おらは魔法使い?
第十一章 再会、そして反撃
「あ……」
琥珀と呼ばれた少年は、凍りついたような表情で立ちつくしている。
こぼれる涙もそのままに、珊瑚は弟の顔を確かめるように少年の頬を撫で、その手で牢の格子越しに彼の肩を抱き寄せた。
「……知り合いか? なんか訳ありみてえだな」
声をかけるのも躊躇われるほどの空気に戸惑った犬夜叉が小声で法師にささやいたが、弥勒はそんな半妖の声も聞こえていないようで、茫然と珊瑚の後ろ姿を見つめている。
頑丈な牢の格子に隔てられながらも、珊瑚は少年をじっと抱きしめていた。
声もなく涙をこぼす珊瑚の足許に寄った雲母が、己も少年に近づこうと格子の隙間に頭をくぐらせようとしたが、
「みゅうっ」
結界に触れ、弾き飛ばされた。
犬夜叉が雲母を受けとめる。
「雲母!」
はっとなった珊瑚と琥珀が雲母を振り向き、凝固していた時間が動き出した。
「大丈夫だ。怪我はねえ。牢の結界は妖気に反応するみてえだな」
犬夜叉は不安げな珊瑚に気を失った猫又を渡そうとしたが、それより早く、ずかずかと二人の間に割って入った法師が、娘の両肩をがしっと掴んだ。
「珊瑚……おまえ……」
真剣な眼差しの法師を見て、涙をぬぐい、珊瑚はふっと微笑もうとした。
「法師さま、この子は」
「年下好みだったのですかっ!」
「――は?」
法師の勢いに圧され、珊瑚は眉を引きつらせた。
「なかなか私になびかないと思ったら! いえ、今からでも遅くはありません。考え直しなさい。おまえには包容力のある大人の男が似合います!」
「……」
なんと反応してよいやら珊瑚が唖然と口をぱくぱくさせている間中、弥勒はこれ以上ないほど思いつめた瞳で彼女の眼をじーっと見据えていた。
「……あ、あのね、法師さま」
「何もそこまで年下を選ばずとも、すぐそばに私という似合いの相手がいるではありませんか!」
「やだっ、馬鹿! なに勘違いしてんの、法師さま」
珊瑚は真っ赤になって、両肩を弥勒に掴まれたまま、牢の外に眼をまるくして突っ立っている少年の様子をちらと窺った。
「何故です、珊瑚。何故、私では駄目なんですっ」
「ちょっと、やめっ……変なこと言わないでよ、弟の前でっ!」
顔をうつむけて激しく頭を振り、詰め寄る弥勒の腕を引っ掴んで珊瑚は叫んだ。
「もう、恥ずかしいったら!」
彼の手を己の肩から外すと、潤んだ瞳でぎんっと法師を睨みつける。
「弟?」
未だ頭の中が整理できていない法師に代わって、雲母を抱いた半妖の少年が応じた。
よく見れば、少年も珊瑚と同じ形の退治屋の装束を身につけている。
「弟だってよ、弥勒。みっともねえ真似、やめろ」
「弟?」
と、法師も娘と少年を見比べる。
「しかし、珊瑚の弟は呪詛で亡くなったと聞きましたが……」
「そうなんだけど……でも、ここにいるのは確かにあたしの弟の琥珀だ」
三対の視線を受け、少年ははっと我に返り、やや恥ずかしそうに表情を改めた。
「いえ、おれは生きています。おれのほうは、姉上は椿に幽閉されていると聞かされて――」
「何やら込み入った事情があるようですな」
ようやく己を取り戻した弥勒がこほんと咳払いをし、さりげなく珊瑚の肩を抱き寄せつつ言った。
「ですが、詳しい話はあとです。かごめさまを捜さねば。琥珀、手引きしてくれるな?」
「あ、はい」
ちらりと自分に投げられた弟の視線を感じ取り、耳まで赫くなった珊瑚は肩を抱く法師の手を思いきりつねり上げた。
牢の結界を弥勒が破ると、堅牢な格子は犬夜叉によって簡単に壊された。
「奈落の野郎、おれたちを同じひとつの牢に入れたのは間違いだったな」
地下の牢から脱出した犬夜叉と弥勒、そして雲母を抱いた珊瑚は、琥珀の手引きで西の魔法使いの城の奥深くへ侵入する。
「おれは、他国の人間が奈落に捕まったと聞いて、様子を見に来たんです」
三人を先導する琥珀がぽつりと洩らした。
「おれもこの城の囚われの身だから、放っておけなくて」
「囚われの身が、なんで自由に動けるんだよ。おまえも奈落の手先じゃねえだろうな」
琥珀のすぐ後ろを行く犬夜叉の疑念はもっともだった。
「囚われ人の一人が姉上だったとは知りませんでした。椿からは、姉上の身の安全と引き換えに奈落に仕えるふりをして、その動向を探れと命じられ……」
琥珀はひと気のない城内の廊下を用心深く進みながら、自分の置かれた立場を淡々と語った。
「奈落のほうはおれが椿の窺見であることは百も承知で、逆に椿の寝首を掻いて四魂の玉を手に入れる手伝いをしろと命じました。姉上が幽閉されている場所を知っている。そうしなければ姉上を殺すと」
「なるほど」
と弥勒がうなずく。
「奈落も椿も、琥珀を自分の手駒として利用しようとしていたのですな」
「ひどい……あたしには琥珀が死んだと思わせて、琥珀にはあたしの生命を盾に取って従わせていたんだ」
「椿は、珊瑚が薬師を呼びに行っている間に琥珀に似せた人形を残し、琥珀を攫ったんでしょう。本人の髪の毛一本あれば、そっくりの人形など、魔法使いならばいくらでも作れる」
琥珀は廊下の、ある地点で立ちどまって三人を見た。
「どうします? 先に武器を取り戻しますか」
「でも、かごめちゃんが心配だ」
「そうですな。二手に分かれましょうか」
「よし。おれはかごめを捜す。匂いを辿るから一人で大丈夫だ」
「では、私と珊瑚は犬夜叉の鉄砕牙も含め、武器を取りに行きましょう。琥珀、案内を頼みます」
「はい」
琥珀がうなずき、三人は、かごめ救出と武器奪還の二手に分かれ、行動を開始した。
その頃、かごめは城の台所で働かされていた。
物理的な力ではかごめから四魂の玉を奪うことができないと悟った奈落は、かごめを精神的にも肉体的にも弱らせ、追いつめられた彼女が自分から玉を差し出すように仕向けようと企んでいた。
神無の鏡に奪われた力は彼女が動ける分だけ身体に戻され、今は水汲みをさせられている。
「ふう……」
仲間たちを捕らえたと聞かされ、精神的にまいっている上に、慣れない重労働はかごめを心身ともに疲弊させる。
それでも、おとなしく奈落に従うふりをし、隙を狙って仲間たちを牢から助け出そうと、かごめは密かに決心を固めていた。
白い少女・神無の鏡が、四六時中自分を監視しているだろうことはかごめも察していたが、隙は、必ずどこかにあるはずだ。
土間の隅の大甕に黙々と桶で水を運んでいると、音もなくその場にこの城の主・奈落が現れた。
「かごめといったな。きさま、いつ、仲間たちのもとへ行った」
「え?」
いきなりそう決めつけられ、少女は怪訝な顔をする。
(犬夜叉たちに何かあったの……?)
両手で桶を持ったまま黙っていると、奈落は憎々しげにかごめを睨んだ。
しばらく睨み合いが続いたが、かごめが何も知らないらしいと解ると、邪悪な半妖はふっと口許に嘲笑を浮かべた。
「どうだ。四魂の玉を渡す気になったか?」
「お断りだって言ってるでしょう」
なんとか気力を奮い立て、かごめも負けずに言い返した。
「いつまでその強がりが保てるかな。きさまがいつまでもそのような態度なら、三日ごとに仲間を一人ずつ殺してやろう」
「なんですって?」
「法師と退治屋はおまえの目の前で、城の奴婢たちに嬲り殺しにさせよう。半妖は、そうだな、その妖力をこの奈落がいただこうか」
「卑怯者! 四魂の玉と犬夜叉たちは関係ないじゃない!」
「犬夜叉――そうか、あの半妖が大事か。ならば、まず犬夜叉をおまえの目の前で喰らってやろう」
「……!」
そうやって、奈落はかごめをじわじわと精神的に追いつめようとした。
巫女とはいえ、たかが人間の少女一人、その気力を折るのは造作もないと。
そうして戦意を喪失したところで、四魂の玉を奪えばいい。
この娘の仲間を閉じ込めていた地下牢がもぬけの殻であるとの報告を神無から受けたが、所詮、人間二人と半妖だ。この西の国を支配する己にとっては物の数ではない。
――そのはずだった。
広大な平城の内部はまるで迷路のようだ。
その中を、犬夜叉はかごめの匂いを頼りに走っていた。
「かごめっ!」
板戸を蹴って広い台所に押し入ると、捜していた少女が土間に立っている姿が視界に飛び込み、心底ほっとした。
だが、少女は一人ではなかった。
「犬夜叉……!」
奈落と対峙していたかごめは、突然現れた犬夜叉を見て、大きく眼を見張る。
緊張の糸が切れ、じわりと涙が滲みそうになった。
「犬夜叉! よかった、無事だったのね」
「おまえこそ。――おい、てめえが西の魔法使いだな。覚悟しやがれ、奈落!」
「ふん。半妖ごときにこの奈落は倒せまい」
「てめえも半妖だろうが!」
反射的に腰に手をやったが、武器を奪われていたことを思い出し、犬夜叉は爪を構えた。
「弥勒も珊瑚も無事だぜ。すぐにここへ来る」
「雑魚が何人増えようが、同じことだ」
奈落を挑発するように言った犬夜叉だったが、それは仲間たちが無事であることをかごめに伝えるための言葉だった。
(弥勒さまも珊瑚ちゃんも無事なんだ。よかった……! あとは力をあわせてこいつを倒すことができれば)
かごめの瞳にも力が戻る。
そんな二人の様子に奈落は忌々しげに舌打ちをした。
奈落が最も恐れるのはかごめの無意識の霊力だ。
「散魂鉄爪!」
飛び出した犬夜叉が鋭い爪で奈落の肩から胸にかけてを切り裂いた。だが、
「……っ!」
「瘴気?」
奈落は平然としたまま、犬夜叉に傷つけられた身体からはただ瘴気があふれてくるばかりだった。
「くく……愚かだな、犬夜叉。小娘もろとも自滅するがいい」
「かごめ!」
口を押さえ、犬夜叉はかごめの様子を確認する。
瘴気を吸った少女は水の入った桶を落とし、ふらりとその場に膝をついた。
「はあ、はあはあ……」
桶の水はほとんどこぼれていない。
その桶の柄を両手で握りしめて身体を支え、かごめは苦しい呼吸を必死で整えようとしていた。
かごめに駆け寄ろうとする犬夜叉を奈落が阻む。
「我が瘴気は人間にはひとたまりもない。かごめはすぐに死ぬ。きさまもだ」
「そうはさせるか!」
しかし、いくら犬夜叉が爪を振るっても、その場に満ちる瘴気が増すばかりだ。
「くくく、笑止な」
そのとき、突然、室内に激しい風が吹いた。
吹き荒れる風に建物の壁が破壊され、風は瘴気を外へと流す。
(この風……!)
風は妖気をまとっていた。
(神楽の風か? でも何故――)
かまいたちにも似た鋭い風は、かごめの髪をなびかせ、彼女の首に掛けられた四魂の玉のチェーンを切る。
ぱしゃん。
四魂の玉が桶の水の中に落ちた。
跳ねた水の音で、かごめははっと意識を取り戻した。
何故だろう。
桶の水がわずかに光を帯びているように見える。
「かごめちゃんっ」
「かごめさま!」
風に誘導された弥勒と珊瑚、そして琥珀が犬夜叉に追いつき、ここに仲間たちは再び集結した。
弥勒が犬夜叉に鉄砕牙を投げ、それを受け取った犬夜叉がかごめのそばに駆け寄ろうとする。が、それよりも早く、かごめが動いた。
「覚悟しなさい、奈落!」
かごめ自身にも、そのときの行動は本能のままに動いたとしか説明できない。
少女は桶を持ち上げると、四魂の玉を落とした桶の水を、半妖の魔法使いめがけてぶっかけた。
2008.12.23.