おらは魔法使い?

第九章 西の国へ

 通された塗籠の中は真っ暗だった。
「女子供じゃあるめえし。こんなもんでビビるかよ」
 ふん、と犬夜叉は鼻を鳴らす。
 しかし、かごめ、弥勒、珊瑚の三人の話に共通していた御帳台すら見えないほどの暗闇である。
 まず御帳台を確認しようと眼を凝らしたとき、ぽっ、ぽっ、ぽっ、と彼の周囲に無数の灯りが灯った。
 闇の中に篝火がいくつも浮いている。
「幻術か」
 勿体ぶった演出に苛々とした犬夜叉は、姿の見えない翠玉王に向かって大声を張り上げた。
「おい、魔法使い! 姿を見せたらどうだ」
 すると、赤い篝火に取り囲まれた暗闇の中央に、ぽっとひときわ大きな、蒼白い炎が浮かび上がった。
 犬夜叉の眉根が不機嫌そうに寄せられる。
「おれは姿を見せろっつったんだ」
 むっとした声を出すと、蒼い炎は勿体をつけて厳かに答えた。
「偉大な魔法使いのおらは、いくつもの姿を持っておる。これもそのひとつに過ぎん。おまえが半妖の犬夜叉じゃな」
「そうだ。用件だけ言うぞ。かごめたちの願いを叶えてやれ。おめえが本当に偉大な魔法使いなら、そんなことは朝飯前だろ」
「おまえには願いはないのか?」
 一瞬、躊躇って、犬夜叉は口をつぐむ。
 下手に出て人に何かを頼むなどということは未だかつてしたことがないし、また、そんなことをする気もなかった。
 自力で得なければという気持ちが大きいのも本当だ。
「おれは──勇気がほしいが……真の勇気が何なのか、それについて手がかりになるようなことを少しだけ教えてくれれば……」
「ほう。勇気がほしいと。おまえは臆病者なのか」
 わざとらしく挑発するような翠玉王の言葉が癇に障る。
 ぎっと犬夜叉は翠玉王を睨んだ
「ここでおめえをぶった斬るくらいの勇気ならあるぜ」
 半妖の少年は不敵に蒼白い炎を睨めつけ、すら、と腰の鉄砕牙を少しだけ抜いてみせた。
「試してみるか? てめえが魔法を使うのが早いか、おれがおまえをたたっ斬るのが早いか」
 ゆらゆらゆらっと炎が揺れた。
 嘲笑しているのか。あるいは動揺しているのか。
「かっ、刀などで火が斬れるものかっ……!」
「やってみねえと判らねえだろうが」
 相手の声に怯えを感じた犬夜叉は勝算ありと見て、すらりと刀を抜く。鉄砕牙が変化した。
「ままま待ていっ! 今、おらを斬ったら、誰がかごめたちの願いを叶えるんじゃ!」
「あ」
 鉄砕牙を振りかぶろうとした犬夜叉の手が止まる。
「かごめも弥勒も珊瑚もおらを頼って都まで来た。ここでおらを斬り殺したら、おまえは三人にどう言いわけするつもりじゃ」
「……」
 言葉に窮した半妖を見て、ふう、と炎が小さな吐息を洩らしたようだったが、気のせいか。
「かごめは迷っておったようじゃが、弥勒と珊瑚は西の魔法使いを倒すという条件を呑んだぞ? 法師と退治屋と半妖のおまえ。それに、四魂の玉を持った巫女のかごめが加われば、悪い魔法使い退治も難しいことではなかろう」
「てめ、人の弱みにつけこんでっ……」
 炎の翠玉王からは、ふっふっふっとくぐもった笑い声が聞こえてくる。
「四人で西の魔法使いを退治してきたら、勇気のもとをおまえに分けてやってもよい。これは魔法薬の中でも秘薬中の秘薬じゃ」
「ほ、ほんとかっ?」
 悪徳商法のような怪しげな甘言も、タイミングひとつで受け入れてしまう半妖であった。
「よし。義を見てせざるは勇無きなりっていうからよ。しょうがねえ。あいつらのために、おれも手を貸してやるぜ」

* * *

「やっぱりねぇ」
「るっせえ! おれはおまえらが困ってるから妖怪退治を引き受けてやったんでいっ」
 結局、西の魔法使いを倒さないことには話が進まず、かごめたちの一行は緑柱石の都を出て、西の国へと旅をすることになった。
 頭にのせていた人数分の葉っぱを都の門番に返し、かごめ、弥勒、そして犬夜叉の三人は、緑柱石の都の門から都の外へ出る。
 人のよい門番と、翠玉王の御殿で一泊した一行の世話をした女官が門の外まで彼らを見送ってくれた。
「名残はつきませんが、しばしの別れです」
 女官の手を取り、神妙に弥勒が言う。
「必ずや西の魔法使いを倒し、ここへ戻ってまいります。そのときは私の子を産んでくださらんか」
「法師さまっ!」

 ばきっ

 脳天に飛来骨の直撃を受け、弥勒が地に沈む。
「法師のくせに、あんた、なんてこと言ってんのさ!」
 門の中にある小部屋を借りて着替えをすませ、遅れて出てきた珊瑚が真っ赤になって怒鳴った。
「言うに事欠いてっ! こっ、子供って……!」
「……それ、あたしも一番最初に言われた」
 ぼそりとつぶやく声が聞こえ、「えっ!」と珊瑚のみならず犬夜叉までが呆れ顔のかごめを振り返り、次いで、ぎんっと法師を睨む。
「てめえ、かごめにまでそんなこと言いやがったのか!」
「いえ、かごめさまを口説いたわけではなく、魅力的なおなごにはとりあえず。まあ、挨拶代わりに」
「誰にでも言ってんのかよ!」
 信じられねえ、と呆れ果てる半妖の少年の隣で、珊瑚の胸がちくりと痛んだ。

 ──そんなこと、あたし、言われてない──

 どうして気分が落ち込むのだろう。
 にわかに暗雲がたちこめたように憂鬱な想いに駆られ、珊瑚はぶんぶんと首を横に振った。
(別に法師さまが助平だろうが女好きだろうが節操なしだろうが、あたしには関係ないじゃないか)
 自分の足許を睨みつけて、きゅっと唇を噛む。
 そんな珊瑚にかごめの明るい声がかけられた。
「珊瑚ちゃん、それ、仕事用の服?」
「え? ああ、うん、そうだよ」
 部分鎧をつけた黒い退治屋の装束に身を包んだ彼女を見るのは、一行はこれが初めてであった。
「珊瑚ちゃん、凛々しいっ。それに、セクシー」
「……背串?」
 眼をきらきらさせるかごめの後ろで、聞きなれない言葉に犬夜叉が首をひねる。
「小袖姿もよいが、この姿もなかなか」
 つつ、と退治屋の娘に近寄った弥勒がおもむろに彼女を見つめ、手を伸ばした。
 どきっと珊瑚の心臓が鳴ったのも束の間、次の瞬間、法師の手は娘の腰から尻を撫でていた。
「戦う乙女というのもまた、そそられますなあ」
 怒りに打ち震える珊瑚の肩から、危険を察知した雲母が飛び降りる。
「この──っ! いい加減にしろ、スケベ法師!」
 もやもやとした正体不明の苛立ちも手伝って、弥勒の頬をはる珊瑚の平手は必要以上に強烈であった。

 都の門番と女官に別れを告げ、四人と一匹は西を目指す。
 一行の先頭をすたすたと歩く珊瑚の隣で、頬を腫らした法師がしきりにご機嫌取りにいそしんでいる。
「珊瑚、そろそろ機嫌を直してくれませんか」
「別に。怒ってないよ。法師さまの手癖の悪さは今に始まったことじゃないし。あれだって、持ってきちまったんだろう?」
「あれとは?」
 つんとしたまま、珊瑚はちらりと横目で法師を見遣った。
「翠玉」
「あはは、バレてましたか」
「やだ、弥勒さま。御殿の庭のエメラルド、盗んできちゃったの?」
「人聞きの悪い。あれだけあるんですから、ひとつやふたつ失敬してきたところで翠玉王には痛くもかゆくもないでしょう」
「呆れた!」
「それ、泥棒っていうんじゃねえか?」
「手付け金ですよ」
 そう言って、法師は懐から取り出した石を太陽にかざした。
「おや?」
「法師さま、どうかした?」
「見てください」
 弥勒は珊瑚の掌に盗んできた──否、本人曰く手付け金の──翠玉をのせた。
「これ、ただの白い石じゃないか」
「ですよね」
 珊瑚はかごめと顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。
「贋物つかまされたんだ」
「向こうが一枚うわてだったみたいねー」
 くすくす笑う少女たちに、法師は納得のいかない視線を白い小石に落としている。
「みなも御殿の庭で確認したでしょう。雲母が取ってきた玉砂利は、確かに翠玉だった」
「化かされたんだろ」
 腕を組んだ犬夜叉は仏頂面で、吐き捨てるように言った。
「大入道や女や地蔵や炎に姿を変えておれたちを煙に巻こうとしやがった野郎だ。幻術なんざ、お手の物だろうよ」
 ていよく騙されているような気がしないでもなかったが、四人は気を取り直して道を進む。
 しかし、東の国から緑柱石の都を目指していたときとは違い、目印になるような道ではない。
「ねえ。西の国ってどうやって行けばいいんだい?」
「とにかく西へ向かえばいいんだろ? 陽の沈む方角だ」
「珊瑚が言っているのはただ闇雲に進むだけでよいのかということでしょう? それに幾日かかるのかも判りませんし」
 三人のやり取りにかごめが小さくため息をつく。
「門番のおじさんが言ってたこと、三人とも聞いてなかったのね」
 問うような眼を向けられ、かごめは尤もらしく人差し指を立ててみせた。
「西の魔法使いのところにはね、千里眼を持つ鏡があるの。西に向かって歩いていけば一日もしないうちに国境に着くから、そしたら、向こうからあたしたちを捕まえに来るだろうって」
「ほお」
 どこかとぼけた声で感心したように洩らす法師の傍らで、半妖の少年が指を鳴らす。
「おもしれえ。半妖の魔法使いのお手並み拝見といこうじゃねえか」

「……来た」
 小さな白い少女が言った。
 全身白ずくめの少女は、手にまるい鏡を持っている。男の声がそれに応えた。
「見たところ、法師に退治屋に妖怪──いや、半妖か。うん? 奇妙ななりをした娘が一人いるな」
「あの娘。……四魂の玉を持っている」
 白い少女の言葉に、ほう、と狒々の皮で顔を隠した男の口許に薄い笑みが刻まれた。
「椿が死に、行方知れずだった玉が向こうからやってきたか。神楽はいるか?」
 襖で閉めきられた薄暗い部屋にさっと一陣の風が吹いたかと思うと、その場に第三の人物が現れた。
「呼んだかい、奈落?」
 扇を手にした婀娜な美女である。
 粋な装いは遊女のそれだが、禍々しい気は彼女が妖怪であることを示していた。
「仕事だ、神楽。神無の鏡に映っている奴らを捕らえてこい。殺さずにな。この見慣れぬ衣の小娘は四魂の玉を持っている」
「また雑用かい? たまには自分で出向いたらどうなのさ」
 神楽と呼ばれた女がぞんざいな口調で言い返すと、どこかで微かな鈴のが揺れた。
 はっと神楽が身を強張らせる。
「思い出させてやろうか。きさまの生命を握っているのが誰なのかを」
 神楽はちっと舌打ちをした。
「ああ、解ってるさ。行きゃいいんだろう?」
 次の瞬間、疾風が舞い、神楽の姿はもうそこになかった。
 白い少女の髪が風に揺れた。

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2008.7.18.