的な霊力に四魂の玉が共鳴し、邪悪な力を拒む結界を作っていたのだ。
「小娘。今少し時間をやろう。自ら四魂の玉を差し出せばよし。おまえの仲間の生命はこの奈落の手の中にあることを肝に銘じておくのだな」
 力が抜けたかごめは奈落を睨むことすらできず、己の仲間たちが西の魔法使いの手に落ちたことを知って、ただ茫然とするばかりだった。

「……夜叉。犬夜叉、しっかりしろ」
 軽く揺さぶられ、ふっと意識を取り戻した。
 ぴたぴたと頬を叩くのは珊瑚だ。
「!」
 犬夜叉はがばっと跳ね起き、辺りを見廻す。
「ここはどこだ? かごめは?」
「どうやら、不覚にも捕らわれてしまったようです」
 奥の壁にもたれたまま、弥勒が言った。
 苦しげな声はまだ毒が残っているらしい。心配そうな珊瑚の横には雲母もいた。
「気がついたらこの牢に入れられていた。法師さまもあたしも、みんな瘴気にやられてしまったんだ」
「くそっ」
 悔しげに、犬夜叉は己の掌に拳を打ちつけた。
「西の魔法使いはかごめの四魂の玉を狙っていた。早くかごめを助けねえと。弥勒はまだ毒が抜けきってねえんだろ? おれは先に行くから、おめえらはもう少し休んでろ」
「それが駄目なんだ、犬夜叉」
「あ? 何が駄目なんだよ」
 不満を露に牢の堅固な格子を背にして珊瑚を振り向くと、その奥にいる弥勒と眼が合った。
「結界が張られています。おまえ一人の力では出られません」
「ああ?」
「それに、おもだった武器は奪われている。あたしの飛来骨や刀も、あんたの鉄砕牙も」
「私の錫杖も」
「おまえ、あれ、武器か?」
「法具です」
 やや腑に落ちない視線を投げる半妖に簡単に返し、苦しげに息をついて弥勒は表情を改めた。
「犬夜叉、珊瑚。先ほどは言い出す暇がなかったが――奈落とは、私の祖父の右手に風穴を穿った妖怪の名なのです」
「法師さま、それじゃあ……!」
 法師は強い意志を宿した瞳でうなずいた。
「この国の悪い魔法使いとは、おそらく祖父に呪いをかけた妖怪。私が探し求めていた相手です」
 驚きに眼を見張る犬夜叉と珊瑚を冷静に見つめ返し、弥勒は言葉を続けた。
「珊瑚、武器はみな奪われてしまったのか?」
「隠し武器がいくつかある。普通の牢を破るくらいなら充分な道具だよ」
「よし。毒もほとんど抜けたようだ。私が破魔札を使って結界を破るから、そのあと牢の格子を壊すんだ」
「ああ」
「解った」
 二人が同時にうなずいたとき、牢の外でかたんと音が鳴り響いた。
「しっ! 誰か来る」
 珊瑚はまだ床に座したままの法師にかばうように寄り添い、犬夜叉は仁王立ちのまま、足音が近づいてくるのを待った。
 薄暗い牢の中に訪問者の影が揺れる。
「囚われ人はそこか。食事を運んできた」
 だが、聞こえた声に、みな一様に怪訝な表情を作った。
 身構えた三人と一匹の前に現れた人物は、まだほんの少年であったのだ。
「ガキ?」
 呆れたような、困惑したような声を犬夜叉が洩らす背後で、法師に寄り添っていた娘がふらりと立ち上がった。
「珊瑚?」
 驚いて弥勒も立ち上がる。
 しかし、珊瑚は彼の声も耳に届いていない様子で、ふらふらと格子の向こうに立つ少年のほうへと歩を進めた。
「なんで……どうして……」
 驚愕に彩られた瞳に映る少年の顔を彼女が見間違えるはずもなく。
「死んだはずなのに。この手で、確かに葬ったのに」
 震える声と震える指先。
 ただならぬ珊瑚の様子に、法師と犬夜叉は無言で事の成り行きを見守っている。
 空間を隔てる格子に辿り着いた珊瑚の指が桟の間をくぐりぬけ、大きく眼を見張って立ちすくむあどけない少年へと伸ばされた。
「琥珀……? 琥珀、本当におまえなの?」
 喪ったはずの弟の姿を前にして、珊瑚の視界が滲み、白い頬を涙が伝った。

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2008.10.25.